遅ればせの主人公? 「さて…、平和の始まり始まりだ」
舞い降りたのは神だったのか………
〝『そのモノ』〟は始まらんとする戦いの中心点にいた。いつ現れたのか誰も気付かずにいつの間にか音もなくその場にいた。そして現れたら現れたでその場にいる誰よりも存在感を醸し出していた。図々しくも最初からこの場にいたように振る舞いながら。
〝『そのモノ』〟は衆目に晒されるのを甘美と感じ、その込み上げる濃厚な甘さを身体全体で味わっていた。そして自分を中心とする周りの驚愕と興奮と喜涙と緊張で不思議に歪む様々な顔を眺め見て、動物園に連れていってもらった子供のようにはしゃいでいるようだった。
二重存在
〝『そのモノ』〟は二通りの見方をすることが出来たのだった。この見方は21世紀後半現代を生きる者々が科学力を向上させて編み出した概念によって自然発生的に産み出されたものである。
つまり、〝『そのモノ』〟は――――――――
ある者々からは、
黒地に蒼と銀とで幾何学模様が描かれた近未来感溢れるウェットスーツのような物に身を包み、その上に『照り返しの眩しい白衣』を着た肩胛骨辺りまで伸びた紺髪の青年に見えたのであり、
また、ある者々からは
黒地に蒼と銀とで幾何学模様が描かれた近未来感溢れるウェットスーツのような物に身を包む、〝肩胛骨辺りまで伸びた紺髪の青年〟を着た照り返しの眩しい白衣に見えたのだった。
要は、人間か衣服か、それが問題なのである。
とはいえ、どちらにせよ彼らの知った顔であるのは確かなようだった。
「〝碧倉光一〟!!」
「『Génie』様!?」
二つのサイドの代表としてそれぞれ『裸の王様』と『Représailles』がその名前を呼ぶ。今日まで失われたと思われていた一人一服の存在を。
そして彼らにとって重要なのは、〝『それ』〟がどちらなのかということだった。だが、彼らのこの考えは無意味だった。
「「やあ、久方ぶりだね、…」」「…“藤五郎”」「…『Représailles』」
「「!!!!?」」
これは誰もが驚かざるを得なかった。なぜなら〝『そのモノ』〟の声が突然にしてブレたように響き渡ったのだ。まるで実際の声とマイクを通した声とが同時に聞こえたように。
「「ハハハ、どうやら驚かせてしまったようで悪いな。〝『オレ』〟は今、〝碧倉光一〟でありながら『Génie』でもあるのだよ。『オレ』が開発したAI-Linkを〝オレ〟が発展させて作り出した双方通行システムによってな」」
衣服か人間かの問いのジンテーゼ。〝『そのモノ』〟は同時的存在という第三の見方が出来たのだった。それは二重人格とは違うものである。というより、同時表出も可能なことを鑑みれば進化形と言えようか。
彼はそのまま自分の右方できょとんとしている人物に目を向ける。事態を把握しきれない状態に陥りながらも「愛するものを守る」という信念だけは忘れない全裸の男へと。
「やあ、貴方がジルベールくんだってね。初めまして、オレは『Génie』だ」
「えっ?あっ…はぁ」
〝『そのモノ』〟は『Génie』として表に表出してジルベールに握手を求める。ジルベールは一瞬首を傾げたものの、結局はただ流れに身を任すようにそれに応じた。
「ありがとう、貴方のお蔭で全ての準備が整ったよ。それも予定よりもかなり素晴らしい結果でな」
「はあ?」
ジルベールにはわけが分からない。彼が目の前の男の言葉を理解するよりも早く事態が刻々と変化していくのだ。しかし〝『そのモノ』〟は全くそのことに配慮することなく、ジルベール一人から一気に全体に視野を広げてから声高々にいい放つ。
「さて…、平和の始まり始まりだ」
周りが音を一切立てずに静まり返って〝『彼』〟の話に聞き入る。その状態を作り出せるカリスマ性が〝『彼』〟の天才性を証明していた。〝『彼』〟はまず〝彼〟になり周りが持っていた最大の疑問に答えようとする。
「先に諸君が気になっているであろうことに答えよう。すなはち、なぜ『Génie』が生きていたのか」
「そうだ!我々は確かに『Génie』様の死を確認したのだぞ!」
『Représailles』が〝碧倉光一〟の台詞に強く反応する。
「うむ、それに関しては事実。左翼の急進派だけでなく我々穏健派も確認したのだからな。そしてお身体はバルドマルヌに埋葬したのだ」
『Représailles』の発言を後押しするように、続けて衣服らの皇帝である『Grandeur』も当時を振り返るように言った。
「そう、そして〝オレ〟がその墓から『彼』を取ってきて復活させたのだ。自分でやったからなのだろう、内部からPAIが焼かれていて恢復作業は困難を極めたがなんとか成功した」
「そんなバカなっ!あそこには最先端科学を駆使したセキュリティシステムが無数に作動しているのだぞ?」
「ハハハ、おいおい。その最先端科学ってやつは誰が作ったと思ってんだ?あんなもの簡単に抜けられるさ」
「というか、だいいち貴様は“ゲオルギウス”に殺されたんじゃないのか?」
「フフッフハハハハハ、『Représailles』さんだったっけ? てめぇ本当に面白えな。あんなプライドもクソもねえ、嘘ばかり吐きやがるキチガイの言葉を信じるってのかい?」
「…っ」
こうなると『Représailles』はもはや何の言葉も発っせなくなってしまった。〝碧倉光一〟の堂々たる発言は彼自身の才能によって非常に高い説得力を持っていたのだ。とはいえ、『Représailles』は彼に言われたように『狂喜の三挺』のことを信用していたわけではなかった。だが〝碧倉光一〟同様に『狂喜の三挺』の発言もまたその男の類い稀ない戦闘力によって裏打ちされているように思われたからだ。現実に『Représailles』の目の前で先程〝碧倉光一〟の息子が簡単に倒されたのを彼が見ているというのも大きかった。
「おいおーい!そこの〝碧倉光一ぃ〟、お前さんナーニ勝手なこと言っちゃってんの?お前バカじゃね?別に俺、嘘とかつかねーし」
間接的に笑われた『狂喜の三挺』は不満を口から垂れ流しながら狂気に笑みを見せる。
〝碧倉光一〟は男が醸すその不敵さに興味がそそられてそちら側にゆっくりと顔を向けた。
「ほーう、どういうことだキチガイ?」
『狂喜の三挺』は〝碧倉光一〟が挑発に乗ってくれたのに更に気分を良くし狂喜で顔を歪める。
「な~に、簡単な話よ。今からお前をぶち殺すってことさ」
「どうやらキチガイには未来形と過去形の違いも知らないようだな」
「はぁ?お前が死ねばどっちにしろ過去形になるだろうが?」
天才の見下すような侮蔑の笑みと、狂人の欲望に従順な狂喜の笑みとか軽く火花を散らす。二人の周りには他者を寄せ付けないオーラのようなものがあった。
「そんなこと、俺がさせると思うか!」
放たれる威圧感をものともせずに〝碧倉光一〟を庇うように『狂喜の三挺』の前に飛び出たのは〝光一〟と同色の短髪をしたシャルルであった。彼は番犬のように相手を威嚇する。
「…シャルル?」
余程予想外な展開だったのかここで初めて〝碧倉光一〟は呆けたような顔をする。
「やれやれだぞ?シャァールルゥー!確かにお前の戦闘力は並外れていて親父以上かも知んねーが、お前の戦闘技術はだぁーれが叩き込んでやったと思ってんだぁ?このファザコン野郎」
「ぐっ…」
しかし『狂喜の三挺』の方はたいして驚くこともなく面倒臭そうにしながら、さっさと退けろとばかりに大声を出す。もちろん挑発も彼は忘れない。シャルルは少し怯んでしまう。が、持ちこたえて次なる言葉を紡ぐ。
「でも、息子で父親を見殺しに出来る人間なんていねえんだよ!」
「いるよ?俺俺。見殺しというか俺が殺したし」
「悪いが俺は“人間”と言ったつもりだが?」
「あっ?」
窮鼠猫を噛む、この言葉を思い出しつつ少しやる気の出てきた『狂喜の三挺』は彼が発した挑発を嬉しく思った。
「あはは、ははは!ちげえねえな。確かに俺は人間じゃないかもな」
そして、ジャコッと両手に二筒のM134を構える。
「つーわけで、俺ゃー人間じゃねーから手ぇー抜けないんで、チャッチャとくたばっちまえよ」
「っ」
その二本の銃口を見据えながらシャルルはゴクリと息を飲んだ。そんな彼の肩にポンっと手が置かれる。
「ずっとお前には嫌な思いをさせちまったから、〝オレ〟のことなんか嫌いになってっかと思いきや泣けること言うじゃねえかシャルル」
他でもないそれは〝碧倉光一〟であった。
「父さん…」
彼は誰にも見せないであろう優しい顔で睦まじく自分の息子の顔を覗く。シャルルの少し寂しい表情を知った上で、彼は意味深長に呟く。
「お前はそれでいい。決して〝オレ〟や親父や〝爺様〟のようにはなるな」
「父さん?」
「さて、んじゃ…、敵討ちは父さんに任せてシャルルはちょっと見てなさい」
「父さん!? 何言っているんだい?あなたは格闘の方のセンスは…」
「まあ見とけって、一つの才能だけで多数の才能をカバー出来ることを証明してやるから」
そう言って〝碧倉光一〟は自分の息子を押し退けて、二メートル挟んで『狂喜の三挺』と対面する。
「待たせたな、キチガイ」
「大丈夫、安心しな…。俺の二挺と一挺であっちゅう間にイカしてやっからよおっ! あまりにもキモチヨクて快感を覚えて癖になっちまうから楽しみにしてなっ!!」
凶声とともに何の躊躇もなく引かれるトリガー、
豪速で放たれる束のような弾丸
……が、放たれる前に〝碧倉光一〟は『狂喜の三挺』の眼前に一瞬の間に移動した。
その後、瞬く間も与えず両手でそれぞれ魔改造M134二挺の先端に触れると、そのマシンガンは何の予備動作も無しにパーツパーツに綺麗に分解されて床に落ちる。
「ふっ」
「なっ…」
ここまでで一秒もかからない。『狂喜の三挺』から余裕が消える。それを確認して気を良くした〝碧倉光一〟は彼からそれを吸収するように鼻で笑う。
しかし『狂喜の三挺』もさるもの、そもそも非常な重量を持つ火器類を手にあんな軽やかな動きが出来た男だ。何も持たない状態ならどれだけ速いことか。
男は凡そ人間が視認出来ない素早さで弾丸のように、しかしそれでいて無造作変則的な拳と手頭を繰り出す。
だが、それを〝碧倉光一〟はもはや予知レベルの正確さで嘲笑うが如く華麗にかわしていった。
―――――なんだこいつ?なんて身体能力だ。バカな……奴は碧倉光一としては落第点だった筈では?
自分の手数が全く通じない様子、現実を目の当たりにして『狂喜の三挺』は…
――――やべぇ、こいつチョー面白いわ
興奮していた。
彼のスピードは益々上がっていく。通常、格上の相手が現れた時には人間、臆してしまい焦り恐怖を感じるものだが、この男は全くの逆だった。自分よりも強い奴がいたならそれを薙ぎ倒したいという欲望が生み出され、彼の力が加速度的に上昇していくのだ。
―――あハ
そして、ついに右手に手応えを感じる。視線をそこに辿ると〝碧倉光一〟の首もとにある。
彼はついにその腕で奴の首を
「…掴んだと思ったか?」
「ハ?」
「掴ませたんだよ、そうすりゃ蹴りを当てられるだろうがっ!!」
ポンと地面を軽く蹴り宙に浮く〝碧倉光一〟。そのままゆっくりとサマーソルトの要領で半回転し自分の足を男の顎にトンとぶつける。
見た感じだけでは蚊すらも殺せないような勢いだったが、その蹴りは物理法則をガン無視した運動エネルギーを男に与えた。
「吹き飛べ、戦争狂」
「あっ?」
気付いたのは寒かったからだった。
瞳を開けると白いものが辺りに広がっている。
水蒸気かなんかのようで肌表面にぶつかって濡れていた。
「太陽てな、こんな近かったか?」
そして感じる浮遊感。
「まあ、いいか…どうでも」
それが落下に変わるとき、彼は全てのことを思い出す。
とはいえ、それはもう少しだけ後のことだった。
彼はそれまでしばし夢心地を味わう。
今までに味わったことのない。