この防具は装備できません。
五木家を後にし、帰路につく。
もう、雨は止んでいるようで、傘を差す必要もなさそうだ。
「………………」
別れ際、五木は一瞬寂しそうな顔をしていた……ような気がする。 正確には、寂しさの混じった微笑みだ。
だからといって、俺は特に何を言うわけでもなく、その場を後にしてしまった。
「さてと……」
それはそうと、桃子にそろそろ帰宅するとの連絡をしなければ。
俺は、これでもなるべく早く帰ってきたんだという思いを込めた一文を!
『今から帰宅します』
よし、完璧。 無駄のない文章だ。 後は、機嫌取りの為に何か……。
「……そうだ」
少し遠くに見えるのは、コンビニの看板か。 いつも利用している近所のコンビニではないが……よし。
「コンビニといえば……」
誘蛾灯に引き寄せられる虫のように、コンビニへと引き寄せられていく。
「らっしゃっせー」
コンビニ店員の怠そうな挨拶など気にせず、奥の方へと進んでいく。
お目当ては、スイーツコーナー。
「……これでいいか」
ちょっと高めのコンビニスイーツを買うことにする。
高級和風モンブラン。 これなら家守桃子様も怒りをお鎮めになってくださるだろう。 購入決定。
……このモンブランを買う金がどこから出てるのかには今は目を瞑ろう。
「っがとざぁしたぁー」
未知の言語を発する店員は気にせず、コンビニを後にする。
帰り道。 やはり、一人だと体感時間が違う。
こんな時は何か難しいことでも考えながら歩こう。
「……虎はバターにならないよな」
凄くどうでもいいことしか頭に浮かばなかった。
そんなどうでもいいことを考えている内に、家に着く。
時間はもう九時半を過ぎている。 夜にバイトをしている高校生だって、大半はもう帰宅してる時間だろう。
帰宅部としてはあるまじきタイムだが、今日の帰宅部は活動休止だったということにしておこう。
おじおじと鍵で扉を開ける。 玄関はまだ明るかった。
「ただいま……」
扉の開閉音か、俺の声に反応したのか、トコトコとこちらへ向かう足音が聞こえてくる。 こういう時は、気配を殺したりはしないらしい。
……でも良かった。 扉を開けてすぐ目の前に桃子がいたら、きっと俺は大声で叫んでいただろう。 ご近所様の静かな夜はこれで守られた。
「おかえり。 遅かったね」
風呂を済ませてあるのか、桃子は部屋着姿だった。
一見、いつも通りに見える桃子。 だけど、やっぱりちょっと怒っている……?
「帰り、コンビニに寄っててね」
「……本当に?」
首を傾げ、微笑む桃子。 怖い怖い。
「ほ、本当だって! 献上品もあります! どうぞ!」
買ってきた高級和風モンブランを差し出す。
「……賞味期限は」
「明後日までです」
何故か敬語になっている俺。
「……啓人。 わたしはそんなに安い女じゃない」
「え……」
失敗か……!?
「わたしの機嫌を、食べ物で直そうだなんて……」
「も、もちろん、これだけで機嫌を直そうってわけじゃないぞ? ただ、手ぶらで帰るよりはマシかなと思って……」
俺の差し出したコンビニ袋を受け取る桃子。
「わたしは、腹ペコキャラじゃない」
「……う、うん」
嬉しそうな顔で、袋の中身を覗く桃子。
「食べ物を与えておけばなんとかなるだなんて、思わないで欲しい。 ……わかった?」
そう言いながらも、高級和風モンブランをありがたく貰っちゃってる桃子。 しかも凄く満足気な顔だ。
「う、うん、わかったよ……」
このわかったは、わかってないわかっただ。 桃子には食べ物を与えとけばなんとかなるのかもしれない。
とにかく、機嫌がある程度直って安心だ。
「着替えているってことは、桃子はもう、お風呂に入ったのか」
「……一緒に入りたかったの?」
「はいそうですと言ったら?」
「今日はもう入っちゃったから、また明日ね?」
「……いや、ダメでしょ。 そこは断らなきゃ」
「……うん、そうかも。 じゃあ断るね」
なんだこの調子の狂う会話は。
「……まあ、とにかく桃子は風呂に入ったってことだな。 ちょっとリビングでのんびりしてから俺も風呂に入るとするよ」
「うん。 追い焚きは自分でしてね」
さっそく高級和風モンブランを食べるつもりなのか、紅茶を用意し始める桃子。 すごくウキウキじゃないか……。
風呂場へ行き、追い焚きのボタンを押して、リビングに行く。
リビングのテレビはつけっぱなしだった。 どうやらさっきまで桃子はテレビを見ながら寛いでいたようだ。
「……こんな時間に食べると体に良くないぞ?」
「大丈夫。 体調管理は得意だから」
そう言いながら、食べる準備を終えたのか、お菓子と紅茶を持ってきて定位置に付く桃子。
「……いただきます。 それと、啓人」
「ん?」
「買ってきてくれて、ありがとう」
お詫びのつもりが、感謝されてしまった。
「喜んでくれたのなら、何よりだ」
こうも喜んでくれると、こちらとしても嬉しい。
……にしても、俺が選んだわけだから当たり前だが、凄く美味しそうだ。
俺も今度買ってしまおうか。
いや、今月分のお小遣いは残り少ない。 無駄な出費は控えるべきか。
お菓子欲を紛らわせる為に、テレビでも観よう。
『本日はスイーツ特集ということで、こちらへやってきました~!』
……なんというタイミング。 寄りによって、スイーツ特集とは。
気を紛らわせるどころか、余計お腹が減って大変なことになりそうだ。
桃子はこの番組を見ているようだし、チャンネルを変えるわけにもいかない。
追い焚きが終わり次第、すぐ風呂へ向かうか。 それまでスマホでも弄っていよう。 なるべくテレビ画面は観ないように。
「……啓人」
「……どうした?」
「これ、近くじゃない?」
「これ?」
「テレビ、観て」
「ん……?」
テレビ画面を観て、すぐに理解する。
『こちらのスイーツバイキング、水曜日は女性限定で値段が安くなるんです! これは、女性に嬉しいお店ですね~!』
今、テレビで紹介されている店は、ここから一番近い駅の近くにある店だったのだ。
「お、ホントだ。 ここからだと、バスを使えば二十分くらいで行けるよな」
「うん。 ……スイーツバイキング、行ってみたい」
「追い焚きがちょうど終わったみたいだな」
「……スイーツバイキング」
「さて、風呂でも入ってくるかな」
「……スイーツ」
「この一週間だいぶ疲れたし、のんびり湯船に浸かるとするかー」
「……行って、みたいなー……」
スイーツバイキング行きたいなー、チラッチラッ。 どうみてもこちらの反応待ちな桃子。
桃子の意図することは、あまりにもわかりやすすぎた。
まあ、ここは俺も行きたくないどころかむしろ行きたいくらいだし、機嫌取りの続きだと思えば。
「……そんなに行きたいのなら、明日か明後日辺りにでも一緒に行くか? テレビで紹介されちゃったから、もっと時間を置いてから行くってのもアリだと思うけど」
「うん、行く……! 明日行こ?」
「明日か。 混んでなきゃいいな」
「混んでたら、違うお店へ行けばいい」
「そうだな。 ……あれ?」
なんかおかしい気がするけど、気にしない。
とにかく、のんびりダラダラ過ごす予定だった明日は、桃子と一緒に駅前へ行くことになったのであった。
約束もしたことだし、いつも通りに着替えを持って、風呂へ向かう。
俺はこれから、いつも通り脱衣所で脱衣をし、脱衣カゴに脱いだ衣服をぶっ込む。
……はずだった。
いつも通りの行動は、いつも通りの状況下でなければ不可能なのだ。
――そう、脱衣しようと脱衣カゴを見てみると、脱衣カゴに先客がいたのだ。 これは……。
「……ブラジャー?」
略してブラ。
常識的に考えれば、これはどうみても桃子が着けていたものだろう。
ブラ以外にも、桃子が着ていたと思われる衣服が入っているし。
テレビに夢中で脱いだ服の片付けをしていなかったのか。
「……まったく、うっかりさんだな」
いや……、待てよ。
俺は、これをブラジャーだと判断した。 だが、これは本当にブラジャーなのだろうか。
当然、俺はブラジャーを買ったこともないし、着けたこともない。 知識として一応知っているだけだ。
桃子も流石に俺に見せてきたりはしないし、洗濯して干したりする時も人に見られぬよう気をつけている。
よって、俺は実物をちゃんと見たことがない。 店で見かけたことはあるかもしれないが、そんなにじっくり見たわけでもないから記憶があやふやだ。
――――常識を、疑え。
そうだ。 蓋然性99・97パーセントくらいでこれはブラジャー。 それは間違いない。
しかし、残る0・03パーセントは?
もしかすると、大胸筋矯正サポーターかもしれない。
あるいは、ちょっと眼が大きい人用のアイマスクかもしれない。
物は試しだ。 俺自身が、この対象物の正体を明かすため、一肌脱いでしまおう。
「……よし!」
とりあえず、手にとってみる。 アイマスクに使えるかどうか、試してみよう。 いざ、装着ッ!
「こ、これは……!」
………………。
……………………………………。
…………………………………………………………うん。
これは、ダメだ。
まず。 分かりきっていたことだが、アイマスクとして使うには、頭にちゃんとフィットしない。
ウ○トラマンの頭にならフィットしそうだけど。 目、デカいし。 俺が装着しても、どこかの民族衣装かケモミミにしか見えない。
……後者に見えるかどうかはだいぶキツイところだが。
やはり、これはアイマスクではなさそうだ。 装備を解除する。
さて、次は――。
「…………啓人?」
「あ」
そうだった、桃子は音を消して歩くのがクセになっているんだった。
てか、この状況、マズイんじゃ……。
「な、何して……?」
困惑と羞恥が入り混じった表情をする桃子。 普段のクールビューティー感がまるでない。
「桃子。 どうした? ……ああ、これか? これってアイマスクじゃないのかな。 頭にフィットしないんだけど」
とぼけてみよう。
「……それ、アイマスクじゃないよ」
「そ、そうなのか。 やっぱりな」
棒読みになる俺。 赤面し、目のやりどころに困っている様子の桃子。
「…………………………」
「…………………………」
気まずい沈黙。
「わ……、わたしのブラ、返して……」
涙目で懇願されてしまった。
「ブ、ブラだったのかー。 これは失敬。 ただちにお返しいたします」
ホックをきちんと留め、ストラップを綺麗に折りたたみ、桃子に手渡す。
ブラを受け取り、すぐこちらに背を向ける桃子。
そして、脱衣所を後にする直前に、一言。
「……雄だった」
「え?」
「……啓人もやっぱり、人間の雄だった」
ブラジャーを被ることで、人間の雄として認識された俺。 やったぜ!
……いや、雄を通り越して変態だろこれは。
しかしどうしよう、これから桃子の俺を見る目が変わってしまいそうだ。
とぼけてみても無駄だろうし、素直にちょっとしたイタズラ心からふざけてみたとでも言うべきか。 いや、被っているところまで目撃されてはいないか?
むしろ、このまま互いにこんなことは無かったとなるまで、この件についてノータッチを貫くか?
……俺が余計なことをしてしまったがばかりに、これからの心配事が増えてしまうとは。 完全に自業自得だが。
モヤモヤとした気分のまま、風呂に入る。
そういえば、もうすぐ夏だ。
暑くなってきたら、湯船に浸からずシャワーだけでいいかもしれない。
でも、桃子はシャワーだけで済まさないだろうから、結局湯を張ることになるのだろう。
桃子といえば。 今日は珍しく桃子の後に俺が風呂か。
ということは、俺が今浸かっているこの湯船は……。
「…………いかんいかん」
あんまり年相応にピンクな妄想を繰り広げるのはやめよう。 もっと真面目なことを考えなければ。
例えば、そう。 いつも桃子には一番風呂を譲ってもらって悪いなーとか。
他人の浸かった後の湯船に入るとか、本当は嫌だろうに。
相手が本当の家族なら、あんまり気にしないのかもしれないが、俺と桃子はあくまで血の繋がりのない同居人ってだけだ。
すっかり俺は、桃子にだいぶ心を許してしまっているが、互いの間にはまだまだ譲れない色々なものがある。
このままの距離感を保つのか、それとももっと近い距離感になるのか。 あるいは……。
人間関係というのは、不変ではない。
何も、ズッ友を否定するわけじゃない。 友達で居続けることは可能だろう。
しかし、人間は誰しも少なからず変わっていく。 個々人を取り巻く環境だって変わっていくのだから。
そうして皆が皆、変化していくのだから、いつまでも昔のままというわけにはいかない。
結婚して家庭を築いたり、大切な家族を失ったり、金持ちになったり、貧乏になったり。
昔は気にする必要もなかった要素がチラついて、昔と変わらぬよう接することができなくなるのではないだろうか。
同じ“友達”でも、その“友達”との関係は昔とは変わっている。 そうに違いない。
「でも、まあ……」
何も、変化をそんなに恐れる必要もないかと思う。
極論、生きている限りどんな変化だってできてしまうとも言える。
一度悪い方向に変化したって、それから一年後でも十年後でもいいから、良い方向に変化させてしまえばいい。
我ながら、なんてポジティブな思考。
取り返しのつかないことをしない限り、どうとでも取り返しがつくと考えれば気が楽になる。
取り返しのつかないことをしたことがある俺が言うのだから、間違いない。
……さっきのあれは、取り返しのつかないことだろうか。 取り返しのつくことだろうか。 答えは神のみぞ知る。




