episode13 【店内B】 剥き出しの感情! (下)
「……智恵理、今度は私がとってあげる。なにがいいかしら?」
聞き流すように、視線をレーンにスライドした綾城さん。智恵理も彼女の意を汲んで、ぼうっと流れてくる寿司を見やる。
「じゃあ、次のエビを」と綾城さんに気軽に頼んだのだが、前の客にヒョイと取られてしまう。
すると、綾城さんは横にあるメニュー表を覗き込んで、取り付けてあった機械を操作し始める。この店には板前さんはおらず、ただ機械を操作するだけで流れてくるシステムだ。案の定すぐに、この座席番号と『注文の品』と書かれた札が備え付けられているエビの皿が流れてくる。
「はい、どうぞ」
「とってくれてありがとねっ。でも、」
そこまでしなくても、回ってくるのを待っておけばいいのに。
その言葉は胸の内に留まるだけであって、不用意に発すことはできなかった。
憂いを帯びた瞳の奥底には、どこか力強さを感じる鈍い一条の光が揺らいでいる。
和気あいあいと談笑に花咲かす雑音が逆に、心理的な個室を作り出したおかげなのか、平坦な口調で綾城さんは自らの思いの丈を語りだす。
「あのクソオヤジの言うことを聞かないとさ、やっぱり私の家ってお堅いお家柄だから迷惑かけちゃうじゃん。それがあるから、絶対的にあいつの言うことを聞かないといけない。だから、クソオヤジの急所を探るためにずっと見ているのは、智恵理の言うとおりかも知れない」
憎々しげに口を歪めて、自分の父親について語る綾城さんは苦しそうで見ていて居たたまれない。
「いずれ本当にあいつの言うとおりに動かないといけない時が来る。その時までの束の間の自由。刹那的な幸せだからこそ、今したいことを我慢したくない。それが、あのオヤジの陰口を叩くことや、早く智恵理にお寿司を提供したいっていう気持ちに繋がるわけなのよっ!」
「……フ、そうだねっ」
「んもうっ、なにを笑っているよ?」
おどけた調子で笑う智恵理を詰問する口調は厳しいが、綾城さんの眼だって笑っている。無理してそうやって振舞っているのはお互い様だけど、それでも笑顔でいようと思うその他人を思いやる心はやっぱりいいと思うから。
綾城さんとはなぜか妙なところで波長が合う。
それは多分、どこか似たところがあるから。
お金持ちの家系に属しているのに、どこか庶民じみた場所を好むところ。それから、誰かのことについて強烈に思い馳せていること。それが、あまり人に褒められた類の感情でないものであるところも類似している。
いきなり、綾城さんが小さく噴き出した。なにかと思っていると、「ご飯つぶ」と自分の頬を指差し、まだ微笑を残したまま教えてくれた。鏡のように綾城さんの真似をして、恥ずかしくなりながら米粒をとろうとするが、一向に米の感触がない。「ぎゃく、ぎゃく」とまたもや綾城さんに苦笑されながら指示され、左頬を探るが分からない。
こうなったらおしぼりで顔全体を拭ってやろうかと思っていると、右頬に手を当てられる。そのままあっ、と言葉を上げる間もなく左頬についていた米粒を掠め取られる。一瞬触れただけの唇の感触が強烈に頬に残っていて、その部分が火照るように熱い。
「間接キスね」
そう言って最上級の笑顔を振りまく綾城さんは、反則的なまでの華麗さを惜しげもなく発揮している。
そういえばすっかり失念していたけれど、智恵理は綾城さんが学園内でも有名な百合の人だということを思い出した。