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(六)

 医者は血が足りないかもしれない、と言った。


 景時に連れて来られた医者は、自分が処置する前に止血はされていたと話した。傷も致命傷ではなかったようだったが、それでも脩仁は血を流し過ぎたのだと言う。これ以上は、彼の気力次第だろう、と告げた曖昧な言葉は雅にひどく不安を与えた。


 雅は目を閉じたまま褥に横たわる脩仁の看病をしていた。志乃は夕飯の準備をしなくてはならないし、男衆はあれから無言のまま屋敷を出て行った。きっと脩仁をこのような目に遭わせた者を探しに出たのだろう。



(でも……)



 雅の中には疑問が残る。玄関で傷を負った脩仁を見た時から、ある疑問が雅の中には生まれていた。その疑いを抱えたまま、雅は樽の中で手拭いを湿らせる。ぎゅっと水を絞ったそれで、汗を滲ませた脩仁の額を拭った。その拍子に、脩仁の睫毛が微かに震えた。そしてゆっくりと瞼を持ち上げた彼はどこか焦点の合わない目で天井を眺めている。



「脩仁さん?」


「……てめぇか」



 雅の声に反応すると、脩仁は目を細めた。その彼の声は微かに掠れていた。



「水を貰ってきますね」


「待て」



 立ち上がろうとした雅の手を掴んだ脩仁の力は、負傷しているとは思えないほどに強かった。その手の強さに引きとめられ、雅はその場に大人しく腰を下ろす。



「傷は痛みませんか」


「……痛ぇに決まってんだろーが」


「……そうですよね」



 雅が思わず苦笑すると、そこで漸く脩仁の手は雅から離れた。彼は寝返りを打とうとして、短く唸り声を上げる。同時に顔を歪めたのは、痛みのためだろう。医者が置いて行った薬は、気を紛らわせる程度にしかならない。



「あの、脩仁さん」



 彼の痛みを思うと、雅は自然と口を開いていた。



「龍神、て聞いたことありませんか?」


「……あれだろ、龍の血を濃く引いている人間のことだろ」


「はい。……私も、その一人です」


「は?」



 どうやら彼も、暁光のこともあって龍神についての知識はあるようだった。それならば、と雅の中に躊躇はない。自分にできることをしたいと思った。



「龍神の血には、人の傷や病を治す力があります」


「ちょっと待て」



 だが雅の言葉の先を察した脩仁によって、声は遮られた。彼は大層不快そうに顔を歪めて、吐き捨てる。



「冗談じゃねぇ。俺は人間の血なんて飲まねぇぞ」


「ですが――」


「そんな気色の悪いことするくらいなら死んだ方がマシだ」


「……そうですか」



 他意はなかった。雅が今まで瀬和の城で求められてきたことと同じことをすることに抵抗などなかった。だから言ったのだが、彼にはその感覚が理解できないのだろう。



「私はそうやって、ひとを助けることしかしたことがないので」



 だが最も助けたかった兄は、戦場で命を落とした。自分が助ける時間すら与えてもらえなかった。もし自分がその場にいたら、と。そう何度後悔しても、意味はないのに悔いずにはいられない。


 俯いた雅を見ると、脩仁は大げさなほどのため息を落とした。そして、ゆったりとした仕草で雅に背を向ける。



「俺はてめぇに助けてもらわねぇとならねえほど、ヤワじゃねぇ」



 彼にしてはやさしい台詞に、雅は顔を上げる。彼の背中が見えた。背中に巻かれた包帯が掛布団の隙間から露わに雅の目に入った。



「脩仁さんは……」


「……何だよ」



 ぶっきらぼうな、脩仁の声。


 雅は戸惑った。自分がこれから口にしようとしていることが正しいことなのかが、分からなかった。だが周りに自分と彼以外気配がないことを確認すると、口に出した。



「脩仁さんは、何か隠していますか」



 脩仁は振り向かない。だが空気が硬直したのを感じた。空気の動きさえ止まったこの空間で、息を止めたのは雅と脩仁のどちらだったのだろう。



「犯人を見ていないというのも、嘘ですよね」


「嘘じゃねぇ」


「それなら、ご自分の刀はどこに置いて来たんですか?」



 雅は見た。


 怪我を負って運ばれてきた彼の腰。そこにあったのは、鞘だけだった。刀身はどこに消えたのだろうか。刀を抜かない限り、それが消えるはずがなかった。犯人を認識しなければ、刀は抜かない。それならば、彼は犯人を見ていたはずだ。



「きっと、皆気付いています。気付いて、あえて訊かないのです」



 暁光は、気付いているだろう。だが彼は傷を負った脩仁に犯人を問うたのは、一度きりだ。刀の行方も、何も訊かない。それが、彼のやさしさなのか雅は分からなかった。


 脩仁は雅に背を向けたままだ。そのまま、険しい声音で言った。



「俺たちは、誰一人欠けちゃならねぇ。……それは、馬鹿な俺にだって分かる」



 それは雅に向けた声ではなかった。独白に近い声音は、雅の耳を微かに撫で、消えていく。


 不意に、雨の匂いがした。その匂いにつられるように、雅は障子によって閉ざされた庭へと視線を投げた。



「俺はてめぇの血なんて飲まねぇからな。とっとと部屋出てけ。邪魔だ」



 雨音の代わりに雅の耳に届いた脩仁の声調は、いつものそれと同じだった。


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