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深夜の邂逅

 

「ふぅ……」

 

 風呂からあがる。 桃子に会うのが気まずくて、つい長湯してしまった。

 でも結局、桃子に顔を合わせることになるのだろう。 まだこの時間、桃子は自室へ行かずにリビングにいるはずだ。

 

「………………」

 

 やっぱりいた。 先ほどだいぶ恥ずかしがっていた桃子だが、逃げ出すことなくリビングに居座っていた。

 

「い、いやー、いい湯だったなぁ~……」

 

 気まずさに耐えきれず、発言する。 

 俺の存在を周囲に認識させるためだけの、誰に向けたわけでもない、独り言。 

 

「………………」

 

 無反応。 と、言いたいところだが。 俺に対し反応しまくっているといった方が正しい。

 

「………………」

 

 なぜなら、桃子も気まずいのか、俺の存在を意識しないように必死な様子だからだ。 

 でも自室に逃げないのは、桃子らしいなと思う。 

 

 それにしても、いつもは掴み所のない桃子が、こうもしおらしくなってしまうとは。 これは意外だった。

 こう見えて、桃子は攻めに弱かったりするのだろうか。 ちょっとした嗜虐心が芽生えそうだ。

 

 だからといって、この気まずい雰囲気には変わりない。 正直、逃げ出したい。

 なら自分の部屋に逃げればいいじゃんと思うけれど、色々あって気持ちが落ち着かないこの状態で部屋に戻るのは、何か嫌だ。

 

 外にでも行って、気を紛らわせようか……? 

 引きこもり生活中もたまにしていた、深夜の散歩。 年齢的によろしくないけれど、何かあったら自業自得ということで。

 

「……さて」

 

 桃子には何も告げず、外へ出る。

 深夜の外の空気は、朝と同様に冷たく湿った空気ではあったが、朝のそれとは違った印象を抱かせるものだった。

 やはり、光と闇、それぞれが人にもたらす影響は大きいなと感じる。

 

 一言も発さず、目的地も決めないまま、ほぼ一日中降り続けた雨により濡れ、独特の匂いを発するコンクリートの道を歩く。

 



 そんな道を歩み続けて二十分ほどで、近所の運動公園に辿り着く。

 昼間は子供連れの親子や、学校帰りの小学生たちが賑やかに遊んでいるこの空間も、今の時間帯は誰もおらず、静かだ。

 

 この空間には、俺しかいない。

 

……俺だけの空間。


 ふと、この世界に自分だけしかいなくなってしまったらどうなるのだろうと考える。

 

 現実的に考えれば、今まで多くの人がいることで維持され続けていたあらゆるものが崩壊し、その維持され続けていたもので生活している俺もそう遠くない未来に死ぬ。 一人だけの世界には、絶望的な結末が待っていると考えられる。

 

 でも、ある意味俺しか存在しない世界というのは、俺にとって幸せな世界であるとも考えることができる。

 なぜなら、俺以外の人間は、もう生きていない。 話すこともできないし、思い、考えることもできない。

 

 人見啓人という人物が人に見られることはもうなくなる。 人に見られ、認識されることで生じるあらゆる感情もなくなる。

 他人のことで色々と思い煩うこともなくなる。 他人を傷つけることも、他人に傷つけられることもなくなる。

 楽しいこともなくなるだろうけれど、悲しいこともなくなる。 そもそも、感情が麻痺するだろう。

 

 自己と向き合いながら、ただ一人静かに死を待つだけの日々。 悲しいようで、何よりも理想的な死。

 俺の死を見届ける者はいない。 俺の死を見逃す者もいない。 

 俺がどう生きて、死んだのかを知る者が誰一人存在しない世界で、死を迎える。 なんて、幸せなことだろう。

 

「……おや?」

 

 俺だけしか存在しないはずの空間に、人影を確認。

 今、ここへ来たのだろうか。 人影は一人分。

 

「……不良なら、群れで来るよな」

 

 深夜遊びまわる不良だった方がまだ良かったかもしれない。

 俺みたいに深夜散歩をする変人が他にいてたまるか。

 こんな時間帯だ。 一人でフラフラ運動公園に来る人だなんて、関わらない方が良い人物に決まっている。 ……あれ、ブーメラン発言か? 

 

「…………女か?」

 

 あちらは俺に気づいていないようで、外灯に照らされながら佇んでいた。 どうやら、月夜を眺めているようだ。

 このままスルーしても良かったが……。 やはり気になるものは気になる。 ためらう気持ちより、好奇心が勝る。


……少しだけ、近づいてみようか。 

 まだ、距離はある。 バレないだろう。

 

「…………げ」

 

 遠くからだとなんか黒っぽい服装だなとくらいしか思わなかったが、近づいてハッキリわかった。

 あの女が身に纏っているのは、ゴスロリ服ではないだろうか。


……ヤバイ。  ますます警戒心が高まってきた。 


 深夜。 散歩。 ゴスロリ服。 たった一人。 


 これは、電波系の予感……!

 

 もしかすると「あなた、前世で会ったことないかしら?」だなんて言われかねない。 これ以上近づくのはやめて、帰宅しよう。

 

 そう思い、踵を返そうとする前に、何か引っかかることがあって、もう一度人影の方を見る。

 

「……あれ」

 

 よく見ると、どこかで見かけた顔のような……。 

 外灯に照らされ物憂げな表情をする女性。 

 正面から見たわけじゃないからまだよくわからないが、ここから見えるその横顔は……。  

 

「……まさかな」

 

 仮にそうだとして、俺が何をするわけでもない。 さっさと帰宅しよう。 と、

 

『ピロピロピロピロピロピロピロピロ!』

 

 こんなタイミングで、俺のスマホが着信音を叫び出す。 表示された名前は、非通知。 いたずら電話か?

 

「げ」

「……っ!?」

 

 急いで着信音を止めるも、当然俺の存在に気づくわけで。

 このまま逃げるのも余計怪しまれそうだから、逃げるわけにもいかず。

 

「……人見、啓人?」

 

 やはりそうだ。 どこかで見かけたというか、今日の昼間見た顔だった。

 

「蟻塚か……」

 

 蟻塚美門。 ボッチ女子2号であり、高嶺の薔薇。

 お嬢様な雰囲気を醸し出す蟻塚が、深夜散歩とは。 遅めの反抗期か?

 

「何故、あなたがこんなところにいるの?」

「……それはこっちのセリフだ。 俺はここから家が近くで、たまたま散歩に来たんだ」


 それにしても、近くで見ると、ゴスロリ服がやけに似合っているなと思う。 ちょっとカッコイイかもしれない。 俺の厨二心がくすぐられる。

 

「わたしもただ、散歩していただけよ。 何か文句でもあるのかしら?」

「文句なんてないけど、その服装……。 昼間もそれ着て外出してるのか?」

「そんなことするわけないじゃない」


 即否定。 だからといって夜中だけ着て外出もないだろう。

 

「前言撤回。 文句はあるぞ。 ……女子高生がこんな時間に一人で外出だなんて、危ないからやめたほうがいい」

「別に、それくらいわかっているわ。 でも、危ないのは、男子高校生だって同じでしょ?」

「……あのな、そりゃそうかもしれないけど……。 どっちが危ない目に遭いやすいかは、火を見るよりも明らかだろ?」

「大丈夫よ。 この辺りに人なんて来ないから」

「……俺が来てるんですけど」

「あなた、人だったかしら?」

 

 その一言を聞いた瞬間、心臓が跳ね上がりそうになる。 が、

 

「……お前には俺が何に見えるんだよ」

 

 すぐに平静を装い、聞き返す。

 

「冗談よ冗談。 それとも何? あなたはわたしを襲うつもりなのかしら? わたしが言いたいのは、襲うような人はこの辺りにいないってことよ」 

「何を根拠に……。 最近何かと物騒だろ? どんな目に遭っても知らんぞ」

「その時はその時よ。 どうだっていいわ」

 

 蟻塚は、破滅願望でもあるのだろうか。 

 

 特別自衛能力を持っているわけでもない女子高生が一人、深夜徘徊。 あまりにも無警戒で無防備で、自暴自棄に見える。

 しかも今は、東日本連続猟奇殺人事件で日本中が大騒ぎだというのに。 蟻塚の両親は心配していないのだろうか。


「どうだっていいって……。 随分と刹那的な生き方をしているな。 お前はこの頃流行りの、将来に希望が持てないティーン・エイジャーか」  

「そんなの最近流行っているだなんて、初めて聞いたんだけど」

「……流行っている時期がいつかは、問題じゃない」

「最初から言わなきゃいいのに……」

 

 やはり蟻塚とのコミュニケーションは、しんどい。 精神ダメージが大きい。

 誰にでも善意を向けたがる五木や、とにかく俺に優しい桃子とは違う。

 基本的に他者に対し、あまり良い感情を向けない蟻塚。 俺にはキツイ相手だ。

 

「そういえば、あなた……」

 

 まだ、何か俺に話すことがあるのだろうか。 蟻塚は、深夜になると饒舌になる性格だったりするのだろうかと考える。 

 

「……今日の体育の時間、わたしの胸を見ていたでしょ?」

「えっ……」

 

 何か、今日はこんなことばっかだなと思う。 まさか、バレていたとは。

 

「気づかないとでも思った? 見られている方は、すぐにわかるのよ」

「……あ、あれは、別に下心からとかじゃなくてだな……。 つい反射的に、視線が大きく揺れ動く物体の方を向いてしまって……。 ほら、肉食昆虫のカマキリなんかは、自分より小さくて動くものを餌と認識して反射的に狩りをするだろ? それと似たようなものだって」

 

 自分で言ってて、何を言っているんだろうと思う。

 

「……それは、わたしの胸が大きく揺れ動いていたのを、舐めるように見続けていたってことじゃない! ……この、変態ッ!」

 

 怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤にし、俺を罵倒し始める蟻塚。

 

「だいたい、恥ずかしくないのかしら? ただの脂肪の塊二つにハァハァハァハァ興奮しちゃって……! 男はみんなそうよ、イヤラシイ目でジロジロジロジロとわたしの体を見てくれちゃって……!」 

 

……俺に男全体への怒りを向けられてもな。

 

「そんなに胸がいい!?」

 

 はい。

 

「そんなにお尻はいいものかしらッ!?」

 

 イエス。

 

「女体なんて、つまるところ肉と脂肪じゃない! そんなのに興奮しちゃうなんて、馬鹿みたい!」

 

 蟻塚は人間が繁殖行為をしなくなってもいいのかよ……。

 

「……見てしまったことは謝るからさ、ちょっと落ち着こう」

「落ち着けないわよ! 汚らわしい視線に晒されながら学園生活を送るわたしの気持ち、わからないくせに!」

 

 まあ、わからん。 

 

「……今、自意識過剰って思ったでしょ? 思ったわよね!?」

「え……? 思ってないけど」

「嘘よ! 絶対思ってる!」

 

 本当に思ってないのに。

 今夜の収穫。 深夜の蟻塚はとても面倒くさいことがわかった。

 

「思ってることにしていいけど、もう家に帰ったほうがいいんじゃないか? 俺に送られるのなんて嫌だろうけど、家まで送っていくからさ。 このまま蟻塚が一人でいて、危ない目にでもあったら、一人にしてしまった俺の気分が良くないだろ」

「……そうね。 ありがたい提案だけど、遠慮しとくわ」

「……話聞いてたか? 蟻塚がどう思おうが関係ないんだって。 ここで偶然出会ってしまった以上、この後蟻塚に何が起きようが無関係ですよと開き直るわけにもいかないだろ。 だから、家まで送っていくよ」

「しつこいわね。 そんなの、今日会わなかったことにしとけばいいじゃない。 何より、わたしはあなたと一緒にいる方がよっぽど怖いと思ってるんだから」

 

 今の言葉は傷ついた。 好かれていないことはわかっていたが、ここまでストレートに拒絶されるとは。

 

 俺の善意は、蟻塚へ届かなかった。 

 善意に善意が返ってくるわけでもなく、強い警戒心により、俺は蟻塚に拒まれたのだ。 嫌悪感さえ上乗せにされて。


……まあ、でも、どうでもいいか。 蟻塚はこういう人間なんだ。 今更ショックを受けることもない。


「そこまで言われちゃ、もう知らないぞ。 お前に何があろうが、俺は無関係を貫くからな」

「それでいいのよ。 別に、今だって関わるつもりなんてなかったんだから」

 

 そうだ。 蟻塚とこんなに会話をするのも、今夜限り。 来週からは、またいつも通りだ。

 昼間の時点で、今日は蟻塚とまともに会話できた記念すべき日だったわけだが、今夜の出来事で更に記念すべき日となってしまった今日。

 明日以降、それが更新されることはないだろう。 俺が積極的に蟻塚へ話しかけることもないだろうし、蟻塚も俺に対してまともにコミュニケーションをとろうとはしないだろうから。

 

「……じゃあな。 学校サボりすぎるなよ」

「あなたに言われたくはないわ」

 

 正論なので、何も言い返せないまま、運動公園を離れることにする。 

 まったく、気を紛らわすはずの深夜散歩だったというのに、余計モヤモヤとした感情が……。

 

 気分が悪くなる。 こんな時は、早く帰って寝てしまおう。

 

 寝れば、細かいことなんて全部忘れ去れそうだし、とりあえず明日がやってくる。

 明日になれば、明日のことで精一杯だ。 よっぽど過去に囚われていない限り、現在進行系で流れ込んでくる情報を前に、過去を思い出す時間は減っていく。

 

 明日の為に、今日をしっかり終わらせる。 しっかり終わらせることとは、何も問題を解決するということではない。

 一区切りをキッチリつけなければ、心も体も疲れてしまう。 その意味で、しっかり終わらせるということだ。

 

 今日のモヤモヤは、明日の回復した俺に解決してもらえばいい。 

 問題の先延ばし? 結構だ。 今うだうだ悩んだところで、問題が解決するとも思えない。

 逆に、今うだうだ悩み考えるよりも、明日以降にちょっとしたきっかけで、あっさり問題が解決したりすることだってある。


……気楽に行こう。 俺にはその方が、この世で生きやすいのだから。 

 

「……………………!?」

 

 今、何か嫌な気配を感じたような……。

 しかも、これは未知の気配ではない。 既知の気配。 デジャヴュを感じるものだ。

 今の感じが正しいものなのか、もう一度確かめる為に感覚を研ぎ澄ます。

 

「…………ダメか」

 

 さっきの気配はもう感じない。 

 けれど、気のせいではないはずだ。 俺はこの気配を知っている。

 

「……………………」

 

 後ろを振り向く。 そこには、誰もいない。

 誰もいない暗闇に向かって、俺は何かを言おうとして、やめた。

 なぜなら、本当に、誰もいないのだから。

 



 もうそろそろで零時になりそうな時刻に、帰宅する。

 

 玄関はもう、暗かった。 

 桃子も流石に自分の部屋へ戻っているようで、リビングも真っ暗だ。

 俺も、なるべく物音を立てずに寝る前の準備をする。

 

 今日は、色々なことがあった。

 珍しくクラス全員が出席したり。

 体育でバスケしたり。

 昼休みに五木と勇人の三人で過ごしたり。

 文化祭の出し物を決めたり。

 五木の家へ遊びに行ったり。

 桃子のブラを被ったり。

 蟻塚に変態と罵られたり。


……あれ、最後の方は酷いな。 

 

 とにかく、後は寝るだけだ。

 明日は休日だが、夜更かしできない理由もあるし。

 さっさと寝て、心身共にリフレッシュをしよう。

 

 そんなことを思っている内に、俺は眠りに落ちていった。


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