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きみの隣で、今日も考えてる  作者: マリセリソウ


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第5話 店長と大根おろしと敬語モード

 夜の《食堂やまもと》は、いわば“地元民の聖域”。平日とはいえ、仕事帰りの常連客で大いににぎわっていた。


 厨房に立った瞬間、妙な緊張感が背中を伝ってきた。

 ついさっきまで「いやぁ〜助かるよ、山神くん!」ってにこやかだった悟志さんが、包丁握った途端、別人のようにピリッとした空気をまとい始めたからだ。

 料理人モード、オンってやつだろうか。

 俺はといえば、エプロン姿でメニュー表を片手に黙読中。手早く流しで手を洗って、冷蔵庫の中をチラ見し、野菜のストックと仕込み済みのタレ類の位置を把握。手始めにバットをいくつか並べる。

 和食は得意分野。家庭の事情で自炊歴はそれなりに長いし、下ごしらえの効率化なんてもう日課だ。メニューの構成をざっと見れば、だいたい何が必要になるかの予測はつく。


「……まずは、お通し用のきんぴらごぼうの準備からか」


 人参、ごぼう、油揚げ。あらかじめささがきしてある下ごしらえ済みの分をチェックして、ストックが心もとないのを確認。新たにごぼうの皮をスプーンでこそいでいく。


「包丁じゃなくてスプーンなのか」

「このほうが身が減らないんで。貧乏性なんで」

「なるほどねぇ……好きだよそういうの」


 悟志さんが感心したようにうなずきつつ、火の前で黙々と別の鍋を振っている。

 俺はその間にどんどん下ごしらえを進めていく。レシピは見なくてもだいたいわかるが、味付けだけは完全に悟志さんに任せるルール。「手出し無用」の雰囲気がひしひしと伝わってくるので、そこは逆らわずにきっちり一線を引く。

 ただし――その味付けの流れは、全部見て、メモして、頭に叩き込んでおく。

 悟志さんが砂糖をひとさじ加えるタイミング。味噌の溶かし方、醤油の投入タイミング。 火の強さ、鍋の振り具合。あらゆる手の動きが、音とリズムと匂いを伴って厨房に満ちていく。


「はい、これ味見して。味のバランス確認だけ」

「……うん。優しい味ですね」

「だろ? ここにショウガを少し足すのがうち流なのさ」


 そうやって、"味の指揮者"は最後の決め手だけをしっかり担っている。俺はその脇で、裏方に徹する。切る、洗う、並べる、補充する。全力のアシスタントモード。

 悟志さんの動きに慣れてくるにつれて、段取りも良くなってきた。


「お通し3人前ー!」

「はい! きんぴら盛ります!」


 さっと皿を差し出すと、悟志さんがそこに具材を盛る。無言でも動きが合ってきた。

 まるでパスを出せば即ゴールに繋げてくれる、職人サッカーの中盤みたいな気分。

 もちろん俺がフォワードに出ることはない。この厨房でのゴールは、悟志さんが決める。味は絶対、ブレさせない。俺はといえば、そのための動きを読み、支え、整える。オーダー表と食材のストック、火の通り具合と洗い物の進行状況。すべてが少しずつ、頭の中で線としてつながっていく感じがした。

 厨房の仕事に集中していたその時、フロアから届く大きな声に思わず目線をやる。


「おぉ〜い、萌ちゃ〜ん、ビールおかわりねぇ〜!」

「夏樹ちゃんも! 笑顔が最高すぎて、酒が進む進む!」


 もうすでに進みすぎてるんだよなぁ、それ。

 萌の話では常連の大工コンビで、無害な客だという話だったが、萌だけでなく夏樹もいるもんだから、今日はやたらとテンションが高いようだ。美人姉妹のような二人がホールに揃って立っている。そりゃまぁ、常連たちが浮かれるのも、ある意味仕方ない……のだが。


「忙しくて疲れただろう? 少し肩でももんであげようか?」


 大工Aが夏樹に向かって宣う。その瞬間、店内の空気がピキッとひび割れた。厨房の奥の方から発せられるオーラに思わず息が止まる。

 いや、オーラて・・・。でもこれ、店長が出してんの??まじで?


「い……いえ。大丈夫です」


 夏樹がトレーを持ったまま、困ったように引きつった笑みを浮かべた。


「あっれぇ〜? そんな遠慮すんなって! 俺、揉み技だけはプロ級なんだからさ〜! な、ちょっとだけ――」

「ちょっ、おいバカ! 店員さんに手ぇ出すなって! マジで怒られるぞ! 店長に――」

「はぁ? 店長ぉ? おっとなしい人じゃんか〜。なぁ、だい――」


 そこで大工Bが止まった。目が大きく見開かれ、全身が硬直している。


「な、なんで……後ろに……」

「は? 後ろに何が――」

「ひ、ひぃっ……!」


 大工Aが振り返ると、そこに無言の悟志さんが立っていた。

 金属製の大根おろし器を手に、にこりともせずに。

 反射する光が、やけにギラついていた。

 いつの間に俺の後ろを通ったんだ!?全然気付かなかったぞ??


「こ、この前の焼き魚定食の焼き加減、神だったっすよね!? いやぁ、ほんっと最高だったなぁ!!お前もそう思うだろ?な?な?」

「そうだな!めちゃくちゃ旨かった!さっすが店長の料理!日本一だと思ってるんだ!」


 急に料理の話をしてごまかす大工A・B。

 悟志さん・・・いや、店長は一言も発せず、静かに彼らの背中を見つめている。無表情のまま。その手に持った大根おろし器だけが、妙に主張していた。


「……どしたんすか、店長。お、おろし器なんて持っちゃって……あっ、まさか……」

「新しい紅葉おろしを試してみようかと思ってたんですよ」


  静かに、淡々とした口調で店長がつぶやいた。


「えっ……ここで!? い、今!?」


  大工Bが一歩引く。


「大根だけじゃなく、人参でも綺麗におろせるんですって」


  店長はにこりともせずに言った。


「……人参?」

「人間でも……あ、失礼。滑舌が」

「今の、滑舌の問題ですか!?」

「ふふ、気をつけないとですね。……では、厨房に戻ります」


 店長はすぅっと振り返り、まるで何事もなかったかのように厨房へ戻っていった。

 店内はしばし沈黙。


「……だから言ったろ? 店長は怒らせちゃいけねぇって……!」

「な、なんであんなおろし器持ってるんだよ!? ポケットに入れてんの!?」

「もう夏樹ちゃんには、近づくのやめよ……」


 かくして、店長の静かな威圧は、客席に平和を取り戻したのだった。


「山神君はやっぱり筋がいいね」


 そのひと言で我に返ったのだが、俺の中の何かを確実にスイッチにした。俺は今まで、脳内では悟志さんって呼んでたけど、もうやめとこう。店長と呼ぼう。親しみなんておこがましい。しっかりと線を引いておこう。怒らせないようにしよう。


「そうですか! いやぁ〜店長にそう言ってもらえると、ほんと励みになります!」


 ――今までで一番の通る声と活舌。まるで別人のような応答。

 横にいた悟志さんが少し首を傾げる。


「おや?そんな話し方だったかい?」

「はい!そうであります!」


 ……なぜか敬礼しそうになった。危ない危ない。


「軍隊っぽくなってるね」

「そんなことないであります!」


 厨房が一瞬静まり返ったあと、ホール側からくすくすと笑い声が。


「山神君、普段と口調が明らかに違いますよ?」


  萌が笑いをこらえながら口を挟む。


「そんなことないです。普段通りです」

「私に敬語なんか使ったことないじゃないですか!!」


 ……うぐっ、痛いとこ突かれた。


「僕……何かした?」


 悟志さんがちょっとしょんぼり気味に言うけど、違うんです。本当に何もしてないんです。ただ、店長が怖いだけなんです。あ、いや、尊敬してるって意味で。


「何もしてないであります!」

「いや、やっぱ軍隊なんだよなぁ……」


 とまあ、こんなやりとりをしている間にも、厨房は次の戦場に突入していた。


「創ちゃん! ドリンク4つ、あと3番テーブルの皿も下げてー!」


 夏樹の声がホールから飛んでくる。


「萌、創ちゃん、ドリンクとバッシング溜まってるよ! 急いで!」

「了解しました!」

「かしこまりました!」

「私にまで敬語……」


 夏樹があきれたようにボヤくけど、仕方ない。今の俺は“厨房の創太郎”じゃない。“食堂やまもとの下っ端兵士”なのだ。

 氷をカラカラ言わせながらドリンクを作り、泡立たないようにグラスを並べていく。合間に空いた皿を片手でまとめてシンクへ突っ込み、またすぐに調理場に戻る。


「創ちゃん、こっちの冷奴は3番テーブルさんね!」

「承知しました!」

「山神君、ポテト揚がったよ〜!」

「ありがたき幸せです!」


 俺は誰だ。何のモードに入っているんだ。だが止まらない。

 厨房は狭い。人と人がすれ違うたび、肩がぶつかる。でも、不思議とテンポはいい。悟志さんの動きは的確だし、指示も無駄がない。さすが“店の味”を守ってるだけある。見てるだけで勉強になる。


「山神君、こっち頼む」

「はい! 喜んで!」

「チェーン店みたいな返事やめなさい」


 店長や萌、夏樹とそんなやりとりをしつつも、着実に仕事は回っていた。ミスらしいミスはない。……いや、夏樹が俺の“敬語モード”を煽ってくる以外は、だが。


「創ちゃん、落ち着いて。敬語じゃなくていいから」

「しかし隊長……」

「誰が隊長よ」


 そんな小ボケを挟みながらも、厨房とホールは一体となって働いていた。開店から数時間――注文の波はまるで海のように押し寄せては引いて、を繰り返し、ようやくピークの山場を越えたころには、足の感覚がなくなっていた。

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