(四)
雅が障子越しに声をかけると、暁光が障子を開けてくれた。その彼を見上げ、雅は立ち上がる。そして手許に持っていた文を彼に差し出した。
「これを」
「……これは?」
暁光は訝しげに雅から文を受け取った。
「智重からです」
「智重……?」
暁光は首を傾げ、文を広げる。
「なぜこれを雅殿が持っている?」
「智重から受け取りました」
「……会ったのか?」
「はい」
暁光は広げた文に目を落とした。そこに書かれた文字を目で追い、彼は目を細めた。
「行くのですか」
その彼に雅は声を掛けた。
智重の許へ行くのだろうか。彼の願いを叶えるために。
「何か方法は、ありませんか?」
「……ない」
暁光は雅の声を一蹴し、目を伏せる。
「俺にはこうして楽にしてやることしかできん」
「……」
その彼に、雅は彼の苦痛を思う。
ここまで共に過ごしてきた友を斬るのだ。それがどれほどの痛みを伴うのか、雅にも想像くらいはできる。
「迷いはありませんか?」
「……」
「智重は私に言いました。何があっても貴方を見捨てないでほしい、と」
暁光が瞼を持ち上げる。
重なった瞳。彼は真っ直ぐに雅を見ていた。その目が一瞬揺れたのを雅は見た。
暁光は戸惑うような間を数秒落とし、掠れた声で言った。
「離れたければ、そうしても構わない」
「離れません」
雅は間髪入れずに答えた。
「私はここにおります、いたいのです、――貴方の傍に」
暁光が目を細める。痛むように、慈しむように細めた目に見えない涙を雅は見た。
その瞳を見詰め、雅はそっと彼の手に触れる。
「きっと貴方がこれからすることを見届けても、私は貴方を見捨てないでしょう。それが智重のためだと、智重自身が言うのですから」
「……」
「――でも」
雅は彼の手を掴む手に力を込める。
「それで貴方が苦しむのなら、私は願ってしまう……貴方が、つらくない未来を」
「雅殿……」
智重の願いも、暁光の決意も揺らぐことはないだろう。
それは智重を前にして、暁光を前にして、雅は知った。
それならば、と思ってしまう。
貴方がつらくない未来を、と。
暁光は雅の手を自分から離させる。だが直ぐに自ら彼女の手を掴んだ。その手の温かさとやさしさに、雅は目を伏せてしまいそうになる。
(どうして貴方ばかりがつらい思いをするのだろう)
生まれが選べないのならば、せめて生き方くらい楽で幸福に満ちたものにしてほしい。彼が笑顔で過ごせる未来があっても、いいのに。それなのに。
「雅殿」
呼びかけは、やさしい声音で。
その声に雅は俯けていた顔を上げる。
彼は微かに微笑んでいた。本当に微かに和らげた表情で雅を見て、彼は言った。
「貴女は俺にやさしくしてくれた」
「そんなことは――」
「目を、見てくれた」
その一言に雅の呼吸が止まる。
暁光はそんな彼女に囁くように続けた。
「目を見て話をしてくれた。笑ってくれた。傍にいてくれた」
そこに卑しい思いがあったことを、彼も知っているだろう。
だが全てがそんな思いから来たわけでもない。
彼の命を狙っていたのに。いつからだろう、彼の傍に自ら寄り添うことを望んでいたのは。
彼の手が、雅の頬に触れる。慈しむように頬を撫で、髪を撫で。引き寄せられた。
彼の逞しい腕に身体を抱き締められ、耳元に彼の吐息を感じた。
「俺は、貴女を愛しく思う」
その声は、吐息。
切なさが、雅の胸を突いた。私も、と言いたかったのに言葉は咽喉に絡まって告げることができない。
「行ってくる」
暁光の身体が離れる。
その身体に指を伸ばす、彼女の手から逃れるように暁光は背を向けた。
「待っていてくれ」
「暁光さま……」
彼の腰には、刀。
その刀身は、友の血で赤く染まるのだろう。
彼は振り向かなかった。
決意と覚悟を胸に、友との約束の地へ歩き出す。




