切断線
「……凄い」
そう呟いた桃子は、啓人とネアレスの激闘を、少し離れたところから見ていた。
一体、誰に立ち入ることができるだろうか。
砲弾の雨降る戦場にも等しい、二人の魔人の戦場に。
啓人の力になりたい。
そう思ってここまで来た桃子だったが、桃子は動けなくなっていた。
不用意に動いてはいけない――。
桃子の生存本能が、そう告げていた。
だから、今は……。
この戦いを、せめてこの目で見続けていよう。
「…………啓人」
今、桃子が見ている人見啓人は、桃子の知っているいつもの人見啓人とは違っていた。
数年に渡り蓄積された、負の感情。
殺人鬼である芦高郡を前にして鎌首をもたげた、魔人としての嗜虐性。
ネアレスとの会話。 そして、五木が危害を受けたことにより限界を超えた、強い怒り。
それらの要因が重なり、引き金となって、人見啓人は変貌した。
人間、人見啓人ではなく。
魔人、ケイトとしての側面を強く表に出して。
「………………」
桃子は思う。
鬼山さんが言っていた、今の人見啓人は危険だという言葉。
その意味を、わたしは勘違いしていたのかもしれないと。
(あれはただ、わたしの身を案じたわけじゃなくて――)
何よりも、人見啓人自身に対する心配だったのかもしれない。
◆
「ケイト。 俺の超級魔術を見るのは初めてだろう?」
ネアレスが超級魔術を発動したことに警戒し、啓人は動きを止めていた。
妖しげに輝く、濃紫色の光の翼。
本来、左右両方あるはずのそれは、腕の存在する左側にのみあった。
どこか、数本の刃のようにも見える片翼。
「俺の得意とする魔術は、君も知っての通り、空間魔術だ。 空間魔術といっても、時空魔術ほど色んなことができるわけじゃない。 正直、名前負けしている魔術なんだ」
光の片翼が輝きを増す。
その輝きは闇夜を照らしてはいるものの、どこか邪悪な気配を漂わせていた。
「でも、その超級魔術は……。 攻撃力に関して言えば、他のどの超級魔術よりも、間違いなく上に位置する。 いや、そもそも俺の超級魔術よりも強い攻撃なんてものは、どの世界にも存在しない――」
ネアレスの言葉に嘘はない。
ネアレスの超級魔術を前に、あらゆる防御も無意味なのだ。
それは、何故か。
「例えばの話だ。 この世界のあらゆる物質が鉛筆で描かれているとしよう。 物質は、濃く描かれているほど硬いと仮定する。 柔らかい物質は、硬い物質を前に打ち負ける」
ネアレスが超級魔術により生み出した翼。 それは、ただ飛ぶ為だけに用いられるものではない。
「より強い攻撃力と防御力を得るためには、より濃く鉛筆で描かれなければならない。 でも、もし、鉛筆で描いたものを簡単に消すことのできる消しゴムが存在するのなら? 濃く描かれていようが、消しゴムに擦られただけで、その物質は消滅する」
ネアレスの翼は、いわば砲台のようなもの。
弾は、あらゆる物質を問答無用で貫く、光の線。
「その消しゴムに該当する力を、俺は放つことができる。 ……このようにな」
片翼が、一際強く輝き出す。
そして、次の瞬間――。
翼から、一筋の光が放たれた。
「――ッ――!!」
啓人は確かに、ネアレスを殺すという目的に支配されている。
今の啓人に、他の色々なことについて考えるほどの理性は、残されていないのだ。
しかし、ネアレスを殺す為に己の身が存在し続けなければならないのなら。
啓人は、攻撃から身を守ることに、全力を注ぎ込む……!
「へぇ……。 ちゃんと避けたか。 正しい判断だ、俺の超級魔術は回避する以外の方法で対処できるものじゃない」
超高速移動により、ネアレスの翼から放たれた光線を躱した啓人。
ネアレスの攻撃をとにかく躱すという行動が取れたのは、直感的なものだろう。
あれに当たると、不味い――。
現に、あの光線を受けた何本かの樹木は、不自然なまで綺麗に切断されていた。
「凄いだろう? ケイト。 これが俺の超級魔術……。 この世を構築するあらゆる線種に対応した、切断線だ。 この切断線には、どんなに堅牢な城壁だろうと、どんなに頑丈な鋼鉄の塊であろうと、関係ない……。 防御という概念を無視した、究極の一撃だ」
有効な対処法は回避のみ。
いくら啓人の攻撃力と防御力が格段に強化されているといっても、破れかぶれで突っ込めば、切断線の餌食となる。
「しかし……。 片腕しかないというのは、不便だな。 この状態では、楽して君に勝つことは難しい。 何より、現時点で俺の思い描いていたシナリオからはだいぶズレてしまっている。 君の超級魔術は、俺の想像とは違っていた」
「………………………」
啓人は、その身を纏う漆黒のオーラをより一層激しく燃え上がらせ、構える。
対してネアレスも、再びその翼から光を放とうと力を溜める。
「……もっと暴れろよ、ケイト。 この周囲に生息する人間どもを皆殺しにするくらいにさぁ!!」
真っ直ぐに放たれる、あらゆるものを貫く一閃。
それを、身を低くして走ることで躱し、啓人はネアレスへと猛進していく。
そして、啓人はネアレスの肉体を破壊する為、その拳を勢い良く突き出した。
「くッ――!」
しかしその拳は、ネアレスに届かない。
ネアレスが体を大きく曲げるようにして、躱したのだ。
躱されたからといって、啓人の攻撃は止まらない。
突き出した拳を戻さずに、そのまま裏拳をぶちかますように腕を振る。
「――ぐぅッ!!」
その一撃は、ネアレスに見事当たった。
ネアレスは攻撃を受ける時、反射的に防御膜を自身の周りに展開していたが、それだけで啓人の一撃を防げるわけがなかった。
凄まじい衝撃を受けて、ネアレスは大きく吹っ飛ばされる。
「………………ネア、レス……!!」
吹っ飛ばされていくネアレスを追って、跳躍する啓人。
力を手に集中させる。 啓人の手は、物理的に相手を破滅へと導く魔手となった。
「……はァァァああ!!」
迫りくる啓人に対抗すべく、ネアレスは切断線を放つ。
それも、一本ではない。
二本、三本と連続で解き放っていく。
満月の下、戦場に引かれていく死線。
それを潜り抜け、ネアレスを殺す目的を果たさんと強く大地を踏み込む啓人。
「――――――――!!」
このまま地上で啓人の猛攻を躱し続けることは困難だと判断したのか。
目前に迫りくる啓人から逃れるよう、ネアレスは空へと飛翔する。
「……ははははははは!! この翼はもちろん、飛行能力だって有している……。 片方しかない今でも、短い間飛ぶくらいは可能……!」
ネアレスの翼は羽ばたかない。
この濃紫色の光の翼で空を飛ぶことのできる仕組みは、鳥や羽虫といった生物や、航空機が空を飛ぶことのできる仕組みとは、大きく異なる。
それは単純に、この翼が展開されている時のみ、ネアレスの意思に反応して宙に浮くことができるというだけのもの。
しかし、もちろん長時間空を飛び続けることが可能なわけではない。
いくら魔人とはいえ、エネルギーは有限なのだ。 せいぜい、一時間がいいところだろう。
ましてや今回、ネアレスは右腕を失い、翼の出力も半分にまで落ちている。
攻撃や移動に割くエネルギーも考えれば、そう長い時間空を飛び続けることは不可能だ。
「………………………」
空に逃げられ、上空を眺めながら数秒間立ち尽くす啓人。
しかし、すぐに次の行動に移る。 啓人の攻撃手段は、近接戦闘だけではないのだから。
「……っ……!?」
啓人は、空を飛ぶネアレスに向かって、赤く輝く光球を撃ち始めたのだ。
それはまるで、地上から航空機を攻撃する高射砲のように弾幕を形成していく。
「――くっ――!」
ネアレスも、ただ攻撃を避け続けるだけではない。
空を飛んでいるということは、空から地上へと攻撃することが可能だということだ。
啓人の放った魔弾を紙一重で躱しながら、大地を切断するように翼から光線を放っていく。
「……っ……!!」
空からの反撃に、殺意に囚われた啓人の顔にも、強い焦りが滲み出る。
ネアレスの放った切断線はその力を遺憾なく発揮して、地面を綺麗に切り取っていく。
「まだだ……!」
更に、ネアレスの反撃は苛烈さを増していく。
ネアレスの背後に存在する、満月。
その淡い月明かりを侵食するように、濃紫色の輝きが未だかつてないほど強まっていく。
そして解き放たれたのは、六本の切断線。
六本それぞれが、啓人の肉体を空間ごと切り裂こうと直進する。
「――ぐ、があああぁぁぁぁぁァァァァァァ!!」
啓人は叫ぶ。
全能力を回避に費やす。
破裂しそうになる心臓。
激しい呼吸の連続に、肺だって燃え尽きそうだ。
全身の筋肉も、限界を超えて酷使され、崩壊寸前。
それでも。
人見啓人はネアレスを殺すため、動き続ける――。
「――――――――――」
……いや、それだけじゃない。
殺意だけでは、ここまで啓人が動くことなど不可能だった。
啓人がネアレスへの強い殺意を抱いたのは、そもそも何がきっかけであっただろうか。
狂化してもなお、人見啓人の心の奥底に根付いていたものは、失われていない。
「啓人……!」
誰かの声。 啓人はその誰かを、まだちゃんと覚えている。
啓人は守らなければならない。 守るために、ネアレスを倒す。
啓人の体を衝き動かすのは、ネアレスの殺意だけではない……!
「何ッ――!?」
切断線を右肩に掠らせながらも、攻撃の回避に成功する啓人。
狙うのは、夜空に舞う片翼の魔人。
「……覚悟しろ、ネアレス!!」
掌を上方へと向ける。
凝縮されていく赤い光。
しかしそれは、今まで放ってきた魔弾とは違っていた。
今までのが単体特化の攻撃ならば、これは広範囲を埋め尽くす攻撃。
「はぁぁぁぁあああああ!!」
夜空の闇を払う、光の奔流。
莫大な力の塊が、ネアレスの命を飲み込もうとする――!!
「――くっ…………がああああ!!」
響き渡る絶叫と轟音。
そして、二人は――。




