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(三)

 雅が脩仁に連れて来られたのは、屋敷内にある道場だった。雅と脩仁以外には人のいない道場の中に脩仁は進んでいく。そして壁に立てかけられていた木刀を手に取ると出入り口付近で立ち尽くしている雅に振り返った。



「テメェは、剣道できるのか」


「……兄に、少しなら教わりましたが」


「そうか」



 頷いた脩仁はすたすたと雅に近寄ってくる。そして目前で立ち止った彼は、両手に持っている木刀の内の左手に持っている方を雅に差し出した。その彼の行動が分からず、雅は目を白黒させる。



「……え?」


「ほらよ」


「えっと……」



 戸惑う雅に構わず脩仁は彼女の手に木刀を置く。雅はそれを見下ろして、首を傾げた。



「これは?」


「剣道、できんだろ?」


「できます、けど……」



 だがそれがどうしたというのだろう。雅は訳が分からずただ眉間に皺を寄せる。



「あの、これは一体……」


「俺と手合せしろ」


「え? ですが……」



 言いよどみながら、雅は手元の木刀を見詰める。


 雅が兄に剣道を教わったのは、五年も昔の話だ。それ以降も暇を見付けてはこっそりと竹刀を握っていたが、それもわずかな時間。そんな状態で普段から剣を振るっている脩仁相手にどうこうできるわけがない。


 だがそんな雅に構わず、脩仁は彼女の手を掴むと引いた。



「とっととこっち来い」


「……脩仁さん?」


「早くしろ。暁光に見付かったら面倒だろうが」


「……」



 腕をぐいぐいと引っ張られ、雅は脩仁と共に道場の中央へと立った。距離を取った位置で脩仁が静かに木刀を構えている。



(これに、一体何の意味が……)



 そうは思ったものの、自分がどんな言葉を使っても彼が諦めてくれないことは分かっていた。仕方なく、雅も記憶を辿りながら木刀を構える。


 初めに動いたのは、脩仁だった。彼の一歩が強く床を踏み、大きな音が道場内に響いた。その気迫に雅が肩を強張らせた隙に脩仁が一気に彼女との間合いを詰める。反射で踊るように数歩後ろへ下がり、彼の剣技を避けた。だが体制を立て直す隙もなく、次の手が繰り出される。それを木刀で抑えたものの、その強さに腕の筋肉が震えた。彼の木刀を抑えていると不意に彼が腕を引いた。え、と声が零れた直後。彼の木刀が突き出される。彼の木刀が擦れたのは、左腕。そのことに、ひやっと腹の底が冷えた。着物を切り、木刀が肌の上を滑ると同時に雅は腕を引いた。身の危険を感じて、そのまま彼の間合いを広く取った。その時。



「何をしている」



 その声に目を向けると、道場の出入り口に佇む暁光の姿があった。彼の存在に気付いた脩仁が、チッと短い舌打ちをしたのが雅には聞こえた。


 暁光はいつものように表情を変えず、雅と脩仁をじっと見ている。怒っているのかもしれない、と雅は思った。


 道場の中へ足を踏み入れた彼はすたすたと真っ直ぐに雅のところへ向かってくる。



「暁光さま……?」



 びくっと肩を震わせ硬直する雅の目前で暁光は足を止めた。そして視線を彼女の左腕に落として言う。



「怪我をしている」


「あ、はい。大丈夫です」



 きっと明日には治るだろう。そう思ったからそう答えたのだ。しかし暁光はそれで引いてはくれなかった。雅の左の手首を掴むと自分の方へ引き寄せる。



「見せてみろ」


「大丈夫です」



 だってその腕には逆鱗があるのだ。見られるわけにはいかなかった。きっと彼らは雅が龍神だということを知らない。


 だがそんな雅の考えに構わず、暁光は雅の左腕の着物を捲った。途端に、現れた彼女の左腕。その肌の上に光る逆鱗が現れた。



「……」



 逆鱗を見た暁光の動きが止まった。雅の身体に、嫌な汗が浮かぶ。心臓が静かに鼓動を早め始めた頃。


 暁光が、薄い唇を開いた。



「……脩仁」


「な、何だよ」



 暁光に呼ばれた脩仁はびくっと身体を震わせていた。その彼に暁光は淡々とした声で告げる。



「屋敷の方へ戻っていろ」


「お、おう」



 こくこくと首を縦に振ると、脩仁はいつもの勢いの良さを抑えて大人しく道場を出て行った。やはり暁光は怒っているのだろうか。脩仁の様子からして、怒っている暁光は相当怖いのかもしれない。


 雅は道場を出て行った脩仁の背から暁光へと視線を移した。恐る恐る彼の顔を見上げれば、真面目な表情をした彼が先ほどと変わらず雅の左腕の逆鱗を見詰めていた。



「ぎ、暁光さま?」


「何だ」


「えっと……」



 暁光の声音はいつもと変わらない。だが普段から淡々とした口調の所為か、彼が怒っているのか判断できなかった。


 雅は大人しく、彼に頭を下げる。



「申し訳ございません。私、ずっと黙って――」


「構わん」



 雅の声を遮ってそう口にした暁光はそっと彼女の手首を掴んでいない右手で、彼女の逆鱗へ手を伸ばした。逆鱗のすぐ傍に、一筋の傷ができている。先程の脩仁の一撃でできたものだ。薄く切れたその傷に、赤い血が浮かんでいる。その傷に触れるか触れないかの位置に手を翳して、暁光は首を傾げた。



「貴女も、傷は早く塞がるのか?」


「はい」


「そうか……」



 そう呟いた暁光の顔が、どこかほっとしたように見えた。その彼の表情に雅が驚いている間に、左腕を持ち上げられた。そして拒む間もなく、逆鱗に口づけを落とされる。



「っ……」



 ぞくり、と走ったのは悪寒ではなかった。甘い痺れが逆鱗から全身に駆け抜け、腰が抜けそうになったのを寸前のところで耐える。耐えた拍子に彼に掴まれていない右手で彼の着物に縋ってしまった。そんな雅の顔を暁光が覗き込む。



「どうした?」



 痛いほどに鼓動が早かった。恐怖ではない、甘い締め付けと共に胸が高鳴っている。耳まで赤くなっていることが分かって、思わず口が窄まった。



「……暁光さまは、意地悪ですね」


「そうか?」



 暁光は首を傾げている。その紅い瞳は心底不思議そうで。無垢な子供のようにも見えて、雅は思わず笑みを零した。

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