イワノフ艦長
「ダテ准尉、清掃に参りました」
「入れ」
「失礼します」
俺は大声で挨拶すると、他とは明らかに異なる立派な造りのドアを開けた。
「おお、ご苦労だな」
熊のような大男のイワノフ艦長は、高い背もたれの椅子を回転させて、こちらに、こげ茶色の瞳を向けた。
「いえ」
「どうだ。仕事には慣れたか?」
イワノフ艦長は温かみのある笑顔を浮かべた。
「残念ながら……自信があるのは清掃作業くらいです」
「卑下するな。この前も航路のずれを発見したじゃないか」
覚えていてくれて内心とてもうれしかった。
「たまたまです」
俺はにやけそうになる表情を必死で引き締め、室内に視線を走らせた。
副長ほどではないがきれいに片付いていた。
机の上の雑巾がけと床の上のモップ掛けを軽くやれば終わりそうだ。
「ところで輸送艦勤務と聞いてどう思った?」
「……それは……」
机の上の雑巾がけを始めた俺は、突然そんなことを言われて答に窮した。
「面白くなかったろ」
大型航宙母艦ヴァルキュリアで、無人戦闘機のオペレーターになったジェームスの爽やかな笑顔が頭をかすめた。
きっと彼は緊張感とともに、祖国を防衛する責任を負っているという栄誉や充実感を味わっているに違いなかった。
「言えません」
表情を強張らせているのが自分でもわかった。
「まあ、その発言で言ったようなものだ。しかし、補給の仕事はいいもんだぞ。まず、味方に感謝される」
「はい」
艦長は物分かりが悪い生徒を教え諭すように話し始めた。
「人間、飯を食わなきゃ動けないし、鉄砲があっても、弾がなきゃ撃てないからな」
「そうですね……」
軍人らしくない気の抜けた返事になってしまった。
「次に勝利に貢献する重要な任務だ」
「はい」
多分、目が泳いでしまっているだろう、そんな自覚があった。
「あまり、納得してないみたいだな。補給計画がしっかりしてないと、勝てる戦も勝てない。二年前の地球との艦隊決戦で火星が勝利を収めたのは何でだかわかるか?」
ついこの間も卒業式の記念講演でロジャー・ロドリゲス提督が活躍する映像を見たばかりだ。
「高速機動艦隊が活躍したからではないのですか?」
「それもある。しかし、地球が補給を怠ったというのも大きな理由のひとつだ。あの時、地球艦隊は別に全滅したわけではなかった。しかし、撤退せざるを得なかったのは武器弾薬が尽きたからだよ。俺はそう思ってる」
イワノフ艦長が、こんなにしゃべる人とは思わなかった。
今なら、いろいろ疑問に思っていることを質問できそうだ。
「質問してもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「今度の補給任務も重要な任務だと思いますが、自分には今一つ理解できません。なぜ、この時期、大量の核融合エンジンの燃料を小惑星ウルジーナに輸送するのでしょうか?」
俺は作業の手を止め、真剣なまなざしを艦長に送った。
艦長の顔から誇らしげな表情が消え、何かの感情を押し隠すような無表情になった。
「目的地についたらわかる。楽しみにしていろ。重要な任務であることは確かだ」
そう言ったものの楽しそうな感情はうかがえなかった。
強いて言えば『嫌悪』が滲みでているようだった。
艦長の機嫌を損ねたようだと感じた俺は、もう一つの小さな疑問の方を口にしてみた。
「艦長はバステトの艦長とお知り合いなんですか?」
宇宙輸送艦セドナを護衛している宇宙巡航艦の艦長についての質問だった。
出港時にファーストネームで呼び合っていた。
軍務中は余程親しくないとファーストネームで呼び合うことはない。
むしろ多少親しくてもファーストネームは使わないのが普通だ。
「ああ、同期だ。士官学校時代、奴とはルームメイトでな。よく馬鹿なことをやったもんだ。まあ、お前とマルコーニ准尉みたいなもんだ」
そんなに馬鹿に見えるのだろうか、俺たち二人は……
「そうは見えないですね。とても厳しい人のように感じました」
「プロだからな。仕事には厳しいさ。当然だ」
「失礼なことを申し上げました」
そうは言ってもバステトの艦長は見た目が本当に怖い。
モニター越しでも狼じみた空気を漂わせていた。
プライベートで馬鹿げたことをやっている姿は想像できなかった。
「こちらこそ説教じみたことを言って悪かったな。そういえばダテ准尉の御両親は健在か?」
「はい。父は火星の首都タルシスシティで孤児院の仕事をしています」
母は物心ついたときにはいなかった。
それについてはあまり話したくなかった。
「じゃあ、さぞ、息子のことが心配だろうな」
「士官学校に入学した時点で覚悟していると思います」
多分まったく覚悟できていないと思った。
出港時も『無事に帰って来い』と言ったくらいだ。
「そうとも限らんぞ。俺もそうだったからな」
「艦長の息子さんも軍人ですか?」
それなりの年齢だとは思っていたが、そんなに大きなお子さんがいるとは思っていなかった。
「ああ、軍人だった。丁度初陣が二年前の会戦でな」
また過去形だ。
いやな予感がした。
艦長は少し遠い眼をした。
「勝ち戦で我が軍の損害は少なかったんだが運の悪い奴でな。乗っていた駆逐艦に敵の電磁誘導砲の砲弾が命中して爆発した。遺体は見つかっていないが、恐らく生きてはいないだろう」
嫌な静けさが俺に覆いかぶさった。
何かしゃべらないと空気が重すぎた。
「……憎いですよね。地球人が」
「憎いとか悲しいとかよりも、喪失感というか、ぽっかり心に穴が開いた感じだ……それに、頭ではわかっているんだが、心では息子の死を受け入れていないんだ。明日あたり、ひょっこり帰ってくるんじゃないか、そんな風に感じてる」
「…………」
イワノフ艦長には悪いが実感として理解できなかった。
普通は、もっと激しい感情に支配されるんじゃないかと思ってしまう。
「お前やマルコーニ准尉を見ていると息子のことを思い出してな……いや悪い、俺のモットーは人生は明るく楽しくだからな、湿っぽくなるなよ」
黙り込んでしまった俺に気を遣うように、艦長は顔を上げ、声だけは朗らかに響かせた。
「マルコーニ准尉も同じポリシーだそうです」
「そうか、じゃあ、この航海が終わったら、お前ら二人をうまい酒を飲める店につれてってやる。俺のおごりだ」
「楽しみにしています」
艦長は笑顔を浮かべた。
俺も無理やり笑顔を浮かべてそれに答えた。