夏休み初日
翌日。
家守恭介からの電話を終えてから、昨晩は特に何も起こることなく時間が過ぎていき。
本日からついに、夏休み開始である。
夏休み初日の午前中を怠惰に過ごしていた俺であったが、今日は午後から勇人の家へ遊びに行くという予定がある。
しかし、俺はあることを忘れていた。
「桃子、ちょっといいか?」
「………………?」
勇人の家に一泊するであろうことを、俺はまだ桃子に話していなかったのだ。 何たる不覚。
「本来なら昨日の夜に言っておくべきだったんだけど……」
桃子のことだ。 ダメとは言わないだろう。
だが、いきなり外泊すると告げられて、機嫌が悪くなる可能性は十分ある。
「……どうしたの? 今から遊びに行くんだっけ?」
「それなんだけど、今日は外泊することになりそうなんだ」
「外、泊……?」
外泊と聞いた瞬間、目つきが変わる桃子。
その顔は、怒っているようにも不快さが滲み出ているようにも見えないのに、俺の背筋に冷たいものが走る。
「……まさか、あの女の……」
あの女。 五木のことか?
もしそうだと言ったら、どうなるんだろうか。 ……想像しただけでも恐ろしい。
「そんなわけないだろ。 普通に男のところだって。 ほら、勇人の家に行くんだよ」
「男でも安心できない。 愛のカタチは人それぞれだもの」
……桃子は俺と勇人を何だと思っているのやら。
「とにかく悪いけど、もう約束しちゃってるから、行ってくるよ」
俺にも非があるとはいえ、ここで約束を破るわけにはいかない。 さらば、桃子。
「……待って。 外泊は許可するから、これだけは約束して欲しいの」
「……ん?」
約束? 一体何だろうか。
「……必ず清い体のまま、帰ってきてね」
「桃子はまず、自分の心を清めようか」
こうして俺は家を後にし、熱い日差しを受けながらアスファルトの道を進み、再びあの長ったらしい階段を昇り、五階にある鎌桐家まで辿り着いた。
「お、やっと来たか。 まあ、あがれよ」
「お邪魔しますよっと……」
中へ入ると、以前来た時と変わらず釣り道具が玄関に立てかけてあった。 ……この釣り道具、ちゃんと使っているのだろうか。
「今日は何のゲームをやるんだ? この前やった格ゲ-?」
「いや、今日はこのゲームを一緒に進めようぜ。 人見、RPGとか好きだろ?」
と言って勇人が取り出したのは、ちょっと古そうなゲームソフトだった。 一人用のRPGらしい。
「RPGは好きだけど、どうしてまた、これを二人で?」
二人用でもないゲームをわざわざ二人でやろうとするのも変な話だ。 個人的にはアリだけど。
「このゲームを買った時はよ、ちょうどゲーム疲れしてきた年頃だったもんで、結局プレイせずにそのまま放置しちゃってたんだよ。 そんで、今更一人でやる気にもなんねーから、人見と一緒にやろうかなと思ったわけよ。 お前が嫌って言うんなら、他のゲームやるけどな」
何とも風変わりな企画だが、楽しそうだ。 断る理由はない。
「せっかくだし、やってみるか。 明日俺が帰るまでに全クリってことで」
「はは、それじゃあマジで徹夜コースじゃねーか」
そんなわけで、ゲームスタート。
「えーっと、まず主人公の名前を決めるみたいだな」
まず最初は俺がプレイすることになった。 勇人は、ポテチをつまみにコーラを美味しそうに飲んでいる。
「主人公の名前か。 人見、お前が決めていいぜ?」
「いいのか? じゃあ……」
俺は主人公の名前を『うつだしのう』に決定した。
「おいおい、随分とエキセントリックな名前にしたな」
すまん、一秒で考えた超テキトーな名前で。
「世界観はオーソドックスな西洋ファンタジーみたいだな。 魔法やドラゴンの存在する世界だとさ。 一周回って新鮮味を感じるな」
「こういうのもいいもんだろ? 俺も当時、この懐かしい感じに惹かれてこのゲームを買ったんだぜ」
勇人がポテチを咀嚼する音を聞きながら、ゲームを進める。
『うつだしのう! 村から出て行くって、本気なの!?』
『うつだしのう。 お前が出て行ってしまったら、残された妹たちはどうするのだ?』
『うつだしのう。 お前のことは忘れないよ……』
チュートリアルを兼ねたイベントを終え、最初の村から出ることになった、うつだしのう。 それにしても……。
「ここの村人たち、ネガティブすぎねーか? この村、日照不足なんじゃねーの?」
「勇人。 うつだしのうは主人公の名前だからな」
テキトーにつけた名前でこんなことになるだなんて。
『うつだしのう……。 生きていれば、いいことがあるものなのね。 さあ、一緒に戦いましょう』
「このヒロイン、情緒不安定なんじゃねーか? 大丈夫かよ」
勇人に交代し、俺はしばらくポテチを貪りながらゲーム画面を眺めていることに。 交代してすぐに、うつだしのうはヒロインを仲間にし、
『うつだしのう! 貴様を殺す……!』
「死にたいのか殺したいのか、どっちなんだよ」
ライバルの剣士と思われる敵と戦ったり、
『……ボクを仲間にしたいのかい? うつだしのう、君の頼みとあれば、断れないね』
二人目の仲間を手に入れ、
「やっぱこのゲーム、買っておいてよかったわ。 おもしれーな」
もう空が暗くなってきたというところで、また俺の番が回ってきた。
「……勇人、お前、違う楽しみ方してないか?」
「そんなことはないぜ? 俺はストーリーも戦闘も楽しんでるぞ?」
俺は主人公の名前のせいでストーリーがあまり頭に入ってこない。
「にしても、腹減ったな。 人見、飯にしねーか?」
時間も時間だ。 俺もちょうど腹が減っていたので、断る理由はない。
「わかった、飯にするか。 どこかへ食べにでも行くか?」
「いや、コンビニで何か買って食べようぜ? 今よ、猛烈にコンビニ弁当食べたい気分なんだよ」
勇人がそう言うので、俺は勇人と共にコンビニへ夕飯を買いに行くことになった。
「らっしゃっせー!」
店員の力強い挨拶を受けながら、店内に入る。
すぐ右手にある雑誌コーナーの前には、涼みに来たと思われる学生の集団と、それを迷惑そうな顔で一瞥するサラリーマンの姿があった。
「さて、何を買うかな……」
弁当コーナを覗いてみる。 ハンバーグ弁当、からあげ弁当、カキフライ弁当……。 どれも美味しそうだ。
「ん……?」
ふと、目に留まる弁当が一つ。 この既視感は……。
「……ああ」
これは、以前学校で勇人が食べていた、塩ダレ牛めし弁当だ。 通りで見覚えがあると思った。
ここのコンビニは普段利用することがない。 だから、このコンビニにどんな弁当が売っているのか見る機会がなく、塩ダレ牛めし弁当を見かけるのもあの日以来だというわけだ。
「人見。 俺はもう決まったからよ、先にレジに行ってるぞ?」
勇人の手には、ハンバーグ弁当とお茶のペットボトルが。 お前、ハンバーグってガラかよ。
「俺もたった今決まったよ」
塩ダレ牛めし弁当と深夜の紅茶のストレートティーを手に取り、レジに並ぶ。
「ありがとうございましたー」
会計を済ませ、コンビニを後にする俺と勇人。
吹き込んでくる夜風は涼しく、ジメジメとした嫌な暑さを一瞬だけ忘れさせてくれる。
「………………?」
通りかかった公園からただならぬ空気を感じ、つい立ち止まる。
「ん? どうしたんだ、人見」
「……あれっていわゆるオヤジ狩りってやつか?」
公園には、人影が四つ。 よく見てみると、一人のおっさんを囲むように三人のいかにもな風貌をした不良が立っているのがわかる。
「なあおっさん。 さっき俺の顔見て笑ったろ?」
「わ、笑ってな――」
次の瞬間、不良の一人がおっさんの顔面をグーで殴りつけた。
「い゛ぎぃ……!? や、やめてくれぇ……」
「じゃあさ、お金ちょうだいよ。 一人一万円でいいからさ。 そしたらやめてやるよ」
「い、一万円……? ふ、ふざけ――」
今度はまた別の不良から、腹部を蹴り上げられるおっさん。 倒れ込み、苦しそうにお腹を押さえている。
「早く渡せよ」
「早くしねーとまた顔面いくぞ?」
「ぐ……。 わ、わかった……。 わかったから……」
この世界でこのような場面に出くわしたのは初めてだ。 胸糞が悪い。 どうにかしてやるべきか。
「なあ、勇――」
と言いかけたところで、俺は動けなくなってしまった。 なぜなら――
「……………………」
見てしまったのだ。 勇人の、普段俺に見せることのない、冷たい眼差しを。




