芦高郡は回想する
芦高郡は、この世界にとことん愛されなかった。
あまりにも出来過ぎた、不幸。
呪われているとしか思えないほど恵まれない境遇。
「……何で、アンタなんか産んじゃったんだろ」
芦高の、母の声。
芦高がまだ、小学生の頃の記憶。
芦高の母は、まだ若かった。 年若くして子を授かり、そして産んだ。
「いいこと教えてあげよっか? アンタにはね、薄汚い強姦魔の血が流れているのよ」
もちろん当時の芦高には、その言葉が何を意味するのか詳しいことはわからなかった。
ただ、幼いながらも、自身の誕生が祝福されていないことだけは理解していた。
「アンタなんか、死んじゃえばいいのに」
芦高は叩かれた。
手加減はない。 実の子相手だろうが、容赦なく暴力は振るわれた。
「やっぱりアンタは、あいつに似ているわ……! 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!」
芦高の母親は、精神的に未熟だった。
確かに子を産むことはできても、その子を育てるほどの余裕を持ち合わせていなかった。
その身に余る苦労を背負い込む芦高の母親は、心身共に疲れ果てていたのだ。
何より過去の出来事により、母親はとっくに壊れていた。
母親は壊れた心を治す為に、愛するよりも愛されることを望んだ。
他者に縋る生き方を選び取っていた。
つまりは、子を愛そうとしなかったのだ。
「今から家に母さんの友達が来るから、アンタは外へ行ってなさい」
母親は、よく見知らぬ男を家に連れ込んでいた。
その度に、芦高は家から追い出されることになった。
芦高は、男たちの顔を見る。
どいつも、下品で薄汚い笑みを浮かべていた。
これからこの男と母親が何をするのかを考えて、芦高は吐き気を催した。
子供ならではの直感だろう。 邪な感情は、針のように子供の心をチクチクと突き刺していく。
芦高の母親は、哀れな女だった。
愛される為に、何でもした。
愛されることだけを、求め続けた。
それでも芦高郡を愛することは、決してなかった。
しかし芦高は、母の愛を求めていた。
子にとって、母親の存在はあまりにも大きかった。
絶対的な信頼。 無償の愛。
どうしても、求めてしまうのだ。
それが決して手に入らないものでも。 強く、強く。
「……うわぁ! 芦高が来たぞ!」
「逃げろ逃げろ!」
芦高の居場所はどこにもなかった。
誰からも疎まれ、軽んじられ、気味悪がられた。
ただ避けられるだけではなく、攻撃されることもあった。
異物を排除したいという感情は、集団の中で生きる人間の多くが持っていたのだろう。
芦高は、異物扱いされていた。
「あいつ、いつも汚え格好してるよな」
「てか、あいつ臭くね? 消臭剤ぶっかけてやろうぜ」
もし、芦高郡が狭いアパートの一室だけで一生を終えるのなら。
自らの置かれた境遇について、深く考えることはなかっただろう。
母親と子の関係は、こういうものだ。
食事は一日に一回だけ、カップ麺を与えられ。
衣服はボロボロで汚いものを何日も着せられ。
多くの時間を一人で過ごし、母親から与えられるものは、罵声と暴力。
それが、普通。 そう、納得していただろう。
だが、芦高は知ってしまう。 その脳は、理解してしまう。
他人の存在。 他の家庭。
比較することで、わかってしまう。
自身の置かれた境遇が、どれだけ普通からかけ離れているのか。
不公平な世の中。
多くの人が当たり前のように受けている恵みは、芦高にはない。
周りが当然のように持っているものを持たずに生まれた芦高。
知識も知恵も力も金もない親。
そんな親からの、愛さえもない。
恐ろしいほどに恵まれていない環境。
どう生きていけばいいのか。
そんなこと、わかるわけもなく。
この呪われた境遇の下、ただ死んだように日々を過ごしていく。
そんな芦高は、いつの日か、こう思うようになった。
このまま俺がこの境遇を受け入れて生き続けても、幸福な者たちはそれを知らずに生きていく。
何だ、これは。
この差は、何だ?
恵まれた者たちと、この俺。
生まれた時より不幸を約束されていた。
普通から程遠い環境に置かれ、そのまま普通になり損ねた。
(……わからせてやる必要が、あるのではないか?)
当たり前のように普通を手にした大多数。
俺のような人間だって、生まれた以上は生きていたいと思うものだ。 どうして大多数の人間のために、異物扱いされた俺が死ななければならない?
そして、生きるのなら、満たされなければならない。
空虚に蝕まれたまま生きていても、死んでいるのと変わりない。
(そうだ……。 わからせてやらなければ、満たされない)
幸せがどれだけ儚いのか。
命がどれだけ軽いものなのか。
わからせてやらなければ、満たされない。
他者の幸福を貪ることでしか、己は幸福になれぬのだ。
(今更普通を手に入れたところで、俺が満たされることはない)
だから、殺す。
もっと、殺す。
己を満たす、ただそれだけの為に、殺す。
それ以外に、どのような生き方があると言うのだろうか。
* * *
「………………」
芦高は、目を覚ます。
そこは、暗い場所だった。
コンクリート製の冷たい床は、鉄粉で黒く汚れており。
上を見上げると、そこには空はなく、天井があった。
(屋内か……)
先程の戦闘が終わってからどれだけ時間が経過したのか、芦高にはわからなかった。
ただ、自身の受けたダメージがまだ強く残っていることだけは、すぐにわかった。
人見啓人――。 彼からの攻撃を何発か受けて、まだ生きていること自体奇跡なのだ。
いくらネアレスによる魔術の強化があったとしても、芦高は死んでいておかしくなかった。
(俺はまだ、生きている……)
ならば、と芦高は思う。
生きているのなら、殺し続けよう。
この命ある限り、俺は己を満たす為、殺し続ける。
(それこそが、俺の……)
芦高郡の、生き方なのだから。




