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満たされぬ殺人


 つけっぱなしのエアコン。 

 散乱した衣服や漫画本。 

 真っ暗な部屋に僅かな光をもたらすノートパソコンの液晶画面。

 

「うぐ……」

 

 芦高郡あしだかぐんの目の前には、横たわる若い男。 後頭部から真っ赤な血を流して、苦しそうに唸っている。

 

「まだ、生きているのか」

 

 芦高はとある市内の大学近辺にあるアパートの一室にいた。 

 目の前の若い男は、大学生だ。

 

 芦高は今、この男を殺そうとしている。 

 ただ、人を殺したいというわけではない。 ある目的があるからだ。

 

 狙い目は、一人暮らしをしている大学生。 それも、周囲との人間関係が希薄そうな学生だ。

 アルバイトもしていない方が良い。 他人との関わりがなければないほど、芦高にとって都合が良い。

 当然、家族との連絡頻度も重要だ。 毎日のように実家にいる両親と連絡を取り合っているような学生は、狙えない。

 

 要は、急にいなくなっても怪しまれない人間でなければいけない。 そうでなくては、殺した後が面倒だ。

 

「苦しいか?」

 

 返事はない。

 

「返事をしろ」

 

 髪の毛を鷲掴みにし、顔面を床に叩きつける。

 

「う゛っ――」

 

 こんな男を殺したところで、芦高はたいして満たされはしない。 

 これは、芦高にとってつまらない殺人だ。 この部屋にしばらくの間泊まるという目的により、仕方なく行う殺し。

 

「お前は日々、何を楽しみに生きていた?」

 

 男はうつ伏せになり、ピクピクと気味悪く身体を震わせている。 返事はなく、呻き声だけが耳に届く。

 

「お前は日々、何の為に生きてきた?」

 

 男はすぐ、息絶えるだろう。

 

「お前は、死んでいても生きていてもたいして変わらないのではないか?」

 

 つまらない男だと、芦高は思った。 

 極めて不幸なわけでもない。 かといって、そこまで幸福なわけでもない。 

 日々をただ怠惰に過ごし、緩やかで生温い満足感を貪りながら生きている。

 

 ただ、死ぬ理由がないだけで継続している生ならば、壊してしまった方が良い。

 

「むしろ、お前は死んでいた方が良いのではないか?」

 

 壊す。

 

「何とか言ったらどうだ」

 

 壊す。

 

「何も、言わないか」

 

 男はもう、壊れていた。 なんて脆いのだろう。

 

「………………」

 

 ここで、問題が発生する。 この死体をどう処分するかだ。

 もし、魔物がまだ残っていたら、魔物にでも食べさせれば処分できた。

 だが、与えられた魔物のほとんどは芦高自らの手により破壊してしまった。 

 残っていた一体も、殺されてしまったのだから、どうしようもない。 こんな時になって、魔物を破壊したことを後悔する。

 

「困っているのか?」

「……お前か」

 

 銀髪の青年――魔人ネアレスは突然現れる。

  

「それ、処分したいんだろう?」

「お前が処分してくれるのか?」

「処分してもいいけど、俺がわざわざ手を貸さなくても、君一人で出来るだろう?」

 

 もちろん、魔物がいなくても、死体の処分くらいが不可能なわけではなかった。

 しかし、面倒な作業であることには変わらない。 

 自らの手で調理をして、出来上がった料理を食したとして。 その洗い物や片付けを誰かが代わりにやってくれるなら、喜んで代わってもらうだろう。

 

「……じゃあ、何の為に来た。 俺に何か命令するつもりか?」

「そんなつもりはない。 以前も言っただろう? 君の行動に口出しするつもりはない。 今回もただ、警告をしに来ただけさ」

「警告だと? 俺は何も困らないが、お前に何の得がある?」

「損得は関係ない。 君や薊海里、蟻塚美門に力を与えたのも、損をするだとか、得をするだとか、関係ないんだ。 ただ、面白そうだから力を与えただけにすぎない。 結果的に俺が被害を被ろうが、別に良いんだ。 ……そうだな、君に警告する理由があるとすれば、力を与えた者としての、ちょっとした義務感からとでも言おうか」

 

 損得は関係ない。 ネアレスのその言葉に嘘はないのだろう。 

 

 楽しむ為という明確な目的がある。 

 それならば、ネアレスにとって楽しめることが得だと言えるのかもしれない。 そして、ネアレスにとって楽しめないことが損。 そう考えるのが普通。

 

 しかし、ネアレスにとっては、力を与えたことで起こるいかなる被害も損とはいえないのだろう。 

 損を含め、全てがネアレスを満たす娯楽の範疇にある。 損さえも、楽しんでしまう狂人。

 

 つまり、「つまらない」という過程や結果でさえ、ネアレスにとっての娯楽の一部であり。

 ネアレスは、この世の全てを楽しもうとしているのだ。

 

「……理由はわかった。 その警告とやらを言ってみろ」

「簡潔に言うと、君は狙われている」

「……何?」

 

 狙われている? 心当たりはあるのだから、そう驚くことではない。 

 しかし、他者からその事実を告げられることは、状況の認識を強めるのに充分過ぎる衝撃だ。

 芦高の表情が、僅かに険しくなる。

 

「君は魔術師を三人殺しただろう?」

「ああ。 殺した」

 

 芦高は、忘れるはずがなかった。 

 あの三人は、現時点で最高の獲物。 

 あれを超える獲物に出会うことが今後叶うだろうかと考えると、憂鬱になるほどに。

 

「あれは結構、奴らにとって大きな問題になったらしくてね。 三人を殺した張本人である君は、当然ながら抹殺対象となっている」

「だが、俺の手がかりはあってないようなものだ。 奴らはどう俺を探すつもりなんだ?」

 

 殺した魔術師の一人が、電話で誰かに何かを伝えていたのを芦高は知っている。

 しかし、だからといってあんな少ない情報で見つけ出せるとは思えない。 写真でも撮っていなければ、そこまで頼りになる手がかりにはならないだろう。

 

「疑問に思わなかったのか? 何であの日、夜の神社にいた君が、あの三人と出会ったのか。 同じ街に偶然来ることができたとしても、名前も姿も知らない敵に直接会うなんてこと、不可能に近い」

「偶然ではないと言うのか」

「そうさ。 あれは偶然なんかじゃない。 君と戦った三人の魔術師は、とある力を頼りに君や魔物を探していたんだ」

「とある力だと?」

「魔術を探知する魔術さ。 その魔術には、魔物も引っかかるし、既に君に付与された強化魔術なんかも引っかかる」

「………………」

 

 だから、あの三人は俺の所へやって来たのか。 

 そして、いきなり攻撃を仕掛けてきた。 

 あの時は殺人による満足感から、過ぎた事などたいして疑問に思わなかったが、裏にはそんな理由があったということだったのかと芦高は理解する。

 

「その魔術を使うことの出来る者が他にもいて、今現在も俺を探しているということをお前は言いたいのか」

「その通り。 敵は手がかりこそほとんど持っていないが、探す方法がないわけじゃない」

「……好都合だ」

「……へぇ。 君はこれを都合の良いことだと捉えるのか」


 ネアレスは愉しげに唇を吊り上げて、芦高を観察するように見る。

 

「狩人を探し求める獲物がいて、都合の悪いことがあるというのか?」

「探す楽しみはなくなる」

「元々、探すという行為に楽しさなど見出していない」

「なら、問題はないな」

「……警告はそれだけか?」

「いや、まだある」

 

 仄暗い部屋の中、ネアレスの紫色の瞳が妖しげに光る。 

 そして、何が面白いのか、不気味な笑みを見せ、言葉を続ける。

 

「君を狙う者の中に、一人厄介なのがいる。 そいつには気をつけろ。 まともにやりあったら、君は死ぬ。 骨は砕かれ、臓物は潰され、血反吐を吐かされて、苦痛に悶えながら死ぬことになる」

「………………」

「そいつと戦うなとは言わない。 でも、より長くこの“日常”を楽しみたいのなら、そいつから逃げた方が良いとだけ、言っておこう」

 

 ネアレスの警告を聞いた芦高は、考える。

 

 厄介な奴。 それはつまり、芦高よりも圧倒的に強い者。 

 そいつと戦えば、芦高は死ぬ――。

 

(……それが、どうしたというのだ)


 望まぬことだが、殺されるのなら殺されてやろう。 ただ、それだけのことだ。 

 生きとし生けるもの全てには、常に死の可能性が付き纏う。 

 年老いた者や重病人、戦場を始めとする危険な場所にいる者ならともかく、多くの人間は自身が死ぬのはずっと先の話だと信じて疑わないが、一秒後にでも、十秒後にでも、死ぬ可能性は孕んでいる。 

 

 芦高郡は、そのことを認識している。

 何故なら、この手でいくつも死を与えてきたのだから。 

 

 まさか、これから死ぬとは思わずに幸せな時を過ごしていた若い男女。 

 この先の楽しい日々に思いを馳せ、平穏な日常を過ごしていた四人家族。 

 

 どちらも、いつも通りに明日が訪れると信じていたに違いない。 しかし芦高がそれを否定することは余りにも容易かった。 

 芦高が特別なのではない。 芦高でなくとも、人を殺す意思と少しの力さえあれば、可能だ。

 

 どんなに幸せを願って明るい未来を思い描き、善行を幾年も積み重ね、大層な事を考えていたところで、その命は――。

 

 将来に幸せな未来など約束されず、罪を犯し続け、他人の幸せを貪り喰うしか能がないどうしようもないクズの、たった一瞬の気まぐれにより、いとも簡単に奪われるのだ。

 

 三人の魔術師も、若い男女や四人家族と本質的な部分では変わらない。 

 彼らは命の奪い合いをする覚悟はあっただろうが、それでも自分が近いうちに死ぬことになるだなんて、思ってもいないだろう。 

 誰もが、自分は死なないと根拠もなく思っている。

 

 街ですれ違う大勢の人。 

 その全てが、誰かがその気になればすぐにでも殺される。 簡単に命は奪われる。

 

 例えば、信号が赤になり、行き交う車を眺めて横断歩道の前で立ち止まっている人。 

 誰かが背中を強く押せば、数秒後には轢かれ死ぬ。

 

 駅のホームに立つ人も同じだ。 

 その無防備な背中を強く押してやれば、線路に落ちて、電車に轢かれ死ぬ。

 

 親に手を引かれ、ふらふらと歩く幼子も。

 抵抗する力などないであろう高齢者も。


 殺すことだけじゃない。 死ぬことだってあまりも簡単だ。


 高いところから飛び降りれば、死ぬ。

 深い水に飛び込めば、溺れ死ぬ。

 燃え盛る炎に身を投じれば、焼け死ぬ。

 

 死ぬことも、死なせることも、簡単だという事実。 その事実から目を逸らす者は、あまりにも多すぎる。

 

「……お前は何故、そんな情報を知っている?」

 

 芦高は、ネアレスに問う。 

 力を与えた者としての義務。 それが本心からなのかはわからないが、わざわざ警告をしに来るのなら、持っている情報を少しは開示してくれてもいいはずだ。

 

「気になるか?」

「当然だ。 何故、そんな厄介な者がいると知っている? そもそもお前は、あの魔術師三人のいた組織をどこまで知っている?」

「詳しくは知らない。 でも、どんな経緯で俺のいた世界から魔術の力を得たのかは、だいたいわかる。 次元の歪みは以前にも発生していて、それを運良く利用できたということだろう。 まあ、魔術師たちの組織を軽視することは出来ないけれど、排除できない脅威ではない。 やはり俺にとって一番の障害と成り得るのは、彼だけだ」

 

 俺のいた世界。

 次元の歪み。

 彼。

 

 芦高は、ネアレスが何を言っているのかよくわかっていない。 しかし、


「……彼だと? それが、お前の言う、厄介な奴というわけか」

「その通りだ。 正直なところ、俺自身もまさか彼がこの世界に逃げていただなんて思ってもいなかった。 帝国の奴らに殺されたのかと思っていたんだ。 だから、本当に驚いたよ。 ……そして、とても邪魔だと思った。 殺してしまいたいくらいにね」

「………………」

 

 その語気からは、吐き出した言葉の内容とは裏腹に、怒りも憎しみも感じない。 

 

 ネアレスは、見た目から判断すれば、まだ若い青年だ。 未成年と判断されることの方が多いだろう。

 しかし、その態度はどこか不自然なほどに達観しており、感情表現もわかりやすいようで、わからない。

 

 悦に入り笑みを浮かべているように見えても、その眼差しは冷めている――。

 

 芦高は、そんなネアレスの感情を分析しようとして、やめた。 

 やめた理由を芦高が自覚する時は、恐らく訪れないだろう。


「……まあいい。 厄介な奴がいるということはわかった。 それで、その厄介な奴というのは、一体何者だ?」

「何者、か。 君に一番わかりやすく一言で言うのなら……」

 

 目の前の銀髪の、ネアレスと名乗った青年。 この青年の正体を、芦高は知らない。 

 だが、正体は知らずとも、この青年が魔物以上にふざけた存在であることは、根拠もなく確信していた。

 

「俺と同じような存在……」

 

 芦高は理解する。

 つまり、俺を狙う厄介な奴もまた、化け物の類なのだと。

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