人間サイドの対応 「全ては愛すべき人間の為に…」
「ふむ、今日もいい天気だな」
そのオッサンは生まれたままの姿で偉そうに立っていた。
ここは『楽園再生』の本部。
つまり人間サイドの総本山であった。
彼の周りには本が本棚に収納されているようにびっしりと余すことなくパソコンが各所に積まれてあった。それは大から小まで、新から旧まで、ブラズマからブラウン管まで、多種類も。中にはポケベルや旧時代のスパコンまであった。パソコンで造られたオベリスク形のオブジェが幾つも連なっていたのだ。更にパソコンは床いっぱいにも広がっている。部屋の規模は東京ドーム一つ分くらいあったようだが無数のパソコンに場所をとられている為に今は電車の車両二つ分くらいしか残っていなかった。
にしても無機質な大地に突っ立つ全裸の肥えたオッサンというミスマッチが極まり過ぎる風景も他にないだろう。もし写実主義の風景画家がこの絵を書いたのならシュールレアリスミストと間違えられるのではないだろうか?
場所はイギリスがロンドン、そしてこのパソコン群が置いてある東京ドームのような建物はもしかしなくとも2017年の世界陸上競技選手権大会の開催場所で、2012年のロンドンオリンピックで陸上競技会場として使われたOlympic Stadiumである。
「『裸の王様』、報告に参りました」
そんな幻想空間に拳の入ったアルトボイスが響き渡る。あらわれたのは170㎝の身長に40年以上は昔のタイプのタブレットPCを手にしている金髪の女性であった。空いている方の手で眼鏡をクイッとさせているその姿は紋切り型の秘書を想像させる。
しかしその雰囲気は全裸という最もテンプレートな格好で粉々にぶち壊されていた。
全裸のオッサンと全裸の女性秘書。
アダルトビデオを見ているような錯覚にとらわれるが未来では日常茶飯事なのである。
「それはご苦労だったヴァージニア君。では、報告をしたまえ」
『裸の王様』と呼ばれたオッサンは彼女に向き直って険しい表情になる。促された彼女はタブレットPCを相手に向けたまま画面をスライドさせて報告の資料を見せる。
「はい、では先のトーキョー戦線の話ですが数分前に『幸福な世界』軍を完全撃破しました。これで日本はカントーの全てを奪還しました。ヴォルゴグラード戦線は未だに継続中ですが善戦しています」
「ほっ…ほう、それは素晴らしい報告だ。やはりAMD弾使用兵器の威力は絶大か」
『裸の王様』は秘書の報告に満足気な顔をする。
「これまでハピクロには先手を回られていましたからね。そもそも相手は衣服とはいえ、全てが必ず一人の人質を抱えていますから、こちらは道徳的に強気に攻められません。更に、2020年以降の兵器は古いのでもdate-flowやneo-Noiman形式の演算装置が内蔵されているので、彼らのAI-linkで使用不可能にされましたものね」
AI-linkとはPAICが人間の脳に干渉する方法を応用して、グローバル接続を通して同型式のPCをハッキングする裏技である。安全性と戦略性の為に兵器を遠隔操作可能にした穴を突いたのである。実はこれは『Genio』の研究成果の一つだった。
「そうだ!だが、我々は諦めなかった、活路を見出だした!まさか、あの奇人が作ったAMDが突破口になるとは思わなんだがな」
ヴァージニアがこれまでの苦労を思い出すような顔をしたのを見て、『裸の王様』はそれに同感し興奮のあまり拳を振り上げながら自分の中の熱いものを表現する。
Dr.F.アーノルド
21世紀最大の奇人と言われた科学者の名である。
彼はノーベル賞ものの大発明を連発させた天才だったが道徳的倫理的理由で世論から不評を買い、生前は賞が貰えないは愚か、博士号も剥奪されて学界を永久追放され、死後も各地から損害賠償請求が届くほど歴史に類を見ない不名誉な人物であった。
彼はハイスクール時代にある趣味があった。それはコンビニのアルバイトで稼いだお金で日本製のアダルトゲームを買い、プレイすることだった。特にRPGものに興味があり、スライムが女の子の服を溶かしているのに非常にリピドーを感じたのだった。
そしてここからが普通の人とは違うのだが、彼は「このリピドーは決して自分だけのものではない、きっと誰もが望んでいることだ」と勝手無根拠な妄想をし、その信念だけでイェール大学を首席合格し、博士号を取得後僅か三年でAMD、『服だけを溶かす液体』を発明したのだった。しかし…というかやはりというか、その液体はしばしば悪用され―――そもそも善用があるのだろうか―――彼は世論から大バッシングを受けたが、構わずにこの後も湯水のように変態性、犯罪教唆性を含む問題のある発明をしていく。この後は前述の通りである。
そんな不名誉まみれの彼だったが、2058年に遂に転機が訪れる。それがこの人間と衣服の戦争だったわけだ。先程に秘書が言っていたようにPAICは常に人質を取っているような形だが、このAMDは「服だけを溶かすため」に彼らに有効手段として使えるのであった。
銀子が『楽園再生』の軍勢に追われていたときに、彼らが“一昔前の兵器”に使っていた弾にも全てAMDが搭載されていたのだ。
「ふふふ、今こそ我々は楽園を再生させるのだ。アダムとイヴが裸で自由に暮らしていたあの頃へ!邪悪なる衣服を打ち倒し、いさかいの無い、束縛の無い、不穏の無い、平和な世界を獲得するのだ!」
『裸の王様』は両手を腰に当てて、何かに向かって宣言してからひとしきりガッハッハと笑った。
「それにしても話は変わりますが、こんな奇妙キテレツな部屋によく常にいれますね」
秘書は改めて旧世代の“物質型コンピュータ”の群れを見回しておぞましさを持って言った。
「そんなことを言っても仕方ないだろう? いくら衣服サイドに『Génie』クラスの天才がもういないとはいえ、奴らの『物体電気端末利用型クァンタムコンピュータ』の演算力は我々にとって脅威だ。だからといってAI-linkされる可能性があるからこちらも同じPCを使うことはできない。なら旧世代のパソコンで対応するしかない。塵も積もれば山となるってやつさ。特殊重畳理論を応用した並列繋ぎをしているからこれで奴らに匹敵する力を持てたというわけさ。なら愛するならまだしも嫌悪だなんて有り得ないだろう?ヴァージニア君」
「理屈は分からなくもありませんが常人には厳しいものです。この牢獄…いや、ある意味で牢獄よりも酷いこの環境に毎日一日中過ごせる王様の信念には我々一堂感服致しますわ」
人間が敵対しているのは衣服であったが、もっと科学的視点を持って言えば衣服の思念を練り込んだ完全人工知能だと言える。
そもそもAI研究は21世紀に入る以前から行き詰まりがあった。それは“世界”のモデルを脳内で創造しそれに基づいて判断して行動するという方法では難易度の逆転現象が起きてしまうということだ。
早い話、AIはチェスで相手を負かすよりも、障害物を避けながら道を歩くことの方が難しいというのである。なぜなら歩くというのはチェスと異なり明確なルールがなく、更に様々なイレギュラーが存在するので記号化するのが難しく、そうなると膨大な情報量を高速処理しなければならないからだ。
人間はもちろん、演算力の遥かに劣る昆虫にすら出来ることがAIが出来ないのはおかしい。だから研究者は「これは方法論が違うのだろう」と判断して、別の方法論にシフトしていきこの方法論は下火になっていった。
しかし他の方法論があまり大きな成果があげられない中で、21世紀二大発明品と名の高い製品が現れた。
それがさっきから何度か名前の出ている、物体電気端末とクァンタムコンピュータである。
前者は従来のプラズマ方式に代わって現れた端末で、とある光学実験の副産物として偶然に生み出された固体化(厳密には不適当だがこの表現の方が分かりやすい)された電気(電子物質)を用いて造ったPCである。元が電気なのだから電気電導率は100%で、この方式のPCは記憶量という概念が薄れる程に無限の記憶量を持っていたのだった。
対してクァンタムコンピュータとは量子力学を利用した演算システムで、2012現在にほとんどのPCが採用しているvon-Noiman型では実現不可能な計算をも可能にするものである。
そう、そしてこの『無限の記憶量』と『高速の演算力』の組み合わせはAI研究の古い方法論を強引に解決してしまったのである。
それがこの時代の、この世界のAIの正体。つまり人間は、人間と同じような思考の、しかし人間とは全く別の原理で動いている存在と戦っているのである。
「全ては愛すべき人間の為にだ、彼奴らと戦うにはそれくらいの覚悟が必要なのだ。このパソコンのお陰で独自のネットワークを組めて通信手段も円滑に出来たし、AIの穴を突いて戦いを優位に進めさせることも出来た」
そう言って『裸の王様』は我が子を褒め称えるように、オブジェのようなパソコンの集合体をパシパシとはたいた。ヴァージニアは彼の演説に酔いしれたのか熱狂な信徒のように一転して彼とパソコンをうっとりと眺めた。
そして『裸の王様』は再び顔を険しくして彼女の顔を見る。
「ところでヴァージニア君、報告とはそれだけかね?」
「これは申し訳ありません。用件はあと二つあります」
「一つは…あれか?確か捕らえたハピクロの輩をゲロさせた時に出た…七回忌とか言う…」
『裸の王様』は秘書が言う前に人差し指を額に当てながら思い出す。
「はい。それに関しての詳しい情報が入りました。場所はパリ、日付は8月4日」
「なんと!明日ではないか!」
「今は詳しい情報調査に奔走しているようで、新しい情報が入り次第逐一報告します」
「うむ、して二つ目とやらは?」
『裸の王様』はヴァージニアに続きを促す。彼女はすぐに答えた。
「はい、それが『幸服な世界』の第一皇女逃亡を幇助した男の現在位置が分かりました」
「ほう、闇ギルドのクソガキか…、で、どこにいる?」
『裸の王様』はここで初めて怒りを顕にして毒を吐く。それほどジルベールの妨害は『楽園再生』にとって歯痒かったのだろう。彼の脇でヴァージニアは自身のタブレットPCを指で撫でながら操作して一枚の写真を表示させた。
「衛星が捉えた画像です。10分程前のものですが現在も捕捉中です。地点は北緯43度17分51秒、東経5度22分38秒 、2013年に欧州文化首都になったプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏ブーシュ=デュ=ローヌ県の県庁所在地のマルセイユです」
「ふむ、フランス……それも『幸服な世界』と目と鼻の先の服飾ギルドの聖地か…そうか…」
『裸の王様』は憤怒をなんとか抑え、一度息を吐いて落ち着いてから腕を組んで目をつむり数刻の思案に耽る。
「よし、ヴォルゴグラード戦線にいる『狂喜の三挺』をパリに送り、マドリード支部にいる『脱がし屋』率いる遠筒部隊は反逆者の男の討滅に向かわせろ」
そしてポンと手を叩くとつらつらと指示を飛ばした。
「王様!? 『狂喜の三挺』をパリに行かせるのですか?せめて逆にすべきです!あの男は危険です!なにせ…」
「そんなことは分かっている!」
『裸の王様』が言っていたことがあまりにもぶっ飛んでいたのか取り乱していたヴァージニアを彼は気迫で諫める。彼女が落ち着いたところで彼は切り出した。
「だがなヴァージニア、『Génie』の七回忌ともなればそこには格の高い面子が揃う。なにせあの天才の死こそが奴らが闘う理由なのだからな。そこを一網打尽出来るチャンスはもしくは二度とないかも知れん。不本意だが不意にするわけにはいかぬのだ。奴は一癖あるが戦士としては申し分ないものを持っている。戦いだけなら、あの〝碧倉光一〟をも超えるのではないかと私は思うくらいだ」
「しかしそれならばその場に軍勢を送り込めば…」
「ならぬ、奴らもそれを承知で大軍をパリに敷いているだろう。ここのところの戦線が勝っていたのはこっちに兵を招集していたためかもしれん。ここは単体で且つ大火力を持つものでなければならないのだ。まあ、だが…遠筒部隊に関しては件の男を処理した後に向かわせよう。役割は援軍と…」
「…事後処理ですね」
「ふむ」
ヴァージニアは言わなくても分かると『裸の王様』の口許に手を持っていった。処理とは戦闘終了後に味方の危険因子を排除するということだ。
「では『狂喜の三挺』をV-22 VTOL機でパリへ輸送しますね」
「いや…オスプレイを使うのはやめてくれ。一応は有力機として戦線で使っているが安全性が微妙だ。重要な作戦だから慎重にいきたい。加えて隠密性にも特化した方法で頼む」
「分かりました、オスプレイは危険ですものね。考慮します。では、私はこれで」
そう言うと、ボーウッドはくるりと180゜反対を向いて部屋を出る。彼女が出ていって一人になった部屋で『裸の王様』は椅子に座り印刷された一枚の写真を見る。
「いよいよ最終決戦が始まるか……」
そこには白衣を着た何人もの研究者が写っていた。
「しかし『Génie』よ…、これが本当にお前の望んだ〝未来〟だったのか?」
全裸の肥えたオッサンは問う。
しかし、虚空は何も答えない。
ただ沈黙を貫くばかりである。
【あとがき】
えっ?
衣服サイドの皇女がめちゃ可愛いからって、人間サイドも同様に可愛い女の子だと思った? 残念!肥えた全裸のオッサンでした♡
…、すんません、いま思いついたんでやりたかっただけです。
そしてさらにすんません。
完全に説明回だったわこれ。つまらなかったと思いますが、どうもこの辺でいろいろ説明しておかないとあとで収集がつかなくなりそうなんで…。AI研究はジンギスとか掃除ロボットの…名前忘れたけどあの辺のシチュエーションロボティクスが主流と言えますが今回は敢えて別の路線で行きました。
あと、現在や近未来と少しリンクしているのも工夫しました。ここまでくると分かると思いますがこの物語の舞台はヨーロッパです。そしてパリ、ミラノ、ロンドン、マドリードときたら最早バレバレの仕込みですね。
ああ…、あと何気にステルスクリティシズムしてるんじゃねえよと思うかもしれませんが…、あえてノーコメントということで。
では、また明日。
次回は説明回の反動でちょいバトル?
8月7日、致命的なミスを修正。