史上稀に見る接触 「じゃっ…じゃあオレが平和にする!」
一人の少女が逃げていた。
その少女は黒いお下げ髪の小柄な体躯だった。顔は地味でお世辞にも可愛いとは言えなく、一般人という部類に紛れたらまず目立たないステルス迷彩もびっくりな女の子と言えた。
しかし惜しい哉、少女の着ているドレスがあまりにも際立っていた。ブラウンを基調としたチョコレートケーキのような配色の雅なドレス、少女が走る度に揺れるドレスの動き様は常にシャッターチャンスだといえた。
「はぁ…はぁ……」
「追えっ!逃がすなっ!」
「いいか!ターゲットを絶対に仕留めろよ!」
「こっちだ!」
「待てーっ!」
息が上がり、心臓のペースが上がる度に緊迫感の募る少女を追うのは無数の男女だった。彼らはたかだか非力な少女一人を相手するというのにPKMやM240のようなマシンガンやFGM-148やRPG-7のようなミサイル砲までも携帯していた。
だが、真に驚くべきはそんなところではなく、彼ら彼女らの格好であった。
それは奇っ怪で派手な格好ではない、どころかそれは時代を問わず実にシンプルで実にベーシックな姿であった。
つまり、裸である。
生まれたままの姿で恥部を一切隠さずに、恥ずかしがりもせず見せようとするのでもなく自然体でいた。まるで誰もが皆ちゃんと服を着ているように平然としているのだ。
その普通さが逆に異様で恐ろしかった。少女はどこまでも逃げ惑いやがてとある路地裏に入った。
「っぁ!」
しかし彼女の歩は止まる。なぜなら目の前に全裸の男が現れたから。年の頃は20代くらいだろうか、それなりに筋肉質な身体をしている。彼女は終わったと思った。しかしその全裸の男は予想外の行動をとったのだった。
「早く!逃げるよ!」
男は少女の手を取り先導して走り出す。彼は路地裏を知り尽くしているようだった。真っ昼間だというのに夜と変わらない暗さを呈する空間を風のように切り裂いていく。しかしどうあっても裸の男と豪華なドレスに身を包んだ地味な少女が走るのはコミカルにしか映らなかった。
やがて男は止まり目の前の青のポリバケツをどかす。どかした地面には小さな扉のようなものがあった。
「!?」
「さあっ!入って!」
見知らぬ男の呼び掛けに一瞬躊躇った少女だったが、背に腹は変えられず覚悟を決めたように中に入る。扉の中は地下に繋がる階段になっていて一番下まで降りきるとまた新たな扉があった。その戸を押すと少し広めの部屋に出る。ここに来てようやく男はニコッと笑って振り返った。
「へへへ、ようこそ。ここはオレの家だよ」
少女は男の屈託のない笑顔に数秒圧されてしまったが、すぐに威厳を取り戻したかのような険しい顔になる。そして腰にあったものを取り出した。
「貴様は誰じゃ!裸なところを見ると『楽園再生』じゃないのか!」
「わわわ危ないから!しまってしまってそんな物騒なものは!」
少女が持っていたのは赤塗りの拳銃だった。未来だと言うのに50年前のものと対して大きさが変わらないのは、それが小型化に成功したレールガンだからだろう。男はその見事な体つきに似合わずおどおどとした。
「違う!違うよ! オレは『楽園再生』のような扶裸滅服主義者なんかじゃない! 寧ろ逆さ! オレは服飾ギルドのメンバーだって! じゃなかったら助けないって!」
「服飾ギルドじゃと?」
少女は小型レールガンを降ろす。男はホッとしたようにその場にへたりこんだ。
「はあ…はぁ…、そう。元々は大手衣服メーカーに就いていたんだけど、あの戦争以来『楽園再生』のせいで会社は倒産。今は一介の衣服好きとして服飾する闇ギルドでレジスタンスやっているわけ」
「ふむ、そんなものが。じゃが貴様は何で服を着てないのじゃ?」
「ああ、少し長くなるけど、元々は『幸服な世界』…通称ハピクロに肉親を奪われて始まった『被害者の会』がだんだんと拡大化してって、その過程で思考も螺曲がっていった『楽園再生』が衣服を毛嫌いするあまり国際法で証明物秘匿罪っていう法律を制定させたんだ」
「なんじゃそれは?」
少女は訝しむ。
「うん、『PAICに操られた人間だと勘違いされないように、外に出るときはいかなる衣服も着てはならない、もし来ていた場合はPAICの一味だとみなす』って法律さ。それで、レジスタンスって言ってもオレ達は隠れキリシタンみたいなものだから違反するわけにはいかないんだ。別にただ衣服が作れるだけで力は強くないからね」
「なっ…なんじゃ…? その猥褻物陳列罪の真逆に位置するような法律は?」
少女は飽きれ混じりに話す。しかしこの男が敵ではないことを知って安心していた。
「けど今の反応。君は服飾ギルドに所属していないようだけど何でドレスなんか着ているんだい? だいたい証明物秘匿罪すらもしらないなんて『常識人。』ですら珍しいよ?」
「えっと…それはじゃなぁ」
言葉が出なくなる少女。どうやらこの男は本当に事態を理解していないようだった。さっきの説明を聞くに、大方「秘匿罪で逃げていた服飾ギルドの同志」とでも勘違いしていたのだろう。しかし今から本当のことを言うのも憚られた。しかしこの戸惑いは杞憂に終わった。
「まっ…なんでもいいけどね。オレは君が素敵だから助けたんだし」
「なっ…」
少女は頬を染めた。またしてもこの男は予想外の動きをしたのである。しかも男の瞳はどこまでも透き通っていて発言には誠実さがあった。
「本当に素敵過ぎるドレスだ。非常に羨ましい! 着用している君は地味でマイナス点だけどそれを入れても非常に美しい。 特に肩部、胸部、スカートのこの比率が秀逸だね!」
……………誉めていたのはドレスの方だったが。
「…………っ」
しかし少女は何故か先程にも増して恥ずかしさで顔を赤らめた。
「オレはね。ドレスフェチなんだ! ドレスを愛して病まない! ドレスは俺の嫁! そしてドレスコーディネーターとして、もうドレスを何千何万着仕立てたか分からないよ!」
そう言うと男は辺りを指差す。少女は部屋中に掛かっていたドレスを見て驚きを隠せなかった。しかもどれも丁寧に保護されている。
「まあ、ここにあるのは一部なんだけどねー」
「みんな…嬉しそう……」
少女は思わず呟く。 絶景に茫然自失としているようだった。
「嬉しい比喩だね」
男は相変わらずニコニコとしていた。少女はそれを聞いてムッとなる。
「これは比喩なんかじゃ!…いや…その…」
しかし反論しようとして、ハッと気付いたように言葉を止めしばらくおどおどする。
「まあ、貴様になら良いか…」
さんざ悩んだ挙げ句少女は決心したように男に向き直る。
青年の天然そうな気質を見て、大丈夫だろうと高を括ったのだ。仮にも命の恩人なのだし。
「コホン、良いか? 驚くなよ。実は妾は自我を持った衣服、PAICというやつじゃ」
「へ?」
男はハテナマークを頭に浮かべてから、舐めるように何度も反芻して、やがて実感する現実にわなわなと震えて少女を見た。それが少女には「敵であるPAICを恐れている」ように見えた。
――――――あぁ…やはりこの男もダメじゃったか
だからこのように少女…もとい豪華なドレス型PAICが後悔した矢先だった。
「すっすっ…すげー!」
「へ?」
男は急に声を上げたかと思ったら、たまにぶつぶつ呟きながら終始興奮した状態でいた。
「っと…いうことは今オレが喋っているのは君なのかい?」
と言って男は少女の顔から胸へと視線を落とす。ちょうどそこはドレスの頭ともいえた。
「そうじゃ」
「なっ…名前はなんて言うんだい?」
「妾の名は『Ginkgo』。日本語で“銀杏”という意味じゃ」
「ぎっ…ぎぃんくぉ?」
「しかもハピクロの第一皇女じゃ!」
「第一皇女!?」
「ふふふ、驚いたかえ?」
「まあ、そんなことはどうでもいいけどな」
「どうでも!?」
『Ginkgo』の予想では男は腰を抜かすくらい驚くとばかり思っていたが、意外にも興味なさそうにスルーした。
「だって、君はこんなにも美しいじゃないか!姫様だなんて当然だと思うよ!」
「なっ…貴様は先刻から何をそのような恥ずかしげなことをペラペラと」
『Ginkgo』は顔を真っ赤にしながら声のトーンを落として床に女の子座りになる。
「ところで銀子ちゃんはなんでこんなところに?」
「それはな…って銀子ちゃんって何じゃ!?」
「いやー、なんかさっきのちょっと言いづらかったし、“銀杏”ともかけて銀子ちゃんってことで」
「うっ…まっ…まあ良いわ」
意外とあっさりと引く銀子。
「それで…なんでなんだい?姫様なんだから普通は王室にいるものなんじゃないかな?」
「妾はその王室で無知なことをバカにされたのじゃ! お父様の直接の娘だというのに無能だとな! じゃから世界を知るために“地味な人間を着て”お忍びで人間の生活圏に来たのじゃが何故かバレてのう、例の秘匿罪のせいじゃ、あれさえなければ」
姫様は地味な人間を着さえすれば自分の絢爛さが隠れると思っている時点でかなりぬけている性格だろう。そういった意味では青年と銀子はお似合いなのかも知れない。
「お父様?」
男は疑問を口にする。
「うむっ…、妾達のお父様は人間のせいで死んでしまった。あんなに誰もに優しかったパパがっ…ひっう…ひっ」
姫は言いながら思い出し泣きしてしまった。もちろん涙が溢れるのは少女の顔からだが。
「だから妾は人間が嫌い…嫌いだった…けど…」
「けど?」
青年は考えなしに語尾をこだまする。
「貴様のような人間もいるのじゃな」
ドっクンっ!!
「…!?」
男はビックリして自分の胸を擦った。今、一瞬、胸が飛び跳ねたように感じたのだ。そして広がる甘味を男は初めて全身で味わっている気がした。男は焦り疑った、これではまるで……。
「どうかしたのか?貴様は」
「ひぇっ!いや?なんでも」
姫に顔を覗かれてようやく我に帰る男。動揺していたのと彼女の“顔”があまりにも近かったのも手伝って変な声を出してしまった。男は取り敢えず落ち着こうとする。そして少し考えてから彼は切り出した。
「……、ああ……えっと…だな、なあ折角会ったんだ。オレ達仲良くしねえか?」
それは何気無い言葉だったが男は結構な勇気を使った。
「残念じゃが、それはダメじゃな」
しかしその苦労を知ってか知らずか銀子は簡単に拒否した。
「なっ…なんでだ?」
簡単には引き下がることの出来ない青年。
「言ったじゃろ?妾はハピクロの第一皇女、いわば象徴なのじゃ。人間と衣服は戦争をしている。そんな中で妾が…」
「じゃっ…じゃあオレが平和にする! 世界を! 人間と衣服の仲を!」
男は焦燥感に喘いでいた。
今、手にしないともう二度と会えないようなそんな気持ちに駆られながら。
「貴様っ!! 自分が言っているのがどんなことか分かっているのか! 軽はずみでなんでも口にするのは止めよ!」
「!?」
銀子は怒り心頭し震えていた。そこには皇女という重々しい責任のある職に就いているという事実を強制的に理解させるものがあった。そのひしひしと伝わる“顔”の見幕に思わず青年は後退る。
そして彼女は急に哀しみにくれながら言った。
「それに…もう今日は終いじゃ。迎えが来た」
「迎え?」
男が聞こうとすると、バンッと勢いよく扉が開かれた。
彼は何事と思い、その方を見るとそこには迷彩服に身を包んだ数人の屈強な男がいた。
「姫様!ご無事で!」
どうやらハピクロの尖兵のようだ。ステルス任務に特化した兵が彼女の救出に来たのだろう。
しかし、この裸の青年は兵の険しい表情、最新鋭の兵器、存在感の高さに気圧されてしまいそれどころではなかった。
「ああっ、さっきはすまなかったのう。そして窮地を助けてくれたのはありがとな。感謝する…えっと…貴様、今更ながら名は何と申す?」
銀子は裸の青年と対称的に堂々振りに話していたが、ふと名前を聞いていなかったことに気付く。
「おっ…オレは、オレの名はジルベール」
「そうか…ジルベール。じゃあ、さようなら」
「まっ……またなっ!」
しかし最後の声が銀子にはっきりと届く前に、彼女はハピクロの兵隊と共に行ってしまった。
「……オレは、いったい…どうしちまったんだ?」
そこに残ったのは全裸の男と果てしない虚無感と言い知れぬモヤモヤであった。
【あとがき】
この小説は若干の部分で私が書いている他の小説とリンクしています。とはいえ、枝葉末節の更に末節程度なので基本的に知らなくてもというより、知らない方がいろいろ考えなくていいので気楽に読めるんじゃないかなと思います。
今回は運命の接触、多分、今回の小説を読んでとある点に「これ、おかしいだろ」という部分があるかも知れませんが、気にせず気にせずもっと気を抜いて読んでください。