第3話 女心はスイーツでできている?
五時間目と六時間目の間。いわゆる「集中力がどこかへ旅立つ時間帯」だ。
俺は例によって、文庫本を広げて読書タイム。今日のお供は、マーケティングの基本を学ぶ一冊。これがまた、地味に面白い。
ふと、前の席のやつがやたらそわそわしてるのが気になって、顔を上げた。
何かと思って目線を追えば、窓の外。中庭で、夏樹と川村が話しているのが見えた。
二人とも笑っていて、なんというか、ものすごく平和そうな光景。……まあ、同じクラスだし、会話くらい普通か。別に珍しくもない。ていうか、朝だって俺たち三人で喋ってたしな。アレに比べたら静かなもんだ。
教室のあちこちから「おーい、見ろ見ろ」だの「え、あれって……」だの声が聞こえる。どうやら俺が思ってる以上に“何か”らしい。
でも俺にはわからん。そういうのはたぶん、“世間的に詳しい人”の間で盛り上がる類の話だ。
……どうでもいいけど、静かに読書させてほしい。
俺は小さくため息をつき、文庫本へ視線を戻す。ページをめくれば、「購買行動と信頼性の関係性」って章。ふむ、良きかな。
中庭のにぎやかさよりも、こっちの方がよっぽど面白い。そう思いながら、再び物語の中に潜っていった。
「創ちゃーん、行くよ!」
授業が終わるや否や、教室の後ろから夏樹の声が飛んできた。俺は軽く手を上げて立ち上がる。
「へいへい」
――と、その瞬間。
教室の空気が微妙にざわついた。あちこちから、「え、広瀬さん?」「山神くんと話した?」「えっ、ガチ?」みたいな視線が飛んでくる。
……そういえば、学校ではあまり会話してなかったっけ。夏樹とは毎日うちで宿題タイムがあるせいで、日中は特に話す必要もなかった。家で全部済んでるのだ。まるで業務連絡みたいに。
「萌は先に帰って準備するんだって」
「へぇ」
教室を出て並んで歩く。夏樹が俺と並ぶだけで、廊下でも視線が突き刺さる。なんかこう、ヒリヒリするんだが。
下駄箱に到着し、俺が靴を履き替えていると――
「広瀬さん!」
背後から男の声。振り向くと、川村だった。サッカー部のエースで、イケメン枠の常連。俺には関係ないので、靴のヒモを直すことに全力集中。
「おお、川村くん。どうしたの?」
「この前の休み時間に話してたさ、今度一緒に出かけようってやつ、予定どう?」
あー、なんか話してたな、二人。仲良いよな、あの二人。青春ってやつか。
「うーん、しばらくバイトあるから時間取れないかも」
「え、バイトするの? どこで?」
「え? あ、いや……その、まだ決まってないけど」
「そっか。まあ、広瀬さんなら絶対大丈夫だよ。かわいいし、器用に何でもできるし!」
夏樹の後ろにいた俺の顔が引きつったのは言うまでもない。器用……だと……? あいつ、卵焼きすらまともに巻けないのに?
俺の「いやいやいや!?」って顔は川村の死角だったが、夏樹の視界にはしっかり入っていたらしく――「何か言いたいことあるようね?」とでも言いたげなどす黒いオーラを全力で放っていた。
怖い。何か視線で背中焼かれてる気がする。
「……」
俺は目を逸らして、そっと校門方面へ足を向けた。
「え? えぇ? 何でもはできないよ!? じゃ、用事があって急ぐからまたね!」
「アルバイト決まったら教えてね! お客さんとして行ってあげるから!」
「機会があればね?」
「うん! サッカーの練習頑張るよ!」
「そ、そう! またね!」
そして、背後から追いかけてくる足音。
「ちょっとー! 創ちゃん!」
「なんだよ。山本さんの家って、こっちで合ってんのか?」
「私を置いてくとか、ひどくない!?」
「いつ終わるかわかんなかったし。面接に遅れるわけにいかないだろ?」
「私も一緒に面接受けるんだけど!? 自分だけ逃げようとしないでよ!」
「いやいや、“全滅”を避けるためには、リーダーが単独ででも目的地に行くのが正解なんだよ」
「創ちゃんリーダーじゃないじゃん!」
「確かに。じゃあ、お前がリーダーか?」
「リーダーとかどうでもいいの! 私が困ってるってわかんなかったの!?」
「え? 困ってたの? なんで?」
「なんでって……。川村くんとの会話聞いてなかった?」
「いや、普通に仲良さそうだったじゃん」
「仲良くないってば!」
「え、マジで? 俺、てっきりそういう感じかと……」
「全然違うから!」
「そ、そうなのか……。怒ってる?」
「怒ってるよ! 創ちゃんのバカ!」
「えぇ……なんで俺が怒られてんのか、マジでわからん……」
「そういうとこがだめなの!」
結局、何がダメだったのかは教えてもらえなかったが――夜にスイーツを提供すると約束するとふてくされていた夏樹の機嫌はなんとか直った。
なぜ直ったのかもわからないまま、俺は「女心ってのは難しい……」とそっと心の引き出しにメモをしまった。
夏樹は萌の家に何度も行っているらしく、迷うことなく食堂やまもとに到着。1階が店舗になっており、2階以上が居住スペースになっているようだ。
インターホンを押すと、すぐに反応があった。
『はーいっ!』
あいかわらず元気な声だ。数秒後、ガラッと戸が開いて、萌がにこにこ顔で現れた。
「いらっしゃい。待ってたよ〜! ささ、どうぞ!」
「「おじゃまします」」
夏樹と声を揃えて挨拶し、靴を脱いで中へ。中は想像以上に広くて、きれいに片づけられていた。食堂の奥に階段があり、居住スペースにつながっている。
案内されたリビングには、小柄なおじさんが椅子に座っていた。髪はうっすら白髪まじりで、丸眼鏡。年季の入ったエプロンがよく似合っている。
萌の父親――山本悟志さんだ。
「いらっしゃい。……おお、夏樹ちゃん、久しぶりだねぇ。元気そうでなにより」
「こんにちは、おじさん! 萌から話聞いて、何か力になれたらと思って……」
夏樹は親戚の家に来た子どもみたいににこにこと笑っている。たぶん昔からの付き合いなんだろう。悟志さんも、にこやかに目を細めた。
俺だけが、場違いみたいにガチガチだった。
「……あの、初めまして。山神創太郎と申します」
「おぉ、君が山神くんか。ようこそ。今日は来てくれてありがとう」
そう言って、悟志さんが手を差し出してくる。握手なんて予想外だったけど、俺も慌てて手を出した。
……あったかい。というか、包丁持ってる手なのに、すげぇ柔らかいな。
「萌からいろいろ聞いてるよ。真面目でしっかりしてるって、随分褒めてた」
……初耳だが?
萌の方をちらっと見れば、にっこり笑って手を振っていた。
「褒めましたよー? 私の顔と名前が一致していなかったこと以外は」
結局そこも蒸し返すのか。
俺がうっすら頭を抱えたその時だった。悟志さんが、ふっと表情を変えた。
「……三人の仲が良いのは、見ていれば伝わる。ただね、仕事ってのは、仲良しこよしでは務まらない。これはわかっているかな?」
空気がピンと張り詰めた。
夏樹と萌が、顔を引き締めて黙り込む。
俺は、椅子の背もたれから体を起こし、真っすぐ悟志さんに向き直った。
「はい。僕は家庭の事情で、これまでにもいくつかアルバイトをしてきました。ほとんどが紹介での仕事でしたから、紹介してくれた人にも、雇ってくれた人にも、迷惑をかけないように必死でやってきました」
言葉は自然に出てきた。何度も繰り返してきたことだからだ。
「今回も同じように、一生懸命働かせていただくつもりです」
悟志さんは少し驚いたように、口角を上げた。
「……山神くん。君は、しっかりしてるんだな。君みたいな子がいてくれて、本当にありがたいよ。もし妻が一緒に面接していたら、即決だっただろうと思う」
すぐにでも採用したい、そんな本音がにじんでいた。
「けれど、今は事情が事情だ。人手が足りないってことは、教育に割ける時間もないということなんだ。そこは、わかってくれるかな?」
「はい。萌さんからも少しお話は伺っています。……だからこそ、実際に作業を見て判断してもらいたいです」
「作業?」
「はい。野菜の下処理や切り方など、指示通りに動けるかどうか、見ていただけませんか?」
静かに、でもはっきりと伝えた。
悟志さんは小さくうなずいて、数秒考え込むような仕草をした後、ぽつりとつぶやいた。
「……ふむ。なるほど」
そう言って、しばらく考え込み、ふっと笑った。
「よし、わかった。実際にやってもらおう。まさに僕が言いたかったのもそれだ。百聞は一見にしかず、だね。……じゃあ、キッチン、こっちだよ。さっそく始めようか」
そこで、ふいに目を細めて俺を見た。
夏樹と萌が「はーい」と返事をして立ち上がり、俺も後に続く。




