留守番
滂沱の涙を流した翌日、詩月はぱっちり六時に目が覚めると、昨日と同じように朝ごはん作りに取りかかった。
今日は和風、お釜に残っている白ごはんがあるから、味噌汁を作って、他には出汁巻き卵と、昨日の残りのほうれん草のおひたしでいいだろう。これくらいは手軽なものだが、昨日の残りがあるからできることだとも言える。
六時半には楠樹が目を覚まして、昨日と同じ光景にやはり少し目を見開いた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
詩月は食卓に朝食を並べた。
「そう言えば留守番できる?」
朝ごはんを食べながら、楠樹は尋ねる。
詩月の小学校は今度の月曜日から始まる。そして、今日の楠樹は仕事に行かなければならない。
「大丈夫だよ、私、鍵っ子だったから」
さらりと述べた詩月の言葉に楠樹は微妙な表情を浮かべたが、詩月は気付かないふりをした。両親が共働きで、子供が誰もいない家に帰ることは、今の時代よくあることだが、中にはそれを快く思わない大人がいるのも事実だった。
「あとそうだ」
食事の途中だというのに、楠樹は立ちあがると、一度彼の部屋に消えた。すぐに戻ってきて、その手には小さな金属と、お札が握られていた。
「はいこれ、鍵。なくさないように」
「うん」
詩月は小さな金属を手に取った。冷たく、銀色に光るそれを手にして、初めて、この家の一員になった気分がした。
「あとお小遣い、足りなくなったら言ってくれ」
そう言って渡された紙に、詩月は仰天した。
「これ一葉さん!?」
「え、ああ、樋口一葉知ってるのか?近代日本最初の女流作家で……って今言うことじゃないよな」
「ひぐちいちよう、は知らないけど一葉さんなら知ってるんだよ。野口さんの五倍だよ!」
楠樹は苦笑いをしたようだった。
「すごーい!初めて触った!」
「大げさだな……」
「飾ろ」
「使って」
詩月は目を輝かせて、一葉さんを折り曲げたり伸ばしたり、すかして見たりしていた。
「そうか、前の千円札は夏目漱石だったから一葉は漱石の五倍……」
ぶつぶつと楠樹は呟いていたが、やがてはっとしたように顔を上げた。
「取り敢えず、何か必要なものがあったらそれで買いなさい」
「はーい」
いってらっしゃいと楠樹を見送って、詩月は一人ぼっちになった。けれど、寂しくはない。ただ、暇なのが問題だった。
面白い番組がある時間帯ではないし、小学生が読むのにちょうどよさそうな本はこの家の中にはなかった。楠樹の本棚を見ても、分厚くて難しそうな本が並んでいるだけで、詩月が読みたくなるような本はない。
じゃあ勉強でもしようかと殊勝なことを思うと、新年度がまだ始まっていないから教科書をもらっていないのだ。これでは勉強はできない。
結局やることがなくて暇するしかなかった。家の外に出ることはできるけど、よくよく考えたらここらへんの地理をまだよく知らなかった。買い物に行こうと思ったら遭難した、なんてことになったら笑うに笑えない。
結局、昼前にご飯を作った他には、何もすることがなくて、念入りに掃除したり食器を洗ったりするばかりだった。
午後になると、少しばかり興味の出るようなテレビ番組も流れ始めてきた。ぼんやりと見ながら、今までのことを振り返る。
両親は亡くなった。そして、年の離れた従兄に引き取られた。朝は少しばかり元気に振る舞おうと意識的に努力したが、結局のところ楠樹との距離感はつかめない。
どうすればいいんだろうな、と考えながら詩月はテレビ番組を眺めていた。