episode01 【体育館】 わたくしはエンターテイナーですわ!
『新入生代表挨拶、常磐城美玖さん』
教員の硬い声音が、だだっ広い体育館の隅まで響き渡る。
この学園は一学年、五クラス編成でクラスごとに特色がある。その中でもAクラスは成績優秀者ばかりを結集させたクラス。
どのクラスに振り分けられるか、正式な発表は未だされていないが、既にほとんど確定されているといっても過言ではない。なぜなら、生徒一人一人の個性や実績、才能によってクラス分けは平等になされるからだ。
マイクによって拡大された音は勿論、最前列に座っていたわたくしの鼓膜を震わしていた。
「はいっ!」
凛と澄んだ返答をすると、たおやかな髪を左右に揺らしてパイプ椅子からやおら立ち上がる。
ざわっ、と俄かに女子生徒たちは騒がしくなる。
この学園は、生徒はおろか教員まで女しか採用しないという異常な徹底ぶりをみせる女子高。伝統とブランドを重視する学園。その代表生徒として選出されたからには、それなりの気品を持ち合わせていなければならない。
背筋をびしっと伸ばすことを念頭に、アメンボが水面を滑るように淀み無く足を進めていく。キュキュとシューズと床が擦れる音を反響させながら、同じ制服を着込んだ塊の前を通り過ぎる。
ほぅ……とため息すら聞こえてくる中、階段に足をかける。
一際ライトの光が強烈な壇上付近。
熱量をたっぷりと含んだ眩い光は、容赦なく体に降り注ぎ込まれ、反射的に目蓋をくっつけた。一種の防衛反応だったが、恐らくそれがいけなかった。
その瞬間
確かに
わたくしは
宙に
浮いた
ずるっと、バナナの皮を踏んだかのように階段を踏み外し、派手にずっこけた。
バァン! を皮切りに、ダンダンダン、と痛烈な音を響かせながら、階段からずり落ちる。受身を取る余裕すらなく、よりにもよって額から倒れてしまったせいで、髪の生え際が禿げそうなぐらい痛い。
そして、うつ伏せの状態のままでショックと痛みにより固まっていると、なにやら下半身がスースーする。
周囲から「高校生にもなって、キャラクターパンツ!?」といった内容の囁き声が交わされている。
朝アニメのキャラクターだからといって舐めないで欲しい。わたくしのパンツにプリントされているキャラは、大人の鑑賞に耐えうるだけの重厚なストーリーの魔法少女ものだ。
――そしていつしかその場が、完全なる静寂に包まれる。
すくっと、何事もなかったかのように立ち上がると、背中に視線が突き刺さっているのを感じる。勿論、顔を赤らませながら、スカートの裾をいじるのを失念しない。
横目で教員が駆け寄ってくるのを視界に捉え、わたくしは颯爽と壇上へと駆け上がる。負け犬のように背中を見せてしまうのは歯痒いが、難物に美学を語っても馬の耳に念仏。
そう。
わたくしはこんなところで、文字通り躓いているわけにはいかない。
わたくしの進むべき道は、あくまで常に孤高の付き纏う王道。誰に媚びるでもなく、唯我独尊を徹底し玉座にてふんぞり返ってみせる。
正面から全校生徒に向き直ると、「きゃあああああああああ」と悲鳴が叫ばれる。わたくしの姿勢に感動している様子ではなく、何かに怯えているような声をあげている。
あら、なにかしら? と首を傾げていると唇につつっーと液体が流れるのを感じる。フゴッと鼻を啜ると、口内に鉄の味が染み渡る。
淑女の嗜みである手鏡をチラリと懐から覗かすと、両穴から見事に噴き出している血が映る。鼻から逆流してくる赤い液体が、のどに絡んで咳き込む。
こ れ は 鼻 血 だ。
すると、庶民どもが騒ぎだす。
「きゃあああああ、血、鼻血よ!!」
「誰かっー!! お客様の中で、お医者様はいらっしゃいませんかー!?」
「呪いなり。前世で私が悪魔召喚した代償が、今ここに体現せり!」
ふっ、と思わず笑みを漏れてしまう。
いくらお嬢様学校といっても大半は、所詮わたくしの家柄より数段劣る二線級の有象無象に過ぎないとういことだ。この程度のアクシデントにいちいち動揺するようでは、格が知れるというもの。物の数ではありません。
どうやら今のところ懸念すべき人物は、この学園のパトロンの一人娘であるという綾城茅と、このわたくしに唯一の黒星をつけた秋月もみじ。この両名は、いずれわたくしが手ずから嬲るように蹂躙してみせます。
ですが今は、この局面を乗り越えることが最優先事項です。
七転び八起き。ピンチをチャンスに変えることができる人間だけが、一流へのプラチナチケットを手にする権利があるのです。わたくしは、客をハラハラドキドキさせるエンターテイナー。こけたのも演出の一つですわ。
だからガクガクと膝が揺れているのも、緊張のせいではありましぇん。……いやですわ、心の中で噛んでしまいました。き、き、き、緊張のせいではありません。た、た、た、ただの武者ぶるいですわ。
眼の下に色濃く刻まれているクマも、昨日徹夜でこの挨拶文を考えていたせいではありませんの。これは、えっーと、そう! アイシャドウの代わりといったところですわね!
さて、と。
ごそごそとポケットから紙を取り出す。そこにはギッシリと文字が詰まっていて、疲れ目には厳しく、目蓋を高速で瞬かせる。血を流しすぎたせいもあって、一瞬クラリと意識を失いそうになる。
ガッと、壇上の机の縁を力強く握りしめる。ひらりと手から離れた紙は、取り付けられているマイクの横に舞い落ちる。
まだ……ですわ。志半ばで倒れるなど、常盤城家の名折れ。面汚しもいいところですわ。
奮起しながら紙へと手を伸ばすと、ガラリと体育館の重い扉が開かれる。
「すいませんっ、遅れました!!」
体育館全体に反響するはっきりとした声。
薄暗い照明を切り裂く外の光が、一本の筋となって闖入者を際立たせる。
その一瞬、確かに時間は完全に静止した。
息を切らしながら入ってきた少女の頭は、堂々と寝坊していましたと主張するかのようにアホ毛が立っていた。にこやかに晴れ晴れとした顔をしている彼女は、言葉とは裏腹に少しも反省していないように見受けられる。
教員に叱咤されながらも、上級生を掻き分けるように突き進む。壇上付近に固まっている新入生の場所に、彼女は勢いよく座る。そして、クリクリッとした愛嬌の瞳で見上げてきて、わたくしとばっちりと眼が合う。
わたくしは思わず、ばっと目線を逸らす。
交わしあった視線は瞬刻。
それにも関わらず、脳天から脊髄を貫通しビリビリと電撃が走って全身が感電した。光の速度で駆け回った落雷の後は、グラグラ血管の血が沸騰するぐらいに火照りだす。
なんですの……この感情の高鳴りは?
未知の感覚に戦々恐々としながら、こっそり焦点を彼女に合わせる。なしかしらの運命すら感じた衝動はもう起きず、ホッとしていると彼女が床に落ちていた、どこか見覚えのある紙を拾い上げる。
……あれは、もしかして?
手元に置いてあった原稿が――ない。
もしかして、外から入ってきた風によって、あそこまで飛ばされてしまったのでしょうか? あれがないと、完璧だったわたくしの学年代表挨拶が台無しになってしまう。
ウインクでアイコンタクトして、彼女に紙を持ってくるように依頼する。もしくは、紙飛行機にして飛ばしてくれても構わない。
すると、ぽんと両手を合わせた彼女はいち早く合点のいった顔をする。そうしておもむろに彼女は鼻に紙を押し付け、思いっきりかみだした。顔を上げると、鼻水の残滓が垂れだしている。どうやら、我慢していたらしい。
フフフ。
人生に苦難は付き物。シナリオ通りに進行することなんて、ほぼ無に等しい。
そう、だからこそ。
だからこそ、アドリブで生きていく癖を今のうちにつけておかないといけない。そういう神の采配なのですわね。頭が真っ白になりながらも、意味のある言葉をなんとか紡いでいく。
ああ。これが、わたくしの高校生活の一ページ目。
ギャグメイン!! そして百合!! 多分シリアス少なめ!! ……という感じでやっていくかと思われます!!