決断
途中で睡眠を中断したうえに、受け入れがたい事実に直面して俺の体調はすこぶる悪かった。
当直前待機の時間になったので俺は軍服に着替え清掃作業にいそしむことにした。
イワノフ艦長からも普段通り仕事をこなせと命じられていたからだ。
「どうした? マリオ」
無重力状態となり、水が出なくなっているシャワー室の清掃を済ませて、居室の清掃に移ろうと通路を移動していると、目に隈を作り、やつれはてた軍服姿のマリオに出くわした。
当直明けで休憩中のはずだ。
「副長に命じられて今まで点検だよ。ウルジーナのあちこちに仕掛けた爆薬のね」
力のないため息のような返事が返ってきた。
地球に対するウルジーナによる攻撃命令が確定すれば我々は宇宙輸送艦セドナでウルジーナを離れ、地球がウルジーナの軌道を変更できないように推進装置を破壊することになっていた。
「そうか」
「そうだダイスケ、悪いけど、フランクール少尉の食事の面倒を見てくれ。いつも、このタイミングで食事を出しているんだが、ちょっと俺はもう無理だ」
「わかった」
俺は憎い地球の捕虜のことなど、実はすっかり忘れていた。
マリオはとても辛そうに自分の居室に入っていった。
懲罰房は居室エリアから少し離れたところにあった。
二部屋あり、それぞれにトイレがついていた。
その点では通常の居室よりも設備が上だが面積は通常の居室よりも狭かった。
「食事の配給だ」
扉の下の小さい窓からお湯でもどしたフリーズドライの食糧の容器を差し入れ、扉の上に設けられたのぞき窓から声をかけた。
フランクール少尉はベッドの上に足をそろえて座り、うつむいていた。
癖のないまっすぐな金髪が頬にかかっていた。
「マルコーニ准尉は?」
俺に気づくと顔を上げ、サファイアのように深みのある青い瞳を俺に向けた。
顔色は青さを感じさせるほど白かった。
「別の仕事だ」
「そう……」
フランクール少尉の表情からは何の感情も汲み取れなかった。
「先程、地球と火星の艦隊決戦が終了した」
「?」
彼女の表情に何かの感情が動いた。
「朗報だ。君たちの地球艦隊が勝利した」
「…………」
何故、そんなことを言ったのか自分でもわからなかった。
彼女の心をかき乱したかったのか、それとも自分の気持ちを整理したかったのか。
「火星艦隊は全滅し、俺たちの友人も想い人も家族も宇宙を漂うデブリになった」
「…………」
しかし、意外なことに彼女は歓喜の表情を浮かべなかった。
「これで少しは気が晴れたか?」
「晴れないわ」
何故か彼女の答えを俺は予想していた。
「では俺たちは殺せば気が晴れるか?」
そう、彼女の想い人を殺したのは俺たちだ。
「きっと晴れないでしょうね。だって、何をしても結局あの人は帰ってこないから……」
「そうか。ありがとう」
俺はフランクール少尉の答えを聞くと手を振って彼女に別れを告げた。
知りたいことを知り、俺は満足していた。
「失礼します。ダテ・ダイスケ准尉、室内清掃に参りました!」
「入れ」
俺は艦長室の前にいた。
普段通りの清掃作業というのは表向きの理由だった。
俺はリサさんとの約束は果たすため地球への攻撃中止を直訴しようと、決心していた。
室内に入ると、イワノフ艦長は椅子に深く腰掛け憔悴しきっているように見えた。
「艦長、申し上げたいことがございます」
俺は掃除用具を床に置くと、直立不動で敬礼した。
「何だ」
艦長が濁った目を俺に向けた瞬間、彼の腕に取り付けられていた通信端末が呼び出し音を響かせた。
「イワノフだ」
『本国から全軍に向けて一斉通信です。暗号化はされていません。平文です』
通信装置からウーラント少尉の声が声が漏れてきた。
「こちらに転送してくれ」
通信は音声ではなく文字情報のようだった。
通信端末の画面に見入っていた艦長の背中が急に小さくなったようだった。
「艦長……」
「わが火星は、地球に無条件降伏することになった」
艦長は俺の方に振り返り、端的に事実を告げた。
俺の頭は真っ白になった。
その間、艦長がどこかに連絡を入れていた。
「火星は地球に無条件降伏した。ウルジーナによる地球への攻撃は中止する。ウルジーナは直ちに針路変更。針路変更完了後、推進装置は破壊する」
無重力状態でなければ俺は床にへたり込んでしまっていたかもしれない。
しばらく呆然としていた俺を現実に引き戻したのは、艦長室の扉を荒々しくノックする音だった。
「失礼します!」
「どうした? 副長」
艦長室に入ってきたのはクラウゼン副長だった。
ちらりと俺を見た目は血走っていた。
「攻撃中止命令は出ていません! わが祖国が地球に屈するなどありない! このままウルジーナで地球を攻撃すれば我々の勝利です!」
俺は副長が何を言っているのか、すぐには理解できなかった。
「無条件降伏ということであれば当然のことながら、全ての作戦は中止だ。頭を冷やせ副長」
艦長は物憂げだった。
「もう一度言います。攻撃中止命令は出ていない!」
俺は、やっと副長が是が非でも奥さんと娘さんの仇を討ちたいと、地球人を皆殺しにしたいとそれだけを望んでいることに気がついた。
「バカをいうな。祖国が敗北したのに、いまさら悪あがきをしてどうする」
「あなたを火星への反逆罪で処断する」
副長は腰のホルスターから軍用拳銃を抜き、艦長の胸に狙いをつけた。
「気でも狂ったか!」
艦長は椅子から立ち上がり、副長に掴みかかろうとした。
銃声が轟き艦長の胸から血が噴出した。無重力なので赤い水玉となって漂っていく。
「艦長!」
あっけにとられていた俺はようやく呪縛から解放されたように艦長に駆け寄った。
「手当てを」
俺は慌てて艦長の胸の傷口を押さえた。
しかし出血は止まらない。俺の右手はみるみる赤く染まった。
「私のことはいい。早く止めるんだ。ウルジーナを……」
うわごとのようだった。
艦長が助からないのは医者ではない俺でもわかった。
「はい!」
俺はなすべきことを与えられた。
副長は青白い顔をして呆然としていた。
俺は副長に一瞥をくれると、弾かれたように副長の脇をすり抜けて艦長室を飛び出した。
「止まれ!」
副長の怒鳴り声が聞こえ銃弾が俺の耳の脇を掠めた。
廊下の壁に銃弾が弾け、銃声が轟いた。
「どうした? ダイスケ」
マリオが居室から出てきて、血に染まった俺を見て目を丸くした。
「艦長が撃たれた! 俺は『ウルジーナ』を止める!」
俺は通路を泳ぐように移動し、宇宙輸送艦セドナからウルジーナの中央制御室を目指した。
『艦長がダテ准尉に撃たれた! 奴は地球のスパイだ! 見つけ次第射殺せよ!』
艦内放送でクラウゼン副長の声が響いていた。
ひどい話だ。すべて俺のせいにして、おまけに口を封じるつもりだ。
ウルジーナの中央制御室に向かう高速エレベーターには誰にも邪魔されずに辿り着いた。
俺は中央制御室で停止していたエレベータをイライラしながら呼び出し、慌てて扉を閉め行先ボタンを押した。
エレベーターの駆動によるGが発生し、俺の足は床に押し付けられた。
荒い息を吐きながらエレベーターの操作盤を見つめると、俺の手に着いた血糊のせいで操作盤は赤茶色に汚れていた。
俺は血にまみれた右手を軍服の上着で拭った。




