むっちゃん
今、私は心愛の後方、机二個分あたりにいる。心愛は、何か本を読んでいる。
自分でも信じられないほど、鼓動が速くなっている。二千メートルマラソンが終了した直後くらいの速さ。
―落ち着いて、落ち着いて、私。
そう思いながら、どこかの本で読んだ、「呼吸で鼓動を落ち着ける方法」をやってみる。……まだバクバクしている。意外とできないもんだね。
ええい!もう当たって砕けろだ!
ゆっくり近づいて、恐る恐る、心愛に話しかける。
「あの、さ、心愛ちゃん。」
二秒ほどのブランクがあって、「ふぁ?!」という声と共に、心愛が振り向く。周りの視線が厳しい気がするのは気のせいだろうか?
「えっと、何かな、むっちゃん。」
その言葉を聞いたとたん、頭の中が真っ白になって準備していたセリフが吹き飛んだ。
私のこと、「むっちゃん」って呼んでくれる人がまだいたなんて…「イチ」でも「裏切り者」でもなく。
不意に、まだ、「いじめ」なんて考えったことのなかった頃の自分を思い出した。純粋に、真っ直ぐに奈々と遊べていたころの自分…いつからだったのかな。奈々に捨てられるなんて思い始めたのは…
「むっちゃん?ね、どうしたの?むっちゃん?」
急に黙ってしまった私の肩を、心愛が揺さぶっている。
一瞬高ぶった感情が納まってきて、考えがまとまってきた。
口を開こうとした瞬間、
「心愛、何やってんの?そんなヤツ、ほっときなさいよ。」
真華だ。その後ろから、「そーだ、そーだ!」と無言のエールを送っている人たち……奈々の姿は、見えない。
真華が、心愛の肩を後ろから叩こうとした瞬間、心愛の目が鋭くなった。これ…本気の目だ…
真華の手を振り払うと、
「なんで、むっちゃんの話を聞いちゃいけないわけ?」
「は?むっちゃん?何言ってんの?あんなヤツ裏切り者で十分よ。」
「真華ちゃん。私の質問に答えて。どうしてむっちゃんの話を聞いちゃいけないの?」
「そ…それは裏切ったからよ。自業自得ってやつだわ。」
「どんなことで?どうせろくな事じゃないでしょうけどね。」
「なっ、なによ!」
逆上しそうな真華をどんどん追及していく心愛。
その様子を見ていたら、なんだか、ほっぺたが冷たい。涙?知らないうちに、私、泣いていたんだ……
目の前の二人はまだ言い合っている。このまま、戦争になるかもっていうくらい白熱してしまっている。
「もういい、もういいよ……」
気づくと私は、泣き崩れていた。
その後は、もう大騒ぎ。
泣き声を聞きつけた先生がやってきて、その場で事情聴取が行われた。そして、「緊急いじめアンケート」も全校で行われた。
首謀者(?)の真華や凛、一部の男子などは先生にこってり絞られたらしい。おまけに、先生と私の立会いのもと、「もうしないと誓います」という趣旨の契約書まで書かされていた。
それにしても、随分とスムーズに事が運んだ気がする。
どうしてだろう?
不思議に思って先生に訊いてみると、「心愛さんから相談を受けていた」とのこと。じゃあ、心愛に訊いたらもう少しわかるかな?
訊いてみた。
「むっちゃんがいじめられてるのは先生方も知っていたみたい。だからね、もしもの時にはこうしたらいいんじゃないでしょうか?って言ってあったの。先生方はタイミングを見計らっていたみたい。」
え?そんなことしてくれたの?
「…ありがとう。でも、どうして特に中がいいわけでもない私のことを?」
少し考えてから、ふっと心愛が笑った。私の顔が曇ったのが分かったのか、
「勘違いしないで。むっちゃんのことを笑ったわけじゃないから。理由を聞かれるとうまく答えられない自分が変だなって思って。強いて言うなら…困っている人を見ると、ほっとけないからなのかな?」
その後ろに「理由になってないね」と付けたす。
それでも、心愛はやっぱりすごい。
今回は、心愛に助けてもらった。今度は、私が誰かを助けられたらいい。楽じゃないことはわかってるけどね。




