五木家の食卓
五木が部屋から出て行った。
さて、漫画を読もうと思うわけだが、五木はどんな漫画を持っているのだろう。
「……結構あるなぁ」
本棚には漫画本がびっしりと詰まっていた。 五木は漫画が好きなのだろうか。
それに、何やらスケッチブックらしきものもある。 絵でも描いてあるのかと気になったが、勝手に見たらダメだろうし、触れないでおこう。
「亜鉛の錬金術士……? 面白そうじゃん」
一巻を手に取り、読み始める。
どうやらこの漫画は、少年誌に連載されていた作品で、過去に大きな罪を犯した兄弟の冒険活劇らしい。
少年誌に連載されていた漫画の割には、随分と重く、深いテーマを取り扱ってるようで、道徳の教科書より教育的なんじゃないかと思ってしまう。
犯した罪とどう向き合うか。
言ってしまえば、罪を犯した当人がそれを罪と感じなければ、当人にとってそれは罪ではないのと変わらない。
他者がどんなにそれは罪であると言ったところで、当人がなんとも思っていなかったら、当人に罪悪感なんて生じないからだ。
その、罪をなんとも思っていないような人が、意外と楽しく人生を歩んでいたりするのかもしれない。 そう考えると、罪悪感に苦しんだりする人たちが馬鹿みたいだ。
でも、罪なんて、所詮そんなものなんだろう。 犯罪をなんとも思わない極悪人にとって、罪は他者が勝手に作った概念でしかない、曖昧なものなのだ。
罪という概念自体が罪を犯した人間に直接何かをするわけではない。 あくまで人を裁くのは人なのだから。
この漫画でも、度々登場する敵キャラたちは、主人公兄弟が頑なに守り、行わないようにしていることを、平然と行っていたりする。
中には、悪いことだと認識していながらも、何かと理由をつけて正当化している人物もいたし、後で贖罪することを理由に罪を犯す人物もいた。
罪との向き合い方は人それぞれ。 それらを描いたこの漫画は、決して説教臭いわけはなく、少年漫画的バトル展開も繰り広げられていて、実に面白い漫画だった。
「……………………っ!」
つい、夢中になっていた。 忘れかけていた空腹感が俺を現実世界に連れ戻してくれる。 麩菓子をあんなに食べたというのに、俺の胃はなんて貪欲なんだろう。
俺は、漫画を読むスピードが速い。 五巻も読み終わっているが、まだそこまで時間は経過していないはずだ。
時計を見る。 だいたい、三十分くらい漫画を読んでいたようだ。
ちょうどキリの良いところまで読めたし、五木の様子でも見に行こう。
立ち上がり、ドアを開ける。
「ん……」
台所の方から食欲をそそる香りが漂ってくる。 ドアを閉めていたので気づかなかったが、これは……。
「トマトと……にんにく……それにオリーブオイルか?」
漫画を読むスピードが速い俺は、嗅覚も結構優れている。 だから、漂ってきた匂いの正体が何だかわかるのだ。 食欲が刺激され、お腹が鳴る。
そういえば、桃子がいつだか言っていたな。 トマトとにんにくとオリーブオイルを使えば、とりあえず美味そうな料理が出来ると。
香りだけで既に美味しい予感しかしないから、桃子の言うことは正しそうだ。
さて、実物はどんなものか確認しに、五木のところへ行ってみるか。
「……お」
台所へ近づくとそこには、作り終えた料理を盛り付けている五木の姿が。
手作り感のあるエプロンを装着し、手際よく動いているのを見るに、普段から家事全般をこなしているのだろう。
「ちょうど、作り終えたみたいだな」
後ろから話しかける。
「あ、人見君。 お待たせしました、出来ましたよー」
振り返り、笑顔を見せる五木。
料理を見る。 夕飯はどうやらパスタのようだ。
「余り物で作った、トマトパスタです!」
「結構具だくさんだな。 何が入っているんだ?」
「玉ねぎとナス、ベーコンが入っています。 トマト缶は賞味期限が後一年くらいあったんですが、トマト缶を使ったほうが美味しくなりそうだなーって思って、使いました」
「確かにトマトの赤は見栄えも良くなるし、美味しそうに見えるな。 それにしても、五木は料理慣れしてて凄いな。 俺も見習いたいくらいだ」
「そ、そうですかね……? 自分で食べたいものを自分で作ってるだけですよ?」
「それが凄いんだって。 もっと自分を誇ってもいい」
「誇っちゃってもいいんですかね……?」
五木は謙遜しているというわけでもない。 本当に、自分のしていることは大したことないと思っているようだ。
五木にとって、このように料理ができることは当たり前で特別労力を注ぐようなことではないのだろう。
時に、こういうことはある。 当人はなんとも思っていないようなことが、他人から見ると凄かったりするということが。
「……今度、人見君も料理してみますか? きっと、人見君が思っているほど難しくありませんよ?」
料理か……。
「してみようかなとは思うけどさ……。 作る機会があんまりなくてな」
「家守さんがいつも作ってくれるからってことですか?」
「そういうこと。 俺が作るまでもなく、文句なしに美味しい料理を桃子が作ってくれるからな。 俺が料理をする必要性があまりないんだ」
「うーん……。 確かにわたしも、お母さんがわたし好みの料理を毎日作ってくれるのなら、自分で料理をしようと思わなかったかもですし……。 でも! やらないことには上達成し得ませんから、作る機会を作るべきです」
「そーだな……」
「それに、家守さんも案外人見君が料理を作ってくれたら喜ぶかもしれませんよ?」
「……美味しくなくてもか?」
「限度ってのはあると思いますけど、例えあんまり美味しくなくたって、誰かが自分の為に一生懸命作ってくれたら嬉しいものだと思いますよ?」
「そういうもんか……」
「自信がないのならわたしがちょこっと教えますよ! いつでも遠慮せず言ってください!」
……なんだろう、今日はいつになく五木が頼もしく見える。
「じゃあ、互いに都合が合う時、教えてもらおうかな」
「はい! ……さてと、料理も出来たことですし、冷める前に食べちゃいましょう」
五木家の食卓へ移動する。
「では、いただきますかな」
「どうぞ!」
いざ、実食。
「ど、どうですか……?」
俺が食べている様子を恐る恐る覗う五木。
「……うん、旨い! 美味しいよ」
「良かった……! 口に合わなかったらどうしようかと思いましたよ……」
最初から五木の料理の腕に不安要素はなかったが、俺には強力な比較対象が存在する。
だから、ある意味不安はあった。 俺の舌が肥えていないだろうかと。
でも、そんな不安が馬鹿らしくなるくらいに、五木の料理は桃子の料理と同じくらい美味しい。
もちろんこんなこと本人には言わない。 比較されるのは嫌だろうし。
「トマトとパスタはなんでこんなに合うんだろうな。 まさか、トマトはパスタの為に生まれてきたんじゃないか!?」
「あはは、何をアホなこと言ってるんですか」
楽しそうに笑う五木。 何気に酷い。
でもまあ、二人でこうやって楽しく夕飯を食べている。 この事実は俺にとって嬉しいことだ。
日常の中の、何気ない経験がかけがえのない思い出に。
一週間後、一ヶ月後、一年後と、時が進むにつれて思い出は自分の中で変容していくのかもしれないけど。
変わらないものを求め続けるよりは、いいかなと思っている。
「そういえば、なんで五木の両親は今日いないんだ?」
「旅行だそうですよ。 二人揃って有給を使って。 昨日から日曜日までの三泊四日だそうです」
「仲の良い両親だな。 で、学校を休むわけにはいかない五木は同行せず、か」
「そんなところです。 三年間無遅刻無欠席を貫きたいって言うよりは、親が普通に学校へ行きなさいって。 うちの両親、真面目ですから。 それに、学校は有給なんてありませんからね」
「あればいいのにな。 有給みたいなのが。 合法的に平日休めりゃ最高だ」
「結果的に授業サボってるのと変わらないじゃないですか……。 頭の良い人なら一日くらい授業でなくても平気かもですが」
「まあ、ありえない話だな。 何より治安面で問題が色々生まれそうだし」
「そもそも有給みたいなのが無くったって、人見君みたいに休む人は普通に休んじゃいますからね」
「うぐッ……!」
五木の鋭い指摘に頭痛が痛い。 二重表現したくなるくらいに。
「それはそうと五木」
「はい?」
なんとなく、前から気になっていたことを聞いてみることにする。
「五木って嫌いな人とかいないのか?」
「……へ?」
唐突過ぎる質問に目が点になる五木。
好きな人いるの? とかだったら、何とも微笑ましいガールズトークになること間違いなし(その場合俺は人見啓子になる必要性があるが)だったが。
嫌いな人いるの? だなんて聞かれても、困るに決まっている。 愚痴るの大好き同士なら話は別だが、俺はそんな趣味はないし、五木もそんな子じゃない……はず。
俺はあいつがマジ嫌いでさ~ってな感じで話が弾む展開にはなりそうにない。
「……いないですよ? どうしたんですか、いきなり」
「本当にいないのか? 一度たりとも誰かに嫌悪感を覚えたことは?」
まさに今がそうだよだなんて言われたらショックで立ち直れない。
「うーん……。 流石にそこまで言われると……。 誰かに対して嫌いだな、苦手だなって思ったことはありますよ」
良かった。 五木は別に聖人か何かを目指しているわけじゃなかった。
「……でも、そういうのは良くないなって、すぐに否定するんです」
えっ……?
「……否定? 嫌いって気持ちをか?」
「はい。 嫌いだな、苦手だなって思う相手も、同じことをわたしに対して思ってるんじゃないかなって。 嫌わない理由自体は自己中心的なものです」
「……嫌われたくないから嫌わない、か」
「そういうことです。 嫌いって思われてる方も、なんとなくそう思われていることはわかってるんだと思います。 嫌いって気持ちに対して、大抵の人は嫌いって気持ちで返しますよね? だから、互いに嫌い同士になってしまいます」
「……そうだな」
五木のこの考え方は……。
「嫌ったら嫌われるならば、嫌わなければいい。 そうすれば、互いに嫌い同士ってことにはなりませんよね? 少なくとも、わたしは嫌っていないことになるんですから」
危険だ。 一見素晴らしい考え方のようにも思えるが。
五木自身は自己中心的な理由と言ったが、果たしてそうだろうか。
自分の正直な気持ちに嘘を付いてまで、人間関係を円滑にする必要があるのか?
……あるのかもしれないけど、物事には限度ってのがある。
五木はあまりにも……。
「なるほどな。 だからか、五木が人を嫌わないように見えたのは」
「え? どういうことですか?」
……まあいいか。 今は余計なことを考えなくても。
「学校での五木を見ていると、あまりにも五木が聖人に見えてさ。 眩しくて直視できないくらいに」
「えっと……?」
「誰を相手にしても、善意を持って対処してるというか」
「そ、そうですかねー?」
「……実は超腹黒だったりしないの?」
「しないですよっ!」
「盗んだバイクで走りだしたり……」
「運転できないので事故って死にます」
「夜の校舎窓ガラス壊し……」
「ません。 セ○ムが来ちゃいます。 そもそもわたしの力じゃ壊せませんし」
「……………………」
「……………………」
暫しの沈黙。 そして、
「……ちょっとは悪いことしろよ! それでも五木は学生かっ!?」
「ぎゃ、逆ギレ!?」
五木は反抗期も無さそうだなと思う。
「ほら、綺麗すぎる水にはなんとやらって言うだろ?」
「水清ければ魚棲まず、ですか?」
「そう、それそれ」
「うーん……。 わたし、そんなに良い子じゃないですよ?」
「良い子はみんなそう言う」
「そう言われちゃ何も言い返せませんよ……」
五木が自分のことをどう思っていようが、周りはみんな五木のことを良い子だと思っているだろう。
良い子ってのも真面目と同じで、決して良い意味で使われるわけじゃない場合もあるだろうけど、そんなことはこの際どうでもいい。
とにかく今日、五木独特の考え方に触れてハッキリわかったことがある。 五木紗羽という人間についてだ。
……五木紗羽の持つ性質が、悪い方向に作用しなければいいが。 今の俺に何かしてやれることがあるわけでもないけれど。
「もう九時ですか……。 時が経つのは早いですね……」
夕飯を終えた後、再び五木の部屋へ行き、テレビを観たり漫画を読んだりダラダラと過ごしていたわけだが、もう時計の針は九時を指していた。
いくら両親が帰ってこないとはいえ、これ以上長居するわけにはいかない。 泊まるつもりもないし、何より桃子が怖い。
「よし、もう九時だし、帰るとするかな。 今日は本当にありがとうな」
「いえ! こちらこそ、付き合ってくれてありがとうございます! また機会があれば是非!」
今度は俺も何か用意して持って行こう。 今日は急だったから何も持ってこれなかったからな。
「あ!」
「ど、どうした?」
「マッサージ器を使うの忘れてました……」
何かと思えばそんなことか。
「別にいいよ。 疲れてるっていっても、そんな大げさなもんじゃないから」
「そうですか……。 でも、興味があったら遠慮なく言ってくださいね! わたしもわたしの両親も、買っておきながら全然使わなくてなんか勿体無いんですよね」
「健康器具とかにはよくあることだ。 仕方ない」
大して使われないまま一生を終える健康器具はたくさんあるだろう。 それは健康器具として生まれた物の運命なのだ。
残念ながら健康器具にその運命から逃れたり抗ったりする力はない。 そんなことがあるとしたら、軽くホラーだ。
「じゃあ、また月曜日な」
「はーい。 気をつけてくださいね!」
五木家を出る。 外はすっかり真っ暗だ。




