決意
楠樹の実家は父信己の働く診療所のすぐ隣にある、古い家である。夏場は涼しくてよいが、冬場は寒い。元々地元の名主であった南淵家が18世紀後半に建てた家を、折々に改装しながら使っているため、外装はともかく、内装は純和風の日本建築と、現代的なフローリングの部分がミックスした家になっていた。
「お邪魔します」
そんな家をどのように思ったかは分からないが、詩月は入るときにぺこりとお辞儀をすると、抱いていた桐箱を置いて、きちんと靴を揃えてから家に上がった。
「お行儀がよいのね」
千秋が詩月に微笑みかけるが、少女は目礼しただけだった。
桐箱を仏壇に置いて、合掌。この地域では、四十九日の法要のあとに遺骨をお墓に納骨することになっていた。
「詩月ちゃん、お菓子食べるかしら?」
恵津子は木製の更にこんもりとのせたおかきの山を机に置いた。
「ありがとうございます」
椅子の上にちょこんと座った詩月は、しかし、言葉とは裏腹に、じっとおかきを見るだけで、手を伸ばそうとはしない。恵津子は困ったように笑いながら、どうしようかしらねぇ、と呟いていた。
なんとなく、ソファーに座りながら、楠樹は食卓にいる詩月の様子を見ていた。微動だにしないというか、ただひたすらじっとしている。彼女が何を考えているか、その様子からは全く分からなかった。
「それで、詩月ちゃんどうするのよ」
行儀がよいと言えば聞こえがいいが、人形のように何もしない詩月を隣の部屋に置き去りにしたまま、恵津子は信己に尋ねる。
「うちで引き取るしかないんじゃないか。姪だろう」
信己は鷹揚に答えるが、恵津子はみるみる内に眉間にしわを寄せた。夫の言葉が気に入らなかったのだろう。
「駆け落ちした人の子供を引き取るなんて、ご近所さんになんて言われるか分かったものじゃないわ。しかも、それが萩原の娘だなんて」
さすがに声を潜めて、恵津子は言う。
「それに、面倒をみるのは私なのよ?親の葬式で涙一つ浮かべない子なのよ?何を考えているか分からないし……」
信己は困ったような表情をしていた。確かに、家のすぐ隣で働いているとはいえ、実際に面倒をみるのは恵津子に変わりはない。
楠樹としてはどうにもいたたまれない気持ちになる。子育てというのが大変なことなのは分かっているつもりだし、それが他人の子どもであればなおさらそうであることも分かる。
それに、恵津子の言うことにも一理ある。閉鎖的な田舎において、どんなに隠しても、名主の系譜を継ぐような名家の娘が駆け落ちして失踪したことはすぐに広まるだろう。恵津子は自分や夫の体面を気にしているが、それ以上に詩月への風当たりが強くてもおかしくない。名家の子弟に相応しく、鷹揚な信己は気付かないかもしれないが、実際に他家から嫁に来て地縁の恐ろしさを目の当たりにした恵津子にしたら、ご近所からの風当たりが強くなることには耐えられないのだろう。
「お母さんも、さすがにあの言い方はないよね……」
千秋が声をひそめて楠樹に言う。孤児院に入れるわけでもなければ、結局のところ近親者である信己たちが引き取るしかないのである。本来、それをどうするか話し合うべき萩原家は、自分たちの意に沿わぬ結婚を強行した息子に勘当を言い渡し、絶縁したとかで全く姿を現さない。
「そうだな……」
恵津子があの調子であれば、詩月は信己夫妻に引き取られてもあまり幸せなことにはならないだろう、と楠樹は思う。両親が駆け落ちしたのだろうがなんだろうが、子供に罪はないはずだし、今の御時世最も罪深いのは閉鎖的な村社会なのではないだろうか。
「父さん、母さん」
楠樹は一つの決意を元に、ソファーを立っていた。信己と恵津子は話をやめて、息子を見上げる。
「詩月さえ良ければ、詩月は僕が面倒を見るよ」
両親は呆然として、楠樹を見つめていた。