家守桃子の懸念
お腹が減ったので、何か食べようかと思ったけれど。
「もう、お昼か……」
あと少し待てば、お昼ごはんの時間だ。 空腹は最高の調味料と言うし、ここは我慢することにしよう。
でも、ただ待ってるだけでも退屈なので、
「桃子ちゃん、何か手伝おうか?」
「……八重さん」
ラジオを聴き終わり、昼食の支度をしている桃子ちゃんの手伝いをすることにした。
「特に手伝ってほしいことはないけど、ただ黙々と調理しているのも退屈だから、話し相手になってほしい」
「それだけでいいの?」
「うん」
何だか悪い気もするけど、二人も台所に入るとかえって効率が悪くなるのかも。
「桃子ちゃん、今日のお昼ごはんは何を作るの?」
「豚こま肉と玉ねぎの炒め物。 味付けは、ポン酢。 ……そういえば、午後から啓人は外出するんだって」
「人見君が? 外出って、誰かと遊びに行くってこと?」
「たぶん、紗羽さんと……」
そう話す桃子ちゃんは、どこか浮かない表情をしていた。 人見君が紗羽ちゃんと遊ぶことに、不満でもあるのだろうか?
「紗羽ちゃんって、プールに来ていたあの子のこと?」
「うん。 触覚が生えていた子だよ」
確かにあれは触覚に見えなくもない。 ……とは、思わない。
紗羽ちゃんは、髪型がツインテールの女の子だ。
あの子とはプール以来会っていない。
また会ってお話したいという気もあるけれど、魔術師でもない彼女と親しい関係になるわけにはいかない。
こういう時、わたしが魔術師として人生を歩んでいかなければならないという現実を、改めて思い知らされる。
「あの子、人見君と結構仲良いけど、もしかして……」
「……もしかして?」
「……い、いや、何でもないよ……。 あははは……」
うっかり変なことを口走ってしまったら、桃子ちゃんがその手に持つ包丁を振りかざし、物騒なことをし始めそうだ。
そんなショッキングな想像をしてしまうほどの目を、桃子ちゃんはしていた。
「……桃子ちゃんは、紗羽ちゃんのこと、あんまり良く思っていないの?」
たった一日遊んだ程度だけど、わたしは、紗羽ちゃんをとても良い子だと思った。
どのような流れで人見君が紗羽ちゃんと仲良くなったのかはわからない。
だけど、紗羽ちゃんのあの人柄なら、魔人という自己の存在に色々と悩みを抱えてそうな人見君だって心を開いてもおかしくない。
「わたしは、紗羽さんのことが嫌いなわけじゃないよ。 良い子だと、思ってる」
「じゃあ、人見君があの子と遊んでいても、何の問題もないんじゃないの?」
「あの子が良い子だから、不安なの」
「えっ……? それは、どういう……」
紗羽ちゃんが良い子だから、不安? どうして……?
「それにあの子、啓人以外に親しいクラスメイトがいない……」
「……そうなの?」
桃子ちゃんはわたしの疑問にはすぐ答えず、言葉を続ける。
それにしても、あんなに良い子なのに、学校では友達がいないなんて。 ちょっと意外だ。
「うん。 厳密に言えば、啓人以外に親しくなれそうな相手なら普通にいるんだけど。 でも、紗羽さん本人にその気があまりないように見える。 要は、紗羽さんは啓人だけに依存しかけている。 他があまり、見えていない」
「依存……」
依存と聞いてまず考えてしまったのは、わたしは鬼山さんに依存していないだろうかということだった。
思う存分頼ってやるといったようなことをわたしは言ったけど、頼ることと依存することは違う。
前者には確固たる自己があっての前提。
後者は自己と他者との境界線が曖昧になった状態。
つまり、後者は相手がいなくなった時、その身に受ける苦痛が大きいということだ。 何せ、自らの肉体の一部かのように思いこんでいたものが、消えてしまうのだから。
「あの子は、相手にとって都合の良い優しさを向けようとする子なの。 そんな子が、啓人と親しくなっていくのは、危険。 互いに、悪い方向へと堕ちていくかもしれない。 啓人はああ見えて、期待にはちゃんと答えようとする、馬鹿真面目なところがあるから……」
「………………」
桃子ちゃんの言っていることを全て理解したわけじゃないけれど、何となく危惧されていることはわかってしまった。
「……ねえ、桃子ちゃん。 人見君は……」
「……うん。 啓人は、紗羽さんと仲良くなりすぎてしまったの。 今思えば、わたしはもっと啓人の人間関係について考えるべきだったのかもしれない。 下手をすれば、啓人は他人を不幸にするどころか、啓人自身が立ち直れないくらいに傷つく恐れだってある」
桃子ちゃんは人見君の学校生活などについて口出しをしていないだろうということは、普段の人見君の自由な生活っぷりを見ていれば、わかる。
だから、人見君は魔術とは関係のない友人をわたしの知り得る限り二人も作っている。 桃子ちゃんもそれを良しとしていたが、この先のことを考えれば、良くないことだったのかもしれない。
「でも、やっぱり……。 出来るわけ、ないよ……。 啓人に、誰とも仲良くするななんて、言えるわけがない……」
「………………?」
「ずっと、啓人は願っていたの。 人として、人と関わっていくことを、ずっと……。 鎌桐君や紗羽さんと知り合ってから、啓人は変わった。 悔しいけど、わたし一人だけじゃ、啓人をあんな風に変えることはできないって、わかってしまったの」
「……桃子ちゃん」
桃子ちゃんは、あまり周囲の人たちに積極的に関わろうとしているようには見えない。
けれど、こう見えても、周りの色んな人のことを考えてくれていたんだ。
人見君だけじゃなく、紗羽ちゃんのことも。
もしかすると、わたしのことなんかも考えているのかもしれない。
利用してやろうとかそういうのじゃなく。
ただ、相手の幸せを願って……。
「わたし、時々わからなくなるの……。 どうすれば良かったのか、どう振る舞えば良かったのか……。 そうやって、後悔ばかり……」
わたしに不安な心中を吐露する桃子ちゃん。 こんなことは、これが初めてだ。
「……わたしも、後悔してばかりだよ」
桃子ちゃんがわたしに弱ったところを見せてくれたからには、年上として、何か助けになるようなことを言ってあげなきゃ。
でも、何よりも、本心から思っていることがある。
「でもね、少なくとも人見君と紗羽ちゃんに関しては……。 後悔なんて、する必要ないと思う」
「……どうして?」
「人見君がみんなと過ごしていく中で作ってきた思い出は、わたしたちにとって後悔するようなものじゃないでしょ? それに、桃子ちゃんが心配しているほど、二人とも成長していないわけじゃないと思うから……」
「………………」
人の心の強さなんてものは、よくわからないものだ。
強そうに見えても、弱い部分を隠しているかもしれないし、その逆だってある。 最後まで気づけない強さだって、あるかもしれない。 何より……。
「……これはわたしの体験談なんだけどね、ちょっとした他人の一言で、気持ちが大きく変わることがあって……」
人は、自分たちが思っている以上に、他人からの影響を受けることを、わたしは知っているから――。
強さは、現在進行系で変化していく。
「自分一人だけじゃ進めなかった一歩が、その一言で簡単に踏み出すことができたの。 たった一言でだよ? だったら、何度も言葉を交わし合っている人なら尚更、何も変わらないわけないと思うの」
「……八重さん」
わたしの言葉を受け、優しげな瞳をし、わたしの方を見つめる桃子ちゃん。 そして、
「……平然と、恥ずかしいセリフを言うんだね」
と言った。
「なっ……!」
わたし、そんな恥ずかしいセリフを……!? 何だか急に恥ずかしくなってきた……!
「でも、ありがとう。 確かに、八重さんの言うとおりかも」
「……桃子ちゃん?」
至近距離から桃子ちゃんの横顔を見る。 その瞳は、どこか潤んでいるような……。
「たまねぎ……」
「え?」
「切る前に、涙が出ないように工夫をしておくべきだった」
「そういえば、してなかったね……」
今桃子ちゃんが切っている玉ねぎは、冷蔵庫に保存してあったものだ。
だが、冷蔵庫から取り出し、包丁で切るまでの時間が空きすぎたようだ。 すっかり夏の常温に晒された玉ねぎは、硫化アリル飛ばしまくりの催涙兵器と化していた。
けれど、本当に桃子ちゃんの潤んだ瞳が玉ねぎによるものなのかは、わからなかった。
「ごちそうさまでした」
昼食を終える。 ポン酢で味付けされた豚こま肉は、あっさりとしていてとても食べやすかった。
午後。
桃子ちゃんが言っていた通り、人見君は食事を終えてから一時間後くらいに外へ出ていった。
桃子ちゃんはというと、自室で何やらやることがあるらしく、二階へ行ってしまった。
リビングに残されたのは、わたしと鬼山さんの二人だけ。
その鬼山さんはというと、平日の昼間にテレビ放送されている映画番組をつまらなそうな顔で鑑賞していた。
「………………」
「………………」
……暇だ。 あまりにも、暇すぎる。
わたしは自分のことをインドア派だとずっと思っていた。 ずっとって言っても、三年前までの記憶はないわけだから、三年間ということになるけれど。
今、わたしは考えを改める。 わたしは案外、アウトドア派なのかもしれないと。
「……鬼山さん」
「…………何だ?」
「外行きましょうよ、外」
「……外だと? 何だ、急に」
「ほら、この前も一緒に買い物しに外へ行ったじゃないですか。 また買い物しましょうよ」
「あの日は家守桃子に用事があって、その代わりに俺たちが買い物をしなきゃいけなかっただけだ。 今日はその必要もないだろう」
ほんの数日前。
桃子ちゃんがゴスロリ女を家に呼んで遊ぶということで、いつも買い物を任せている桃子ちゃんに代わり、わたしたちが買い物をしたことがあった。
もちろんわたしは、ただ必要なものだけを買ってすぐ家に帰るつもりもなく、鬼山さんを連れて大型商業施設を歩き回ることに。
初めて行く場所。
初めて見る物。
初めて知る事。
たくさんの初めてが、そこにはあった。 三年間の思い出しかないわたしにとって、あまりにも新鮮で眩しい体験の連続。
もしかするとわたしは……。
思い出が、欲しいのかもしれない。
抜け落ちた何かを、埋めるように。
「それにお前だって、あんなに暑そうな外の世界へ行くよりも、快適で涼しい家の中にいた方がいいだろう?」
「それは、そうですけど……。 このまま家でダラダラ過ごすのも、何だか時間が勿体無い気がするし、何より退屈じゃないですか」
「外へ行けば、退屈じゃなくなると言うのか」
「少なくとも、このまま家の中にいるよりは、ですけど……」
やっぱり、鬼山さんはそう簡単に外へ行こうとはしてくれない。 わたしが外へ行きたいと言ったくらいでは、座っている場所から動こうとも……。
「……わかった。 外へ行くぞ」
「へ……?」
聞き間違いだろうか。 鬼山さんが、こうもあっさり外へ行くことに賛成するなんて。
「そういえば今日、ここから近い場所でちょっとした夏祭りがあるらしい。 そこへ行ってみるのもいいかもしれないな」
「本当に、いいんですか……?」
「ああ。 今すぐじゃないけどな。 夕方くらいからでどうだ?」
「そ、そうですね……。 じゃあ、午後四時半くらいから行きます……?」
「そうだな、それくらいがちょうどいいだろう」
こうしてわたしと鬼山さんは、近所の夏祭りへ行くことになった。




