第7話 彼はまだ、静かに暮らしたい。
朝。 いつもより、ほんの少しだけ早く目が覚めた。昨日の帰り際、店長――山本悟志さんから言われたのを思い出す。
「夜のうちに仕込みが済んだから、朝は来なくて大丈夫だよ。無理して体壊されても困るしね」
たぶん、俺が言われたかった優しさのトップランクに入るセリフだったと思う。実際、昨夜の閉店後、あれだけみっちり仕込みをこなしてたら当然といえば当然だが、こんなふうに気遣ってもらえるとは思ってなかった。
加えて、持たせてもらった“まかない”の残り。一晩、冷蔵庫でしっかり眠っていたそれを見て、俺は思わず姿勢を正した。
から揚げ。白和え。味噌汁。冷ごはん。普段なら、朝食は“とりあえずあるもの”で済ませる。パンの耳とか、賞味期限ギリギリの何かとか。
それが今朝は、ちゃんとした“食事”がテーブルに並ぶ予定だ。食材の温め直しをしながら、俺は何度か冷蔵庫の中身を見てしまう。食べるまでは信じきれないような、そんな感覚だ。
フライパンで唐揚げを軽く温め直す。衣がカリッとするように、油は使わずに。香ばしさが戻ってくると、腹の虫が小さく鳴いた。それでも急がず、順番に、慎重に。味噌汁は小鍋にあけて、ゆっくり弱火で温める。具材がふわっと浮き上がってきたとき、昨日の店のにおいが蘇った。
白ごはんは、炊飯器に仕込んでおいたもの。炊きたての湯気に顔を近づけて、小さく息を吐く。
なんだろう。ただ食べるだけのはずなのに、妙に背筋が伸びる。
食堂での初仕事が終わった翌朝。料理があることのありがたさが、ちょっと沁みる。
いつもなら雑に並べるだけの朝食が、今日は少しだけ丁寧になった。
俺は一通り準備を終え、火を止めた鍋の蓋をそっと閉じる。
「……よし」
小さく声を漏らして、キッチンのテーブルを振り返る。
ガタン、と食器を並べていた手が止まった。
……気配がする。
なんかこう、後頭部にじっとり刺さるような視線。あれ? 俺って今一人だよな? 鍵は? かけたっけ? ていうか、そもそもなんで玄関が――
「ふおぉぉぉおぅぅぅ!!」
思わず奇声をあげた。目の前には、キッチンの入り口で仁王立ちする広瀬夏樹。朝日バックでちょっと神々しく見えるのがまた腹立つ。
「なによ、変な声出して」
「いやいやいやいや、お前、いつの間に入ってきたんだよ!」
「そろそろ朝ごはんができる頃だな〜って思って」
「具体的で客観的な事実を確認したのに、概念で返してくるな」
「なに訳わかんないこと言ってんの? 朝ごはんできたんでしょ?」
「お前の行動のほうが訳わからんわ! 鍵は? なんで開いてたの? 俺、かけたよな?」
「昨日、お邪魔したときに、合鍵作っといたから!」
「犯罪者か!」
「冗談だよ冗談。勝手口、ちょっとだけ開いてたから。ノックしても返事なかったし?」
「そういうのを“勝手に入ってきた”って言うんだよ!」
夏樹はまったく悪びれずにキッチンの椅子に座った。そのまま、ずずっと味噌汁の湯気を鼻で嗅いでから、ふとテーブルの朝食に目をとめた。
「……ねえ、これ、もしかして二人分?」
「一つ分は、弁当にしようと思ってただけだ」
「ふーん……お茶碗にごはん、よそってあるのに?」
「それはその……先に盛りつけてから、温度の確認を……」
「お皿に取り分けてるし、ちゃんと湯気が立ってるし、味噌汁も注がれてるし、箸も二膳置いてあるよ?」
「そ、それは……その……“雰囲気”を出そうと……」
「ほら、もう熱いうちに食べようよ?」
言い訳の途中で着席されて、味噌汁の蓋を開けられた。俺の発言権が、まるで湯気のように立ち消えていく。
結局、そのまま流れるように食卓に並んだ夏樹は、ご満悦の表情で「いただきます!」と手を合わせた。俺も仕方なく正面に座って、箸を手に取る。
夏樹は一口、から揚げをかじったあと、しみじみと呟いた。
「はぁ~……いいねぇ、ごはんがあるって。貧乏男子も、とうとう人間らしい朝を迎えられるようになったわけだ」
「感謝の気持ちが皮肉で包まれてるんだが?」
「だって事実でしょ? 前は、賞味期限ギリギリの食パンの耳かじってたじゃん」
「それは……まぁ、否定できないけども……」
「今こうして、白いごはんに、味噌汁、から揚げ、白和え、煮物。こんな豪華な朝食が食べられるのは、誰のおかげかな~?」
ぐいっと顔を近づけてくる。
「……店長と萌さんのおかげ……です」
「違うっ!」
「えぇっ!?」
「こんなにおいしい料理を食べさせてくれて、尚且つ持って帰っていいっていう職場を紹介したのはだ〜れだ?」
「うるさいなぁ……」
「ほら、ありがたみを感じたでしょう?何か異論はありますか~?」
「……異議あり」
「意義は認めません。棄却」
「弾圧裁判かよ!!」
「判決:今後も、夏樹に朝ごはんを提供すること!」
「……一方的に判決出ちゃったよ」
「また食材を持ってきたら作ってくれる?」
「……作るよ」
「ふふん♪ やっぱり優しい~」
鼻歌混じりに朝食をかき込む夏樹を見ながら、俺は静かに唐揚げに箸を伸ばした。まぁ、料理を喜んで食ってくれる人間がいるのは悪くない。たとえそれが、自分の部屋に勝手に上がり込んでくる“侵入者”だったとしても。
それでも――
「うん、うまい」
今日もちゃんと、飯が食える。それだけで、けっこう満たされるもんなんだな、と思った。
朝の通学路には、どこかのんびりした空気が流れていた。住宅街を抜ける細い道、軒先のプランターには手入れされた花が咲き、小学生がランドセルを揺らしながら走っていく。その向こうで、飼い主をぐいぐい引っ張る柴犬と、それに振り回されているおばあちゃん。
「創ちゃんと一緒に学校行くの、久しぶりだね〜」
夏樹が言いながら、白い息を吐く。制服のスカートに揺れるポーチ、前を向いたまま、ちらりとこちらを見て笑った。
「……そういや、そうか」
俺はポケットに手を突っ込んだまま、歩幅を合わせる。
「前は毎日一緒だったのに。創ちゃん、最近バイトで朝早かったもんね」
「朝の倉庫な。あそこ、時給が良かったんだよ。黙って物運ぶだけで1時間1,200円だぞ。神かと思った」
「だったら、続けたらよかったのに」
「それも考えたけど、テストのたびにシフト空けなきゃならんしな。毎回迷惑かけるくらいなら、最初から別の人に任せたほうがいいって思ったんだよ」
夏樹は頷きながらも、眉を寄せて振り向く。
「別に辞めてほしいって言われたわけじゃないんでしょ? そんなに気にすることないのに」
「……まぁな。でも、“こいつなら計算できる”って人と、“来るかどうか読めない奴”じゃ、やっぱ使う側としても違うだろ?」
「そこまで職場のこと考えてる高校生、あんまりいないよ……」
「俺だって別に聖人君子ってわけじゃないぞ? 長く続けるつもりがないなら、キレイに辞めた方が後腐れなくていいだけだ」
歩道の段差で、夏樹がピョンとジャンプした拍子に、ふわりと髪が揺れる。
「そのせいで、ずーっと貧乏生活なわけだけど?」
「ぐっ……そ、それはいいんだよ! 我慢すれば何とかなる!」
「うちの両親も言ってたよ? もっと頼ってくれていいのにって。毎日言ってる」
「いやいや、それは……遠慮ってもんがな……」
「お母さんなんてね、『創ちゃんに料理教えてもらいたい』って言ってたよ?」
「は? なんで? おばさんの料理、俺が知ってる中でトップレベルにうまいぞ」
「それは否定しないけどね? この前のご飯のメニュー伝えたら、『あの材料でどうしてそんなのができるの!?』ってびっくりしてたもん」
「……ネットに載ってるレシピ使っただけだぞ」
「でも、創ちゃん、いつもスマホ見ずに作ってるじゃん」
「何回も作れば覚えるだろ、普通」
「それがすごいんだってば!」
「いや、そこまででもないって……」
「あるよ! ちゃんとあるよ! 創ちゃんのご飯、ほんっとにおいしいんだから!」
夏樹はぐいっと顔を近づけてくる。瞳がキラキラしてて、ちょっと照れる。
「……なんか、今日はやけに褒めるな」
「ギクッ……そ、そんなことないよ? いつも言ってるし!」
明らかに図星の反応。目が泳ぎ、鼻の頭が赤くなるのが隠せてない。
「……おばさんたち、旅行行くの?」
「あ〜〜〜〜、ははは、ばれた〜? 来週からだって。2週間くらい? ヨーロッパをぐるっと回るとか言ってたよ〜?」
「……つまり、先日持ってきてくれた食材たちは」
「ええ、見事なまでの賄賂ですね」
親指を立ててウインクする夏樹。その軽さが逆に腹立つ。
「賄賂食べちゃったから、もう拒否権ないってわけか?」
「そういうこと〜。というわけで、しばらく私のご飯、よろしくね?」
「……飯作るくらいはいいけど、夜はちゃんと家に帰れよ?」
「それはわかんないな〜。帰れたら帰るけど?」
「隣なんだから帰れ」
「大丈夫大丈夫。布団は自分で敷くし、枕の高さにはうるさくないから」
「そういう問題じゃねぇよ!」
「それに、朝ご飯の味噌汁、薄めが好みです♡」
「要望が具体的だな、おい!!」
そんなやりとりをしているうちに、学校の門が見えてきた。制服の後ろ姿がちらほら、校舎からは部活の声も聞こえてくる。
校門をくぐるなり、空気がいつもと違った。ざわつき、立ち止まり、どこか浮き足だった生徒たち。朝の登校ラッシュだというのに、誰も急いでいない。むしろ、一歩ごとに話が脱線し、あっちでもこっちでも小さな輪ができている。
昇降口の掲示板には、昨日まではなかった紙がペタリと貼り出されていた。
【球技大会 種目決定!!】
男子:サッカー/女子:バレーボール
文字はなぜか赤の太字。しかも、やたら勢いのあるフォント。端っこには「書いた人:2年C組 体育委員♂」と誰得なサイン付き。掲示の紙には、すでに何人もの生徒が集まり、ニヤニヤしながら見つめていた。
「やっぱサッカーか」「バレーボールか〜」と心の中でつぶやくような視線が、誰彼構わず交差していく。どこか落胆した顔。どこか嬉しそうな顔。どこか企んでいる顔。
下駄箱のあたりでは、男子たちが靴を突っ込むのも忘れて、さっそくポジション談義に花を咲かせていた。中には「マジで俺ゴールキーパーだけは無理だからな」と目で訴える者もいれば、「絶対シュート決めたる」と片足でリフティングを始める者まで。ちなみに、5回でボールを柱にぶつけ、先生に注意されていた。
まじで何やってんだ?
女子の方では、すでに廊下でサーブのフォーム確認をしている子や、ネットの高さを手で再現しながら話している子たち。いつもは机に突っ伏してるようなタイプの子も、なんとなくそわそわと教室を出入りしていた。
教室に入れば、黒板にも落書きのような字で「目指せ優勝!」「2組最強!」と書かれている。朝のホームルーム前だというのに、クラス内のテンションはすでに昼休み並みだった。
教室のあちこちで、「やった!バレーだって!」「男子はサッカーだってよ!」と球技大会の話題が盛り上がっていた。配られたばかりのプリントを手に、クラスの男女はそれぞれに声を弾ませている。そんな中、俺と夏樹は教室の後方で立ち話をしていた。
「創ちゃん! よかったね! サッカーだって」
朝から元気いっぱいの夏樹が、振り返りざまに声をかける。表情はにこにこ。どう見ても、よかったねの“よかった”の中身を、完全にこちら任せにしてくるスタイルだ。
夏樹の言いたいことはわかるんだが、俺はもうサッカーはやらない。
「……何がよかったんだよ?」
「えー? 創ちゃん、サッカー得意じゃん!」
「得意じゃねぇよ」
言いながら、俺はそっけなく教室の後ろへと歩き出す。
「えー? だって創ちゃん、昔――」
夏樹は何か言いかけて足を止めたが、俺はもう席に着いて、カバンを開き、文庫本を取り出していた。
姿勢よく座り、ページを開き、まるで周囲のざわめきなど存在しないかのように活字へ意識を飛ばす。俺にとっては、球技大会もサッカーも、いま読むべき物語の続きには到底勝てない。
「……あーもう、そういうとこだよ、ほんと」
夏樹は半分呆れたように、でもどこか楽しそうに肩をすくめて自分の席へ向かった。
そんな彼女の頭越しに、「広瀬さんと山神、話してたよな?」「サッカー得意ってマジ?」など、周囲のクラスメイトのひそひそ声がこぼれていたが──
幼馴染なんだから話くらいはするだろ。幼馴染であることは誰にもあんまり話してないけど…。
チャイム前の教室は、球技大会の話題でまだまだ盛り上がっていた。男子はサッカー、女子はバレー。廊下からもクラスの中からも、勝手に始まった作戦会議とチーム分けの相談が飛び交っている。
そんな熱気の中、ひときわ元気な声が廊下から響いてきた。
「おっはよーございますっでーーーすっ!」
扉を開けて登場したのは、山本萌。ぴょこんと跳ねるような勢いで入ってきたその姿に、教室のあちこちから自然と視線が集まった。
俺も思わずその声のする方を見る。
「おはよう、萌。今日も元気ねぇ~」
夏樹が笑いながら声をかけると、萌はぴたりと立ち止まり、胸の前でぎゅっと両手を組んだ。
「当然です! 昨日までの悩みが解決したんですから! 今日も夏樹ちゃん、よろしくお願いします!」
「こちらこそよろしく! 萌に足を引っ張らないように頑張るわ!」
アイドルユニットの挨拶かと思うほどの爽やかなやり取りに、教室の空気がふわりと柔らかくなる。一部の男子たちが「今日の癒しポイント、ここでしたー」と言わんばかりに、こっそりガッツポーズしていた。
そのまま萌はキョロキョロと教室を見回し、夏樹の手を取って言った。
「山神君は……と。あ、いたいた!」
「はいはい、こっちね〜」
引っ張られるまま、夏樹はやれやれと笑いながらついていく。
わざわざ俺のところまできて挨拶する気か?
「おはようございます! 山神君!」
「どわわっ!?」
思っていた以上の派手な声に、俺は不自然な悲鳴を上げてページをめくる手を止めた。
「面白い声を出して、どうしましたか?」
「驚いたんだよ! ……ったく、おはよ」
「悪態を吐きつつも、ちゃんと挨拶はしてくれるんですね〜」
「根が真面目だからね〜、この人は」
夏樹が勝手に解説を入れる。
「わかったようなこと言うな。俺はとんでもない不良なんだぞ」
「不良は普通、読書しないと思いますよ?」
萌が素で返す。
「読書しない不良は、ただの不良だ。俺は本を読むから、超レアな“文系不良”なんだよ」
「何意味わかんないこと言ってるの?」
「萌もちょっと何言ってるのか、わからないです」
小さくため息をつきながら、しおりを挟んで本を閉じた。
「山神君、今日もよろしくお願いしますね! 父も、楽しみにしてましたよ」
「……店長にそう言ってもらえると、ありがたい」
真面目に返すと、二人の女子は微笑み返す。だが、そのやり取りを見ていた周囲の生徒たちが、次第にざわめきはじめていた。
教室のあちこちで筆談のようなジェスチャーが飛び交い、男子は男子で「え、山神ってあの山本さんと知り合い?」「なんで広瀬さんまで一緒に?」と、誰にも聞こえないような小声で会話を交わす。
女子たちは女子たちで、夏樹と萌が“同時に”創太郎の席に向かったことに対して、静かな戦慄のようなものを覚えていた。
まさかのトリオ。真面目で目立たない“読書家”ポジションの俺が、クラスの華の二人と親しくしている現実に、脳が追いついていない者も多かった。
だから何だって感じだけど…。
「……じゃ、続き読むから静かにしてくれよ」
気にしたってしょうがいない。人のうわさもなんとやらだ。そのうち誰も興味がなくなるさ。なので俺は再び文庫本を手に取った。
夏樹は「いつものやつね」といった顔で肩をすくめ、萌はその様子を楽しそうに見守っていた。
朝のホームルーム前、教室のざわつきが一段落した頃。静かに読書を始めた俺のもとへ、またもや来訪者が現れた。
「めずらしい3人で会話してるわね」
すらりと背の高い女子生徒が、扉の前で腕を組みながら声をかけてきた。切れ長の目に艶のある黒髪、モデルのような立ち姿。広報部のエースにして、和風美人代表――芝田直美。広瀬夏樹、山本萌と並ぶ、学校内三大美少女の一角らしい。
他人の容姿をどうこう言えるほど、自分の見てくれをよくするための努力をしているわけではない俺には何とも言えん。
「あ、直美! おはよう」
「直美ちゃーん! おはようございますです!!」
夏樹と萌がぱっと笑顔になって手を振ると、直美は軽く頷いて挨拶を返す。
「おはよう。……山神もおはよう」
「……おはよう」
一瞬だけ目線を上げ、気だるげに返事をしてから、そっと栞を本に挟んだ。読みかけのページに未練たっぷりな指が、じわりと離れていく。
俺の貴重な読書時間はどうやら今日は訪れないらしい。
「なによその顔。こんな美少女3人に囲まれてるのに、不満でもあるわけ?」
「不満はないわけではないこともない」
「どっちなのよ?」
「どちらでもないってことだよ」
「なによそれ。まあいいわ。それで? このメンバーがそろって何の話?」
直美がすっと視線を移すと、萌がぴょこんと手を上げた。
「山神君と夏樹ちゃんが、昨日からうちの食堂でアルバイトしてくれてるんです!」
「へぇ、夏樹はともかく……山神も? なんで?」
「夏樹ちゃんが紹介してくれたんですよ。それに、山神君ってばとっても料理が上手なんです!」
「へぇ~? 見かけによらないわね」
「……ほっとけ。別にうまいわけじゃない。必要に迫られてやってるだけだよ」
ぼそっと反論してみる。萌のプライバシーのこともあるだろうから、あまり詮索されないように配慮したつもりだ。
「必要に迫られて、ね……。でも、なんで夏樹は山神が料理上手って知ってたの?」
「時々、ご飯作ってもらうから」
サラッと出たその一言に、教室が小さくざわめいた。机の後ろでひそひそ話す男子、前の席でこっそり振り返る女子。「えっ?」「今の聞いた?」「家行ったことあるの!?」などの声が漏れている。
家、隣なんで。
それに幼馴染だし?普通じゃねぇの?
知らんけど。
「山神君と夏樹ちゃん、幼馴染で家が隣なんですって。萌も昨日知ってびっくりでした~」
さらに教室がざわざわと揺れた。筆記用具が机から落ちそうになって手で押さえる者、席を立とうとする者、視線だけで様子をうかがう者。全員が全力で“会話に参加していないふり”をしている。
「へぇ~そうだったの? 夏樹と長く友達やってるけど、私も初耳よ」
「隠してたつもりはなかったのよ? たまに一緒に登校してたし」
ざわ…ざわざわ……ざわ……っ!
そんなに俺と夏樹が一緒にいるのが珍しいかな?
確かにあまり一緒にはいない…か?
家に帰ればほとんど毎日来るし、学校で別に話をする必要性を感じないだけなんだが。
「……なんとなくわかったわ。きっと山神が地味すぎて、二人が並んでても誰も気づかなかったんだわ」
「創ちゃん、いつも静かに本読んでるしね。確かに地味かも」
「地味で悪かったな。目立ったっていいことないんだよ。波風立てず、穏やかに生きるのがベストなんだ」
「なにそのジジくさい思想。あんた、本当に高校生?」
「うっせぇな。放っといてくれ」
この会話を和気あいあいと感じているのか?
教室中の耳がダンボ状態になっていた。誰も口には出さないが、全員の目が「どういう関係!?」と語っている。
クラスメイトだよ!
「てことは、萌のお母さんが入院してる間だけの、期間限定バイトってことね?」
「はい。昨日面接をして、そのままお試しで来てもらったんです」
それを聞いた男子たちが、教室のあちこちで勝手に盛り上がり始めた。
「くそっ、俺も応募したかった!」
「でもお前、料理できねーだろ?」
「いや、オムライスくらいなら……!」
「それ自分用のやつな? 人に出すって前提で考えろ、出直して来い!」
謎のオーディションが開催される中、直美がぽつりと言った。
「私も手伝えたらよかったんだけどね、ごめんね、萌」
「そんなことないです!直美ちゃんには広報部の活動でもいつも助けてもらってますし、これからも仲良くしてください!」
「萌……ああもう、かわいいっ!」
直美が抱きつこうとして萌がキャッと逃げると、男子の一人が鼻血を出しながら呟いた。
「可愛すぎる……」
そう言い残し血の海に沈む男子生徒。
教室内の“謎の四人組”は注目を集めていた。俺は机の下でそっと読みかけの文庫本を開き直し、心の中で静かにため息をついていた。




