出港
クラウゼン副長の艦内案内が終了した後、俺たちは中央制御室の自分の席に案内された。
残念なことに、結局、リサ・リンドルース中尉とは全く会話をしないで終わった。
「俺は、アナクレト・アナン。操艦担当のチーフだ。よろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
俺の直属の上司となる人は黒檀を削って作ったギリシャ彫刻のようなイケメンで、背の高い人間が多い火星人の中でも群を抜いた長身だった。
階級章を素早く確認したところ、俺の二階級上の中尉だった。
若々しく、年齢は恐らくまだ二十代だろう。
「わかっていると思うが、操艦担当は舵を握るだけが仕事ではない。他に航路計算、天体観測、推進機関の管理も行う。ダテ准尉には、主に天体観測を担当してもらう。いいか?」
「はっ、かしこまりました」
もともと舵を握れるとは思っていなかった。
基本的には自動操縦なので、積極的に舵を操作しなければならないのは出港時及び入港時と戦闘中に限られる。
そのとき舵を握るのはチーフの仕事だ。
俺のような新入りは、当直勤務のときも舵を握ることはないだろう。
「俺は、ガスパーレ・ガンビーノ。火器担当のチーフだ。よろしくな、マリオ」
「はい、よろしくお願いします」
俺の座る列の後ろではマリオが火器担当の同僚に紹介されていた。
マリオの直属の上司は、赤ら顔で、ウェーブのかかった長めの黒髪、がらがら声でがさつな感じの士官だった。
中央制御室の席の配置としては、一列目が操艦担当、二列目が火器担当、三列目が索敵担当及び通信担当、そして、最後列が艦長、副長、そして予備の席だった。
各担当は原則チーフが真ん中に座り、残り二人はその両側に座っていた。
俺は最前列の端の席で、マリオの席は丁度、俺の真後ろになった。
「本艦は一一〇〇時に出港する。目的地は小惑星ウルジーナ。各員、機器をチェックし、出航に備えよ」
俺は、艦内ネットワークのデータベースを検索した。
小惑星ウルジーナ、直径二九キロ、鉄とニッケルで構成されている金属製の小惑星だ。
火星の資源採掘基地のひとつで、最も採掘が進んでいる。
もともとは一四兆トンを超える質量を有していたが、今は採掘により内部がくりぬかれ、四兆トンに満たない質量となっているらしい。
直径二九キロというのは金属製の小惑星としては決して大きくはない。
直径一〇〇キロを超える金属製小惑星も多かった。
しかし、なぜか火星は小惑星ウルジーナでの資源採掘を優先的に進めてきた。
「艦内、全エアロック異常なし。空調異常なし。水質管理システム異常なし」
「レーザー核融合システム異常なし。起動用バッテリー充電状況良好」
各担当者がシステムの最終チェックを報告し始めた。
俺も慌てて天体観測システムのチェックを開始した。
マニュアル記載の点検項目を一つ一つ確認していく。
「火器管制システム異常なし。多弾頭迎撃ミサイル残弾三〇」
「レーダー異常なし。赤外線センサー異常なし。光学モニター異常なし」
「天体観測機器、正常稼働。周辺一〇〇万キロにイレギュラーな天体なし」
ようやく点検項目のチェックを終え報告した俺は、自分の声が上ずっているのを感じた。
『次回はもっとかっこよく報告できるようになろう……』
「通信機器異常なし。護衛の巡航艦バステトから入電、出港時刻についての最終確認です」
通信担当のウーラント少尉の声とともに、モニターの一部に宇宙港に停泊中の宇宙巡航艦バステトの映像が映し出された。
全体としては大型回遊魚のようなフォルムだが、ステルス性向上のため凸凹の少ない多面体だった。旋回式の電磁誘導砲の砲塔は格納されていた。
データベースで素早く検索すると、巡航艦としては旧式であり、最新鋭の高速巡航艦に比べ速度で劣るとあった。
『憧れのロドリゲス提督が指揮する高速機動艦隊に入れなかった艦か……』
そう思うと妙に親近感がわいた。
「本艦は予定通り出航すると伝えてくれ」
「巡航艦バステトに航路データを送信します」
「昇降口格納完了。宇宙港側に出港の最終確認を行います」
「補助エンジン、エンジン内圧力異常なし」
「宇宙港から連絡、出港に問題なし。オールグリーンです」
「総員、無重力状態に備えよ」
『!』
出港時や入港時、戦闘中は、原則、艦内が無重力状態になることを俺はすっかり忘れていた。
俺は居室に置いてきた荷物を固定していなかった。
まあ、壊れ物は入っていないので困ったことにはならないだろうが、置いた場所ではない場所に移動しているのは覚悟しなくてはならなかった。
「艦長、時間です」
「宇宙輸送艦セドナ発進」
副長の声に応えた艦長の指令でセドナは微速前進を開始した。
宇宙空間に進み出ると正面の大型モニターには真っ黒な宇宙空間に浮かぶ宝石のような火星の姿が映し出された。
直径六八〇〇キロの火星も手のひらに乗る程度の大きさに見えた。
青い海とスジ状の白い雲、そして、赤茶の大地、緑の森、白い極冠など、様々な色彩に彩られた美しい惑星、我々の母なる大地、かつて「赤い惑星」と呼ばれていたことなど信じられなかった。
感動的な光景のはずなのだが艦内が無重力状態になった関係で不快な感覚が込み上げてきた。
すぐに慣れるはずだが、二日酔いの身にはとてもこたえた。
しかし、ここで嘔吐などしようものなら、どんな目にあわされるか分かったものではなかった。
「護衛の巡航艦バステト、本艦の後方二〇〇キロを追尾するコースに乗りました」
遠い距離のようだが惑星間を航行する宇宙船のスピードなら時間にして一〇秒とかからない距離だ。
「バステトと通信回線開け」
巡航艦バステトの艦長がスクリーンに映し出された。
癖の強い黒髪と浅黒い肌の東洋人だった。
目つきが鋭く、狼とか猟犬とか、そんな危険な雰囲気を漂わせていた。
階級章は中佐でネームプレートには『T・トゥエット』と表示されていた。
『トゥエット中佐か』
「トンタット、世話になるな。よろしく頼む」
「ああ、任せろ、イヴァン」
イワノフ艦長とトゥエット艦長は、ファーストネームで呼び合っていた。
どうも、二人はかなり親しい間柄のようだった。
「人口重力発生装置稼動、船体を回転させます」
「予定の回転速度に達しました。現在、艦内重力0・6G」
艦内に重力が戻って来て、俺は無重力を原因とする不快感から解放された。
「あの、チーフ……」
体調が回復し、ほっとした俺は、予定の軌道に乗ったことを確認して隣に座っているアナン中尉に話しかけた。
「なんだ?」
俺と違ってアナン中尉は、まだ緊張の解ける状況ではなかったらしい。
少し不機嫌そうに声だけで返事をした。
目はモニターを見つめたままだった。
「目的地は小惑星ウルジーナとのことですが、この時期、鉱物資源採掘用の小惑星に行く目的は何なのでしょうか?」
俺は気になっていたことを思わず質問してしまった。
先程、副長は積み荷は、核融合炉の燃料だとは言っていたが、地球との艦隊決戦が近いこの時期に、まるでそれとは関係なさそうな業務に従事することに納得いかなかったからだ。
『自分が祖国に貢献している確証が欲しい』そんな気持ちだった。
「燃料を小惑星に運びこみ、現地作業員を乗せて火星に帰るのが我々の仕事だ」
アナン中尉は面倒くさそうに答えた。
慎重に言葉を選んでいるようにも、何かを隠しているようにも感じられた。
本当はもっと知りたかったが、今、これ以上話しかけると完全に機嫌を損ねそうだったので、俺はぐっと我慢した。
航海は長い、そのうち教えてもらうことにしようと考えた。