蕭条八重と鬼山竜紀
わたしには、三年前までの記憶がない。 気づけばわたしは、『魔術』を取り扱う山奥の施設にいた。
とは言っても、日常生活を送る上で必要な知識が無くなったわけではなく。
三年前までのわたしがどのような人生を歩んできたのか。 その部分がゴッソリと抜け落ちているのだ。
自分自身についてわかることと言えば、わたしの名前が蕭条八重だということくらい。
「……はぁ」
わたしが思わずため息をついてしまうのも無理はない。
街外れの夜道を歩き続けてもう数十分。
そこに楽しい会話があるわけでもなく、ただ退屈で疲れる時間を過ごしていた。
「蕭条。 どうやら瀬宮の予想は当たっていたみたいだぞ」
沈黙を破ったのは、鬼山さんの声だった。
「えっと……。 それってつまり……」
「――魔物だ。 近くに複数体反応がある」
わたしは訳あって、七歳年上の男性と二人組で活動をしている。 こうやって施設を離れて活動するのは、今日でちょうど二ヶ月ほどになる。
男性の名前は鬼山竜紀。 今年で二十六歳になるらしい。
身長は高く、一八〇センチメートルくらい。 腹が立つことに、容姿は結構悪くない。
こうして施設を離れて活動する以前より、鬼山さんとはわたしの教育係として毎日のように顔を合わせている。
だけど未だに、わたしは鬼山さんがちょっぴり苦手だ。
* * *
鬼山さんと出会ったのは、今から三年前。
記憶を失い、施設のベッドの上で目を覚ますとそこには、部屋から出て行こうと背中を向ける鬼山さんがいた。
記憶喪失の上、精神的に不安定だったわたしは、当然目の前にいる背を向けた人物が誰だかわからないし、混乱した。
けれど、他に頼る人物もいないわたしは、とりあえずその人物――鬼山さんに声をかけることにした。
「あの、わたし、自分の名前以外何も思い出せなくって……。 ここは、何処なんですか? あなたは、一体……」
鬼山さんは、わたしの問いに対し、すぐには答えなかった。
少し時間を置いて、
「ここは施設だ。 何の施設かはすぐにわかる。 俺の名前は鬼山竜紀。 今日からお前に魔術を教えてやる――」
と答えた。 わたしはこの時、正直こう思った。
……この人、遅めの中二病なのかなと。
けれど、すぐに。
わたしは魔術だなんて空想上の存在でしかないと思っていたものが、本当にあることを知ることになる。
* * *
「……蕭条、何をぼんやりとしている」
「へっ……!?」
鬼山さんの声で、回想が中断される。
「反応は近い。 すぐにでも戦闘ができるようにしておけよ」
「はい……」
「危機感が足りないようなら言っておいてやるが、施設の人間で魔物と出会ったことがある人物はいない。 つまり、俺たちは魔物という存在を知っていても、魔物について詳しいことは何にも知らないんだ。 確かにお前の魔術の腕はそれなりにある方だが、過信はするなよ」
確かに、ぼんやりと回想している場合じゃなかった。
「すみません……。 それにしても、鬼山さんの探知魔術に反応があるってことは、やっぱり魔物は魔術により作られたんですかね?」
「どうだろうな。 魔術によって作られたのかどうかはわからんが、魔術が関係しているのは間違いないだろう」
鬼山さんはわたしには使えない探知魔術が使える。
なんでも、鬼山さんの探知魔術は魔術を察知することができるらしい。
結構感覚的でアバウトな魔術な上、鬼山さん本人以外には何も見えない聞こえない。 本当に頼りにしていいのか不安な魔術だ。
「今まで魔物の目撃情報こそあったが、目撃者が襲われたという例はない。 目撃者が逃げたのか、魔物が逃げたのか、どっちにしろ魔物は積極的に人を襲うことはなさそうだ」
たぶん、鬼山さんの推測は間違っていないだろう。
もし積極的に襲っていたなら、もっと大騒ぎになっていただろうし。
「つまり、今まで通りにいけば、魔物たちは俺たちから逃げようとするはず。 ……できれば生きたまま捕獲でもしたいところだが、それが難しそうな場合、魔物の生死は問わない」
「つまり、何としてでも逃がすなってことですね」
「その通りだ。 ――行くぞ。 もうだいぶ、近くにいるはずだ」
道を照らすのは、月明かりと数本の電灯だけ。 すぐ右手の方には雑木林。
もし、魔物が雑木林の方へ入り込んでいったら厄介だ。
時間帯からして視界が悪い上に、足場も悪い。 追いかけることは難しい。
早歩きで進む鬼山さんに付いて行くこと数分。
何やら物置小屋のような場所の裏側に周り込み、鬼山さんが立ち止まる。
「鬼山さん?」
「この辺りに感じたんだがな……」
やはり頼りにしていいのか不安な魔術だ。
術を使った本人にしかわからない感覚だから、ただ見てるだけのわたしには何もできないことがもどかしい。
「魔物ではなく、違うものに探知魔術が反応しているってことはないですか?」
「探知魔術には複数反応があった上、動いていた。 魔物じゃなかったとしても、このまま逃すわけにはいかない」
動いていたとなると、確かにその通りかも。
魔術による何かが、複数動いている。 その姿がどんなものであれ、わたしたちがどうにかしなければいけない存在であることには違いない。
それにしても、動くモノを探すのは大変だ。 動かないモノを探すのなら、時間さえ使えばどうにでもなりそうなのに。
ふと、人の一生において、探しものをする時間って結構多いのかもしれないなんて考えたり。
そんな探しものをする時に厄介なのが、灯台下暗しなパターンだ。
一生懸命探しても見つからなかったのに、しばらくしてからあっさり見つかったり。
どこを探しても見つからないと思っていたら、探すまでもなく身につけていたり。
答えは意外とすぐ近くにあることが多かったりする。
今回の魔物探しもそんなパターンに当てはまる可能性がないとは言い切れない。
「あれ……?」
考え事をしているわたしの視界に、黒い人影が映る。 わたしと鬼山さん以外にも人がいたっておかしなことじゃないけれど。
このタイミングで現れた人影が、まったく無関係の一般人でしただなんて、あってたまるか。
「鬼山さん、そっちに人影のようなものが……」
「何?」
わたしが指差した方へ顔を向ける鬼山さん。 わたしも自分の指差す方向を見る。
そこには、確かに人がいた。 少し遠いし、暗いので、ハッキリと顔がわかったわけじゃない。
だけど、眼鏡をかけているということはわかった。
「……追ってみるか。 どう見ても怪しい」
「はい……!」
気づかれたことを察したのか、逃げ出す眼鏡の男。
逃げるということは、わたしたちと出会いたくない理由があるのだろうか。
「きゃっ……!?」
「…………!?」
突如、眼鏡の男を追おうと走りだすわたしたちの目の前に、黒い影が複数現れる。
今度は人影などではない。 獣の影だ。
その影の数は、一つどころではなく、合わせて九つ。
「……こいつらが魔物か。 随分と犬っぽいな」
一体どこに今まで隠れていたのやら。
思い当たる場所があるとすれば、先ほどの物置小屋のような場所。 その中に隠れ潜んでいたのかもしれない。
でも、もし仮に先ほどの場所に隠れていたとしたら、わたしたちの背後から襲ってきてもおかしくない。
そうしなかったのは、やはり攻撃の意思がないということだろうか。
「まるで俺たちがあの男を追うのを阻むように、この魔物たちは現れた。 つまり、あの男とこの魔物たちは関係があるのかもしれないぞ」
「じゃあ、あの眼鏡の人は……」
まさか、魔物だけでなく、その魔物を操る元凶らしき人物にまで遭遇するとは思わなかった。
これは何としてでも、逃がすわけにはいかない。
「全部で九体か……。 蕭条、くれぐれも怪我はするなよ。 色々と面倒くさいからな」
「わ、わかってますよ!」
魔物の姿をよく見る。
その姿はまるで、全身が真っ黒い毛に覆われた狼だ。 真紅の眼光に、鋭く攻撃的な牙や爪。
「……何も、してきませんね」
「そうだな」
九体の内、一体だけ他の個体と比べると一回り大きい魔物がいた。
この群れのリーダーとでも言うべきだろうか。
ただ大きさが違うだけならともかく、この魔物の外見はあまりにも特徴的だった。
何故なら――。
「……あの個体、首が二つあるように見えるが、俺の目の錯覚じゃないよな?」
「……はい」
そのリーダーとでも言うべき魔物には、首が二つあったのだ。
双頭の狼だなんて、まるでファンタジー世界に登場しそうなクリーチャーが確かにわたしたちの目の前にいる。
そんな双頭の魔物含めて九体共、まるで攻撃する意思がないようだ。
威嚇するでもなく、ただわたしたちの目の前に現れただけ。
いきなりこんな化け物に出会ったら大抵の人はびっくりして逃げ出すだろうけど、元々化け物を探しに来たわたしたちにとって、これは逃げ出したくなるような状況ではない。 むしろ絶好の機会だ。
「何もしてこないのなら、こちらから仕掛けてやるか。 蕭条、拘束魔術を使え」
「はっ、はい!」
と拘束魔術を使おうとした次の瞬間、九体の魔物はこちらに背を向け逃げ出した。
「逃がしてたまるか……!」
鬼山さんが先行し、手を前に出す。
「鬼山さん……!? 攻撃しちゃうんですか?」
「弱らせてから捕まえるのは常識だろ。 後、できれば状態異常だ」
「それ、ゲームの話ですよね!?」
魔物の生死は問わないとは言っていたけれど、まったく躊躇なしに攻撃する気満々な鬼山さん。
「ちゃんと捕まえる準備をしておけよ」
辺りが青白く明滅する。 鬼山さんの掌から、電撃が発生していた。
これが、鬼山さんの攻撃魔術。 威力は中級魔術相当といったところだろうか。
青い電撃は、見事二体の魔物に命中。 魔物の動きが止まる。 今こそ拘束魔術を使う時だ。
「――蕭条、避けろ!」
「えっ……?」
避けろって……? 一体、何が……。
「あの馬鹿……!」
動きの止まった魔物に対し、拘束魔術を使おうとしたわたしのいる右側で、何かが砕け散る大きな音と、強い光。 思わず眼を閉じてしまう。
体に、衝撃を受ける。 何やら冷たい物体が全身に打ち付けられ、痛みを感じる。
――これは、氷?
「へぇ……。 お前も魔術が使えるんだ」
この声は、鬼山さんの声ではない。 知らない声だ。 声のする右の方を見る。
そこにいたのは、さっきの眼鏡の男だった。
眼鏡をかけているという点以外は、特に目立った特徴のない成人男性。 服装も至って普通。
けれど、その眼差しは強い敵意に満ちていた。
「それはこっちのセリフなんだがな。 それにお前、自分が何をしたのかわかっているのか? 魔術でこいつを攻撃し、殺そうとしていたんだぞ?」
「………………」
鬼山さんにこいつって言われた。 でも、何が起きているのかわからなかった状況が、少しずつわかり始めてきた。
「ああ、そうだよ! その通りだ、僕はお前らをぶっ殺すつもりだったんだ……。 そもそもさ、何でお前たちは魔物を見て逃げるどころか、追ってくるんだよ! クソッ! あいつ、こんな連中がいることなんて教えてくれなかったじゃねーか!」
苛立ちを隠そうとせず、見苦しいくらいに喚き散らす眼鏡の男。
……あいつ? 一体誰のことだろう。
とにかく、わかったことは、あの眼鏡の男がわたしに目掛けて氷属性の攻撃魔術を使用したということ。
おそらく、鬼山さんは探知魔術のおかげで早く魔術の発動に気づいたのだろう。
そしてその攻撃を、鬼山さんが雷属性の攻撃魔術で相殺してくれたこと。
もし、眼鏡の男の魔術が高い威力だったのなら、わたしは最悪死んでいた。
そう考えた途端、心臓の鼓動が早くなる。
「大丈夫か、蕭条」
「はい。 特に怪我はしていないみたいです……」
「……いや、そういう意味じゃない」
わたしが怯えていることに気づいたのか、鬼山さんは心配してくれているようだ。
「……大丈夫です。 助けてくれて、ありがとうございます」
「そうか」
眼鏡の男はわたしたちのやり取りを不愉快そうに眺めている。
九体の魔物たちは、わたしたちが追わなくなったことで、動きを止めているようだ。
「おい、眼鏡」
いつになく、怒りのこもった声。
鬼山さんは眼鏡の男に向けて、
「素直に俺の質問に答える気はあるか? あるのなら、そこまで酷いことはしないでおいてやる。 答える気がないのなら、別だがな。 どうだ、優しいだろう? 俺たちを殺そうとしたお前に、この対応は」
と言い放つ。
もちろん眼鏡の男は、素直に鬼山さんの言葉を受け止めるわけがなく。
「クソが……。 何様だよお前は。 上から目線で偉そうに……! ――行け、魔物共。 そいつらを殺せッ――!!」
交渉決裂。
見たところ、話が通用しそうな相手ではないから、鬼山さんも最初から交渉できると思っていなかったのかもしれない。
でも、まさかここまで明確に殺意むき出しにされるとも思っていなかっただろう。
眼鏡の男の命令を受け、魔物たちが動き出す。
「はははははは! 僕を見下したことを後悔させてやる!!」
「……血気盛んな奴め。 蕭条、気をつけろよ。 魔物たちの力は未知だ。 あらゆる可能性を想定しろ」
恐怖で震える体を頑張って抑えつける。
落ち着け、わたし……。
今までにこなしてきた努力の成果を見せる時が来たんだ。
「…………はい!」
九体の魔物たちは闘争心を露わにする。
感じるのは強烈な殺意。 吐き気がする。
ただでさえ、どこか生理的嫌悪感を抱かせる外見。 それが更に攻撃の意思を抱いただけで、これほどの迫力だ。
こんなのを相手に、わたしはうまく戦えるのだろうか。 不安になり、胃部に不快感が増す。 気持ち悪い。
「…………?」
ふと、眼鏡の男がいた方を見ると、魔物に命令をするだけしてもうその場からいなくなっていた。 魔物以上に逃がしてはいけないのに。
でも、眼鏡の男を追いかけるには、まず目の前の魔物たちをなんとかしなきゃいけない。
「行くぞ――」
こうして、わたしたちと魔物との戦いの火蓋が切って落とされた。




