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始まり

 手渡されたのは詩月の着替えや身の回りのものが入ったキャリーバック、そして、彼女に関する書類が入った封筒である。例えば、転校に必要な書類などが入っていた。他に必要なものはまとめて宅配便で送ってくれるらしい。おそらく、二三日後にはつくだろう、という話だった。

 帰りの特急列車の中で、詩月はぼうっと肘をついて窓の外を眺めているだけだった。そんな彼女を、何ともいえない気持ちで見つめることしか、楠樹にしかできない。

 きっと、彼女は泣かないのではなく、泣けないのだろう。なんとなくだが、楠樹にはそう思えた。

 予期しない両親の死という出来事は子供にとっては受け入れられないくらい大きな出来事だ。それが小学生であればなおさらだろう。多分、彼女の心はその大きさを受けとめる準備ができていないのだ。

 だから、必要なことを全て話してしまうと、楠樹は静かに読書を始めた。それは、最近出版された、近衛(このえ)篤麿(あつまろ)という明治期の政治家についての本であった。


「兄さんは変わらないなぁ」

 読書を始めた楠樹に対して、通路を挟んだ席から千秋が苦笑する。帰る方向が一緒なので、途中まで一緒に帰るのだ。

「どこが?」

「すぐ本読むところ」

 言われてみれば、確かに、子供の頃からよく文字を読んでいた。親に活字中毒なんじゃないかと心配されるくらいで、食事中にその成分表を読むのが癖だった。

「呼んでくれたら家に行くから、遠慮なく頼ってね」

「助かる、ありがとう」

 楠樹はやわらかく微笑む。

 忌引きは、葬式が遠隔地で行われたこともあって、三親等の一日に加え、往復分として一日認められた。一つには、春休み期間中で授業がなかったからでもある。しかも、運のいいことに、忌引きあけである水曜日は、彼にとって休日だった。

 彼の勤める学校は半日土曜授業がある。一方で、完全週休二日制だから、土曜が出勤日の教員は他の曜日に振りかえて休日を取ることになる。それが、彼の場合水曜日なのだ。


 萩原詩月は控えめに表現しても可愛らしい。短く切りそろえた髪の毛に、左側の一房の髪をサイドアップにしている。ぱっちりした目に澄んだ瞳が印象的な、小学五年生だ。

 新年度が始まったばかりの春休みということもあって、転校の時期としては絶妙だ。新しい生活を始めるにはちょうど良いタイミングだろう。

 あの無表情の下にはどんな感情が渦巻いているのだろう、と思うと楠樹はかわいそうに思えてくる。そして、彼女はその感情にいつか向き合い整理しなければならないのである。その時がいつくるか、楠樹には分からなかったが、できるだけ早く来ればよいと思う。


 電車を乗り換え、駅から降りて徒歩十五分、少し古いアパートの二階の一室に楠樹の家があった。2LDKで洋室と和室があるという、単身世帯にしては広めの家だ。これは、彼がゆくゆくは本を買い込もうと思っていたからだった。

「ここが僕らの家だ」

 本以外の物があまりないせいか、男一人の家の割に綺麗に整えられている。洋室は彼の寝室であり、和室はゆくゆくは書斎にしようと思っていた。しかし、今のところは特に何かあるわけではないので、この部屋が詩月の部屋になるだろう。

「……本がたくさんあるんですね」

 リビングダイニングに足を踏み入れた詩月は、おそらく初めて、自分から言葉を発した。

 壁際に背の低い本棚がふたつほど備え付けられており、文庫本から分厚い本まで、歴史系の本を中心に取りそろえられていた。

「本を読むのが好きだからね。僕の寝室にはもっとたくさんあるよ」

 そう言いながら、楠樹は荷物を置いて一段落する。

「狭いけど案内するよ」

 そう言って、彼は自分の寝室と、これから詩月の部屋になる和室を見せた。

「ここの部屋を自由に使ってもらって構わない。明日、役所に行った後、必要なものを買いに行こう」

 こくりと詩月は頷いた。

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