そんなのありか17
「せんぱぁ~ぁぁいっ!無理ぃっ!無理、無理、無理ぃっすよぉぉぉっ!」っと後輩の悲鳴が。
っか、よぉぅい、うっせいっ!
「ま、頑張れ。
お前も一人前として仕事を任されて長ぇだろーが。
そろそろ任されても良い次期だと思うぞ、うん」って、告げてやる。
「そんなぁ~先輩の後を引き継いでのプロマネって…一番キツイとこじゃねぇーっすかぁぁぁっ!」
いや、なっ、ま、そうなんだが…そのキツイとこを長年やって来た俺へ言うか、それ?
「俺に言ってもどうしようもねぇかんな。
俺には人事権なんざぁ、ねぇ~んだよっ!
文句があるなら主任、係長、課長に言いねぇいっ!」
っか、よぉぅい…
「そんなことを言ってる暇があったら引き継ぐ内容を確認して把握しろぉっ!
俺は会社自体を移動すっからよぉぅい、分からんことが発生してもフォローできんかんなぁっ!」
突き放すように告げるようになるのも仕方あるまい。
結局、俺の仕事を引き継ぐこととなったのは後輩だった。
長年、俺の下で動いて来たことも鑑みての抜擢っうヤツでぇ…大体、俺がPMをやらされプロジェクトのマネージングを遣り始めたのは後輩より若い時分だった筈だ。
そろそろコイツもPMとして独り立ちしても良い時期なのだが…甘やかし過ぎたかねぇぃ…ふぅ。
大林様の案件は着実に進んでいるそうで…開業するレストランの買収も済んでいるとのこと。
レストランのオーナー兼料理人として俺は赴く訳だが…シェフとして俺を導く方も決まったらしいなっ。
藤堂 平次郎氏。
48歳の独身男性にてフレンチシェフとして色々なフレンチレストランを渡り歩いていたそうな。
元来は和食職人にて、老舗料理屋の煮方を行なっていたとのこと。
これが18の頃ってぇんだから、大したもんだ。
その老舗料理屋が潰れ、暫くは和食業界にて働いていたらしい。
椀方、次板を経て花板となったのが23てぇんだから…腕には問題はないのだろう。
ただ…「他の業界も見てみてぇ」って24の時に日本を飛び出したのだとか。
香港にて中華を数年学び、その後でイタリアへと。
暫くはイタリアに居付いていたそうだが…知り合いの紹介にてフレンチレストランっうかビストロへな。
そこで知り合いを助けながら店を切り盛りしつつ腕を磨いていたが…オーナーが歳にて店を閉めることに。
それが切っ掛けで誘われていた日本のフレンチレストランへと…
ま、肌が合わずに、そこを飛び出し他の店を転々とって感じだったらしいのだが…
彼の料理を食べた大林様に惚れ込まれ、大林様組織の会社へと。
現在は傾いた料理屋の立て直しなどを請け負う部署にて腕を振るっていたのだとか…
っか…すんげぇ経歴だねぇぃ。
この人の下で料理ってかぁっ?俺、でぇぃじょうぶなのかねぇぃ…
何せ全くの畑違いの仕事に行き成りってヤツでよぉぅ。
料理は完全な素人なんだが…参ったねぇぃ、全く…ふぅ。
ウエイトレスとして今田 仁菜嬢と今田 佐里亜嬢の就任が決まっており、事務方として蔵 利須惠嬢の就任が決まったとのこと。
資料は送られて来たが…実際に会ったことはない。
いってぇどんな人達なのかねぇぃ。
現在決まっている4人が、それぞれのトップとして、下に数人づつ配属するのだとか。
現在、配属する人員を抜擢中らしい…っか、こんなに大事にして大丈夫なのかぁ?
大林様はお試しでっ、っていたが…全然、お試しじぁっねぇっ!
後輩が隣で頭を抱えてっがよぉぅい、俺が頭を抱えてぇぜぇぃっ!
ま、そんな感じで仕事の引継ぎや新たな職場について、着々と準備を整え、整って行く訳でぇ。
とうとう、俺が会社を去る日がよぉぅい。
部署にて盛大たる送別会が開かれ…っか、我が社の社長、会長、役員だけでなく、親会社のお歴々からも送別会へのカンパが…い、いや…どゆこと?
ま、十分な資金を得て、少々お高い所にて送別会ってなぁ。
大変、美味しゅう御座いましたってかぁっ!
そんな送別会を受け、俺は会社を去ることにな。
先ずは研修ってことで…藤堂 平次郎氏の指導の元、調理について学ぶことにな。
この藤堂氏、実の父が流れの花板だったのだとか。
博打好きで金にだらしない父の借金を料亭の女将が請け負ってくれた恩にて老舗料亭へと居付いた経緯があり、藤堂氏は、その老舗料亭にて育ったそうな。
母親は藤堂氏が幼稚園児の頃に蒸発、以後、会ったこともないという。
そんな環境にて料亭女将が母親代わりってねぇぃ。
調理場が遊び場って感じで、幼い頃からアヒルにて調理修行を、って、をいをい、児童福祉法…大丈夫けぇい?
ま、その甲斐あってか、メキメキと料理の腕は上がったのだとか。
ギャンブル好きの藤堂氏の親父殿は、それを差っ引いても腕の良い職人だったようだが…藤堂氏が中学に入った歳に酔って歩いている所を車に轢かれ身罷ったのだとか。
ただ…その際の保険金にて借金は消え、多少の蓄えも得ることが。
「親父が死んで当時は確かに悲しかったが…借金が消え、ホッとしたのも確かだ。
ダメな親父ではあったが…あれでも俺には優しい親父でなぁ、俺は好きだったよ」
そう語った藤堂氏の眼差しが、印象的だったな…
そんな藤堂氏の調理指導は苛烈を極めるっと言って良い代物だった。
昔ながらの職人的指導って言えば良いのか?
口で言わずに包丁の峰にてダメな箇所を打つってかぁっ!
結構なスパルタで御座いやしたぁっ!




