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序:歴史哲学

「歴史って何だと思う?」

 青年の問いに、少女はまた始まった、と思いながら小首を傾げる。


 青年は歴史が好きで、少女は違ったものが好きだ。


「歴史という言葉は歴と史という二つの漢字から成り立っているね。歴という字は順々に経ることを意味し、史という字は記録を司る人、あるいは記録そのものを指す漢字だ。つまり、時間によって積み重なった記録を指している」


 青年の言葉を、ゆっくりと咀嚼するかのように、少女は聞いていた。


「本来、歴史という言葉は史の一言で表されていた。史記という有名な書物があるね。記録されたこと、そこから転じて過去に文字によって記録された全てのこと、それを表すのが史という文字なんだ」


 漢字というものは、難しいように思えるが、しかし、使いこなせればたった一つの図像で豊かな意味をあらわすことができる、便利なものなんだな、と少女は思った。これがひらがなやカタカナではこうもいかない。


「一方で、英語のhistoryの語源は古代ギリシア語のhistoria、これは探求して知り得たこと、を意味するんだ。ここから物語を意味するstoryも派生したように、あるいはヨーロッパの主要言語で歴史と物語を意味する言葉が同じなように、あまり記録ということに注意されていないような気がするね。もともと戦争を記述するもののみをhistoriaと言っていたらしく、物語性が重視されていたのかもしれない」


 青年が歴史の話をするとき、彼は楽しそうだ。少女は、たとえ話している内容が分からなくても、だから、青年の紡ぐ歴史の話を聞くのが好きだ。


「歴史の歴史――変な言葉だね――これを考えるとき、僕たちは中国の歴史に対する執念を考えなければならない。例えばヨーロッパ史なんかだと、ある歴史の記述の年号を特定するのに苦労するんだそうだ。けど、中国史ではそんなことはない。なぜなら、彼らは執拗に、年がきちんと分かるようにするからだ」


 少女にとっては難しい言葉がでてきても、彼女は黙って聞いていた。彼が楽しそうに熱弁するところを邪魔したくない。

 彼女にとって、青年が話す内容は大切ではなかった。どうせ、彼女が知るには早すぎる話だ。


「中国には正史という、各王朝が記す歴史がある。これは、ほろんだ王朝の歴史を、次の王朝がほろんだ王朝が遺した史料を元に、まとめて記述するんだ。だから、悪政は隠されることなく非難される」


 ペンは剣より強い、という言葉を、少女が知っていたら思い起こしたかもしれない。しかし、彼女は知らなかった。


「ライプニッツという人がね、中国清王朝の康熙帝という偉大な皇帝のことを書き記したんだ。康熙帝という人は驚嘆すべきだ、世界の最強国の君主であるにも関わらず、後代の人の批判を恐れて、善政を行うべく努力している、とね。中国という国は古代から近世に至るまで、最も歴史を重視していた国であるし、その影響を受けた日本も、断続的ではあるけど、それに倣おうとしていたこともある」


 青年は、ここで表情を改めた。やや表情を引き締めて、少女をじっと見据える。


「歴史は大切にすべきだよ。歴史はいろんなことを教えてくれるけど、それだけに限らない。後代から見れば、僕らの時代もまた歴史だ。我々がかつての時代に憧れ、倣い、あるいは恐怖し、嘲笑するように、僕らの時代も、僕らの子孫からどう思われるか、ということは今を生きる僕らが決めるのだから。それに気づければね、自然と、善く生きよう、という気持ちになれるんじゃないかな。善く、というのはどういうことかは君たち自身が決めることだけどね」


 青年は長々と息を吐いた。それによって、少女は彼の話が終わったことを知る。


「……これを、明日の授業で話そうと思うんだけど、どう思う?」

「多分、歴史に興味がない人は寝ると思う」

 少女の容赦のない言葉に、青年は肩をすくめた。

「そうだよねぇ。しかも、僕のような若造が言っても、何の説得力もないんだよねぇ……」

 青年は残念そうに目を細め、思案げにしていた。


 少女は物憂げな青年を眺めつつ、歴史とは全く別なことを考えていた。

 それは、もっと身の回りのことであり、だからこそ、もっと大切なことだった。

 

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