リサ・リンドルース中尉
宇宙輸送艦セドナが出港してから五日が過ぎた。
俺は当直任務と艦内清掃任務を着実にこなし、平穏無事な日々を送っていた。
『おかしいな……』
中央制御室で天体観測を行っていた俺は、観測結果から『俺たちの乗っている艦は目的地に向かっていないのではないか?』という疑念にとらわれていた。
航行は手動ではない、航路計算に基づいて自動操縦で行われていた。
だから、もし、航路にズレが生じているとしたら、俺の操艦ミスなどではなく、航路計算に誤りがあるか、推進機関に不具合が発生しているかだ。
いずれにしても、早目に対処しないと大変なことになる。
「チーフ、報告したいことがあります」
当直時間が終わる時刻が近づいていたため、操艦担当チーフのアナン中尉が引き継ぎのためにかなり早めに俺の席の横に座っていた。
「どうした?」
アナン中尉は黒檀を削って作ったような端正な顔を俺に向けた。
声の調子からすると機嫌は悪くないようだった。
「航路が微妙にずれています。現状のズレはごく僅かですが、長期間航行を行うと問題が出てくると思われます」
「そんなはずはない。天体観測データの方が間違ってるんじゃないのか?」
アナン中尉の反応は身もふたもないものだった。
確かに俺は新入りのひよっこで、成績も優秀ではなかったが、物事をきっちりやることには自信があった。
しかし、だからと言って上官にそのように主張しても角が立つだけだ。
「わかりました。すでに二回確認しましたが、もう一度確認します」
俺は内心のイライラを押し隠して天体観測データの確認作業を開始した。
「どうかしたのか?」
俺たち二人のやり取りに気づいて、イワノフ艦長が最後列から声をかけてきた。
「はっ、航路にズレが生じている疑義があり、現在確認中です」
アナン中尉の返事を聞き、艦長は顔をしかめた。事態を重視したらしい。
「悪いが副長、確認してくれるか?」
「構いませんが、この件に関しては私以上の適任者が別にいます」
『誰のことだ?』
俺たち操艦担当とはかかわりなく進行している会話に、俺は確認作業を中断して聞き耳を立てていた。
操艦担当士官以上に天体観測や航路計算、推進機関の制御に詳しい人間がいるのかと不審に思ったからだ。
しかし、クラウゼン副長の発言に艦長はすぐにピンと来たらしかった。
「……彼女か。よし、呼んでくれ」
「中尉、御呼びだてして申し訳ない」
「いえ、構いません」
中央制御室に現れたのは、リサ・リンドルース中尉だった。
階級は艦長の方がずっと上だったが、リンドルース中尉はお客さん扱いらしく、イワノフ艦長は随分丁寧な対応だった。
「実は、本艦は航路計算どおりに航行していないのではという疑義が生じている。あまり時間を浪費したくないので、専門家の意見を聞きたい」
「わかりました。確認してみます」
リンドルース中尉は艦長に敬礼で答えると、きびきびとした動きで俺たちの方にやってきた。
「天体観測データを見せてくれますか?」
「こちらです。よろしくお願いします」
俺は立ち上がって敬礼すると彼女に席を譲った。
色白で黒髪のリンドルース中尉は、俺の席にふわりと座ると天体観測データのチェックを開始した。
画面にものすごい勢いでデータを次々に表示させていく。
彼女の黒い瞳がデータを追って小刻みに動いていた。
「おい、ダイスケ。何かやらかしたのか?」
次の当直にあたっていたマリオが中央制御室に現れ、俺の後ろの席から小声で聞いてきた。
「悪い、後で説明する」
「航路計算の結果と計算に使用したデータは?」
「こちらです」
リンドルース中尉のクールな問いかけに答えてアナン中尉が、俺の端末を横から立ったまま操作し、航路計算に関するデータを表示させた。
彼女は関連ファイルを次々に開き、データをチェックしていった。
多分、俺だったら二時間以上かかる作業を彼女はものの一〇分ほどで完了した。
彼女は軽く息をつくと立ち上がり、艦長に向かって敬礼した。
「報告します。まず、天体観測の結果に誤りはありません。航路計算に入っている積荷の総積載質量のデータが前回の航海のときのままでした。データ更新ミスです」
俺は安堵の息を漏らした。
俺の仕事は間違ってはいなかった。
一瞬、笑みを浮かべそうになって、俺は慌てて表情を引き締めた。
ドヤ顔なんかしてチーフのアナン中尉ににらまれたら面倒だ。
「私のミスです。申し訳ありません!」
アナン中尉が艦長と副長に向かって謝罪した。
副長は冷たい視線を返し、艦長は安心したように軽くうなづいた。
「早い段階で気がついてよかった。再計算の上、直ちに航路を修正せよ」
「はい!」
アナン中尉は弾かれたように作業を開始した。
リンドルース中尉はクールな表情を崩さず、操艦担当の席を離れた。
「助かったよ、中尉」
艦長席に近づいたリンドルース中尉に艦長が笑みを浮かべて声をかけた。
「お役にたてて光栄です。いつでも御呼びください」
リンドルース中尉はビシッと敬礼を決め、颯爽と中央制御室から出て行った。
俺は思わず彼女の後姿に見とれていた。




