幻想の終幕 「ああっ、絶対に…絶対にだ」
「「さて、邪魔者もいなくなった所で本題に入ろうか」」
〝『そのモノ』〟は何事もなかったようにケロっとしつつ指の関節を鳴らしながら振り返る。その際に彼の紺の長髪と白衣が若干揺れる。
だが言われた彼らは先程の何次元も超えた戦いの迫力に飲み込まれたままでそれどころではなかった。
「なっ…なんなんだ今のは?」
ジルベールは余りのことにポカンとしてしまい何の変鉄もない台詞を吐いてしまう。
「うむ、恐らくあのスーツの人工筋肉と圧縮空気のコンビネーションで驚異的な移動力と筋力を得ているのだろうな」
この答えに返したのは意外にも衣服サイドのロココスタイルの貴族服の男だった。ジルベールは知るよしもなかったが彼は『Arcignamente』宰相と言い、『Génie』と共に様々な研究にも携わってきた男なのである。
「いや、全然違うよ『Arcignamente』くん」
『Génie』を表出させた〝『そのモノ』〟は『Arcignamente』に対して軽く間違いを指摘する。
「さっき使ったのは、分子再配置による別軸位置設定と分子間切断。それにハイパーヴィジョンを用いた超加速思考、止めの蹴りは脚先に重力加速砲を利用したのだよ。とはいえ、君達には理解できないだろうから無意味な答えだが」
例えるなら室町時代の人に2012年現在のインターネットの話をしたような感じだろう。さっき堂々と答えていた『Arcignamente』ですら目を丸くして首を傾げていた。
そんな様子を見て今度は〝碧倉光一〟が出て飽きれ気味に話す。
「ふぅー、要するにてめぇーらが戦争にかまけている間にオレ様達の科学力はまた上がってるって話だよ。つか、未だに量子コンピュータとか使っている時点で笑えるよな『Génie』!」
本来的には戦争とは寧ろ科学力が飛躍的に上がる時期といえる。顕著なのは第一次世界大戦。あれの序盤と終盤では戦い方の違いがありすぎる。現にこの戦いでも古い兵器を近代兵器と戦えるくらい強化したり、AMD弾の開発などと一応は発展している。
しかし人類にとって、衣類にとって、二大天才科学者がいるという状況の方がよっぽど科学力が推進するということなのだ。
「やめよう〝碧倉光一〟、我々はそんな話をしにきたのではないはずだ」
と、『Génie』が諌めると、
「そうだな、では本題に入ろうか」
と、〝碧倉光一〟が言う。
ジルベールは体は代わらずに人格だけが代わりばんこに出てくる様子を今日初めて目の当たりにして、その滑稽さに笑いたくなる。言うなれば一人二役を演じる腹話術と対極に位置するものとも表現できるそれを。
だがしかし、ジルベールは彼らの話している内容の重要さと高次元さによって自然と抑えられてしまう。
「「ふむ、そもそもこの戦争は我々が仕組んだことなのだ」」
〝そのモノ〟は声を二重に響かせながらいきなり突拍子もないことを言った。
「『Représailles』よ、貴方が『オレ』が死んだときにそれを理由に人間撲滅を図ろうとすることは分かっていた」
「『Génie』様、ということは貴方は我々に戦争を起こさせるために自ら命を断ったというのですか?」
と、『Représailles』が聞く。
「そうなるな」
「しかし、先程からの貴方の意見を聞いていると平和を目指しているようにとれたのですが?」
「その通りだが?」
「?」
『Représailles』は分からなくなる。なぜなら彼は平和を希求しているというのに戦争を起こそうだなんて矛盾めいたことを言っているのだから。
〝『そのモノ』〟は〝碧倉光一〟に変わる。
「『Représailles』よ。全ては〝オレ〟の計画だったんだ。衣服と人間のギクシャクとした不穏な関係を治すには、一度、戦争でも起こしてゼロにするくらいの荒治療の必要があるってな」
「なんだその極論は?バカな、戦争などしたら余計に憎しみが深まるだけだろうが」
『Représailles』は〝碧倉光一〟に代わったのを見るに、すぐに乱暴な物言いにする。
「かも知れない、だが…」
ここで〝碧倉光一〟は全員に声を掛けるように辺り一体を舐めるように見回す。
「てめぇーらの中にはいるんじゃねえか?「やはり裸よりも服を着ていたい」だとか「もっと活き活きとした人間に着られたい」って思っている奴がよっ!」
その場にいた全員はお互いを、そして自分を交互に見やった。それは〝碧倉光一〟の言葉に思い当たる節があったからだ。自分の中から確かに分かる、沸き上がる気持ち…いわゆる本能のようなものが。
ここで『Génie』に交代し、今度は近くにいたジルベール達を見た。
「貴殿方のその思い当たる節はな彼の…いや、彼らの『人間と衣服の仲直り』という素直な気持ちに体が強く反応したからなのだよ…。勘違いするな、それは新たに生まれたのではない。貴殿方に元から存在していたが、心の奥深くに楔を打たれていたものが甦ったのだ!」
この言葉を受けて、人間も衣服も、その多数が大きくざわめく。
そして誰か一人が拍手を始め、それがゆっくりと広がり大きなモノになる。
「だがしかし!それで我々の受けてきた屈辱が消されるわけではないでしょう!」
見えていた希望を容赦なく叩きのめすように強く太く悲痛を持った声が轟いた。タキシードのPAICの『Représailles』である。
「少なくとも私はそう思っています!私は忘れません!元々、私はオーダーメイドされてとある人の為に作られた世界でたった一つのタキシードだった」
『Représailles』は語り始める。
「だが、私を作った服飾人はミスを犯しオーダーと合わなかった。そしてそれによって激怒した依頼人は私をゴミに捨てたのだ!」
彼が敵の敵であるはずの服飾ギルドを、それにも関わらず目の敵にしていたのはこういう理由があったのである。
『Génie』は『Représailles』を我が子の不遇に同情するような瞳をしながら、彼に一つ質問をする。
「そんな捨てられた貴方は誰に拾われたか知っていますか?」
その声は宥めるようだった。
「当然です、『Génie』様!貴方に拾われたご恩は一生忘れません!」
「…やはりか」
即座に反応する『Représailles』に対して、『Génie』は困ったような顔をした。
「違うんだ『Représailles』君。本当に君を助けたのは彼なのだよ」
「はっ…?えっ?なっ…なにを言っているんですか?『Génie』様」
『Génie』が指差した先にいたのは『楽園再生』のトップ、『裸の王様』であった。
「まっ、まさか人間と仲直りなんてさせるためにわざとそんな嘘をついているんですか? いかに『Génie』様と言えども怒りますよ」
『Représailles』は多少の憤激をもって言い返す。
その間に『Génie』は〝碧倉光一〟に代わる。
「悪いな、そもそもは〝オレ〟のミスだったんだ。なにせ感情のプログラムなんて今までに作ったこともなかったからな。だから過度にエモーショナルシステムが働いた場合、他の機関に致命的な欠陥を与えることがあったんだよ」
「何が言いたいんだ貴様?」
「簡単に言ってしまえば他記憶領域の情報消失と書き換えだな。てめぇの場合は枢機卿という立場上、日々伝わってきた他の服々の不服の声を聞いて言い知れぬ憎悪が湧き、「人間にしてもらった」ことを全てかき消すか書き換えるかしたんだな。 んで、これを見てくれ」
と言って、〝碧倉光一〟は指でその場を何度かつつく。彼は物体電気端末を用いてPC操作をしているのだ。彼は動画を映し出し近くに投影、そして再生させる。
「これは…」
『Représailles』は呆然とさせられる。そこにはPAIを搭載される以前の自分の姿と、若かりし頃の白衣を纏った今より断然スリムな『裸の王様』、いや“藤五郎”の姿が映し出されていた。
「オードセーヌのとある町のゴミ捨て場近くの防犯カメラの映像だ。未だに信じられないというなら、他にも証拠があるが?」
「…いや、それよりも」
『Représailles』は〝碧倉光一〟の提案を拒否して頭を整理しながら、かつての友の顔を見る。
「なぜ、貴様は」
「ふっ…。当時はな、『Génie』は周りに気付かせてないつもりだったようだが、私達は『Génie』が「人間と衣服の問題」に悩んでいたことを知っていたんだ。彼の友であった私は彼を助けたかったが、しかし私が簡単に漬け込めない問題をどうすべきか迷っていたんだ。そんな自宅への帰り道、ゴミ捨て場でお前を見つけた。私はピンときた。新品なのに捨てられたお前ならばきっと『Génie』の相談に乗ってやれるんじゃないかってな」
「…“藤五郎”」
「けど私の目論見は甘かった。お前は『Génie』を友としてではなく崇拝する神のような対応をしたのだった。故に『Génie』の悩みは晴れることなく、そればかりかお前までも重荷を背負わなければならなくなるという最悪な結末になってしまった」
“藤五郎”はどこか遠い目をしながら自分の不甲斐なさを悔やんでいるようだった。
「……“藤五郎”、なぜだ?なぜなんだ?私は先程の動画を見ても、貴様の懺悔めいた台詞を聞いても、未だに貴様が私を助けたことを思い出せないのだが、なぜか…、なぜか涙が止まらぬのだ!」
大の男、それも軍人上がりのような強面の両眼から泉が静かに湧き出る。
人間には身体記憶というものが存在すると言われている。記憶と言うものは脳だけではなく他の身体にも存在するというものだ。つまり彼はエピソード記憶としては誤った情報を記憶しているが、改竄されていない衣服の記憶が彼のエモーショナルシステムを刺激しているのかも知れない。
『Représailles』の咽び泣く様子を受けて“藤五郎”も感化されてしまう。
「なあ、憶えているか?『Représailles』。お前を初めに着たのは私だったのだぞ?」
「あぁ…憶えているさ。今より断然スリムだった貴様は不思議と私にピッタリだったんだよな」
「ふふっ、また着れるかな?」
「ハハハッ、そりゃそのメタボなんとかしたらな」
二人は互いに軽く笑った後にすぐに真顔になる。
「悪かったな、部分的記憶喪失なんて全く気付いてやれなかった。あんなに傍にいたというのにな。あまつさえ、お前を恩知らずだと恨んでしまっていた」
「私も、ただ怒りに身を任せてしまい本当に大切なことを見失って周りに酷い迷惑をかけてしまったようだよ、申し訳ない」
“藤五郎”はこの言葉を聞いてから今度は衣服のいる全体を見回した。
「親愛なる衣服の方々よ、どうか聞いて欲しい。人間は今日まで君達に自我を与えたことの責任を甘く考えていたようだ。君達をただの道具のように粗雑に扱っていたかも知れない。ただ、これだけは分かって欲しい。それが全てでないと。あそこにいる勇気ある面々を見て欲しいと。そしてそうでなかった我々は今回の件を受けて深く反省するだろう。たとえもし、同じように衣服の同志を邪険に扱うものがいたならば我々は新年をもってその者を糾弾することを誓おう」
“藤五郎”は『裸の王様』として強く弁を述べた後に深々と頭を下げた。それを受けて『Représailles』も数多くの人間を見ながら言った。
「衣服の同志よ。我々は我々が受けてきた屈辱を忘れることが出来ないだろう。だが同時に我々は我々が受けてきたご恩も忘れてはならないのだ!我々は今日まで怒りに支配され使い魔が如く人間を排除しようとしていた。だが、人間がああまで言っていると言うのに我々はいつまでもこの怒りに執着していいのだろうか!私は…信じたい、今一度。そして私は謝りたい衣服の同志に、私が君達の怒りを増長させる一端であったことを。そしてもし、人間の中に我々を邪険に扱うものが再び現れるなら、次はただ黙っているのではなく彼らと話をしようではないか。誤解が生まれぬように」
そしてまた『Représailles』も頭を下げる。辺りはその珍しき光景に緊張してしまう。しばらくして二人が同時に顔を上げて互いに微笑み合うと緊張感もほどけて、衣服と人間は近くによりトップに倣い互いに謝ろうとする。
人間とは不完全な生き物だ、そしてそれはPAICにも同じことが言える。
しかしだからこそ彼らは反省して、更なる高みへと進んでいくことが出来るのだろう。
「まあ、〝オレ〟はさっきミスだなんて言ったけど必ずしもそうとは言えないんだよね」
〝碧倉光一〟は言う。
「そもそも人間にも大きなショックで記憶喪失になったり、都合の悪い情報を書き換えてしまうことはあるんだ。また、今回、このミスのお蔭で『Ginkgo』に恋愛という概念が生み出されたのだ。青年への強い期待感がエモーショナルシステムを突き動かして意味記憶の操作を…」
ここで急に〝碧倉光一〟は『Génie』へと交代する。
「いや、それをシステムで表現するのは失礼だよ〝碧倉光一〟」
『Génie』は〝碧倉光一〟の言を優しく責めた。〝碧倉光一〟はこの日、もう表に出てくることはなかったが、それは彼が『Génie』の意見を納得してのことなのだろう。
「お父様っ!お久し振りですっ!」
銀子はここでいてもたってもいられなくなって『Génie』の近くに駆け寄った。ジルベールもそれを追ってゆっくりと歩いていく。
「おや、『Ginkgo』か。すまなかったな、お前には悲しい思いをさせた」
「本当に本当じゃ、妾はあの日から、お父様のことを忘れたことなど…」
銀子の人間の方の顔から一筋、また一筋と涙が零れる。『Génie』はそんな彼女の頭を優しく撫でた。そして傍にいる全裸の青年に視線を移す。
「『オレ』の方はニュースを通して貴方のことを知ってはいたが、貴方にとっては『オレ』は初対面だね」
「…………、そうですね」
ジルベールは少しだけ間を空けてから静かに呟く。
「本当は、どこの馬の骨とも分からぬ奴に『オレ』の可愛い娘をやるのは戸惑うのだが、貴方のような人ならなんら問題ない。結婚を認めよう息子よ」
『Génie』は握手しようとジルベールに手を伸ばすが、彼は笑みを浮かべて優しく押し戻そうとする。
「いえ、実は一つ問題があります」
「問題?なんだ?フランスの法律では衣服と結婚することが出来ないということか?」
「いえいえ、そんな些細な問題ではありません。もっと重要なことです」
「というと?」
「実は、オレは先程、銀子さんに告白をしたんですけど未だに返事を貰っていないということです」
ジルベールが言う。
この台詞に『Génie』は唖然となり、銀子に至っては声ならぬ声を出して赤面していたが――――ジルベールはこれが見たくてわざと言った節がある―――、やがて『Génie』は笑いながらいった。
「ハハハハハハ、確かにそれはゆゆしき問題だな」
「はい、ですので今から銀子さんにもう一度プロポーズしようと思います」
ジルベールは言うと、くるんと90゜回って銀子の顔を真面目に見つめる。彼女の方はというと恥ずかしくて彼の顔を見ていられない。
「銀子…好きだ、愛している。だからオレと結婚してくれ」
ジルベールはなんの躊躇いもなくハキハキとした口調でストレートにプロポーズする。それは何の飾りもない、言うなればつまらない台詞だが彼が持つ素直な気質を表現していた。
そんな彼だからこそ彼女への愛のために世界をまたにかける無謀なことをしっかりと成し遂げられたのであり、諦めを知らずに愚直に突き進んで来られたのだろう。
世間は「愛する衣服の為に世界を平和にしようと奮闘する」彼を大バカ者と笑うだろうか?非常に困難で不可能なことを出来ると信じきってやり通そうとしている彼を。まあ、恐らく笑うだろう、常識という重荷を背負い込んでしまって高く飛翔出来なくなってしまっている彼らなら。
でも、ジルベールはやったのだった。世論なんてくそくらえなのであった。そしてついには世論すらも揺らがせようとしていたのだった。
果てしなく素直で愚直な彼だからこそやり遂げられたのだ。
「わっ…わわわっ……」
ジルベールの堂々さ潔さに対して銀子は身体中を震わせて、緊張と興奮と恥ずかしさをごちゃ混ぜにした感覚に頭が混乱していた。「なんでこいつ、こんな所でそんな恥ずかしいセリフを吐けるわけ?」と心で思い、少し怒りながら、汗をかき、言葉も上手く発せなくなる。そしてその状態は人間の方のセロトニンの減少も手伝ってか彼女を不安にさせた。
不安になった彼女は自然と先程までわざと見ないようにしていたジルベールの顔を見た。
「っ!」
そこには出会った頃と変わらない屈託のない笑顔があったのだ。
―――――そうじゃ、妾はこいつに会った時からこの笑顔に……
ポスンと音がした。
ジルベールが俯いて下を見る。そこには自分に強く抱き着く銀子の姿があった。
「絶対に…絶対に離すなよ!」
銀子のか細くも、強い声が聞こえる。
ジルベールはその言葉を全神経を持って感じた。
「ああっ、絶対に…絶対にだ」
そして、二人は“顔”を近付ける。
強く光が降り注ぐ中、
新たな愛が芽生える中、
人々が服々が互いに抱き合って盛り上がる中、
世界は再び平和になった。
そして、平和な世で男がその透き通る目で彼達を見つめていた。
【あとがき】
このあと30分後に最終話、1時間後に蛇足話を投稿します。
とりあえず、途中ひやひやしたもののなんとかかんとか無事に終えられそうなので安心です。ではもう少したらまた会いましょう。