第25話 球技大会 あのボランチ誰?
バレーの試合が終わったあと、私たちはそのまま急いでグラウンドへ向かった。体育館から外へ出ると、さっきまでの室内の熱気とは違って春の風がふわっと吹き抜けてきて、思わず深呼吸したくなる。だけど、のんびりしている時間はない。だって――今度は創ちゃんたちの試合だからだ。
グラウンドに近づくと、もうすでにかなりの人が集まっていた。球技大会の終盤に入ってきたこともあって、どのコートの周りも観客が増えている。その中でも、ひときわ声が大きい集団がある。
もちろん、うちのクラスだ。
「守れー!守れー!」
「三浦に出せ!三浦ー!」
「頼むぞお前らー!」
……うん、応援としてはだいぶ雑だけど、熱量はすごい。
私は萌と、足を軽く固定している直美の横に並んで観戦スペースに立った。直美はさっきまでベンチで安静にしていたけれど、「どうしても見る」と言い張ってここまで来たのだ。創ちゃんがしっかり包帯を巻いてくれたおかげで、歩くくらいなら何とか大丈夫らしい。
コートの中では、もう試合が始まっていた。
そして――
相変わらずだった。
創ちゃんたちのサッカーは、見ていてすごく分かりやすい。とにかく全員で守って、ボールを奪ったら一気に前に出す。細かいパスとか、華麗なドリブルとか、そういうのはほとんどない。
でも、その代わり――
めちゃくちゃ走る。
「創ちゃんまた走ってる……」
思わず呟く。
創ちゃんは真ん中あたりで、ずっと動き回っていた。右に走ってカバーして、左に戻ってボールを拾って、また前に顔を出す。見ているだけで大変そうだ。
隣で萌が小さく声を上げた。
「すごい……」
萌はさっきまで泣いていたとは思えないくらい真剣な顔で試合を見ている。直美も腕を組みながら、コートをじっと見つめていた。
そんな中、背後からとんでもない応援が聞こえてくる。
「後ろは気にするなー!」
「全部止めろー!」
「俺たちのご褒美はお前らにかかってるんだぞー!」
……最後のは完全に本音だ。
私は思わず振り返る。
クラスの男子たちが、全力で叫んでいた。しかも顔が真剣すぎる。青春の応援というより、人生の大事な何かがかかっている人たちの顔だ。
「本音が隠せてないですね」
「ほんとね」
直美も呆れたように笑った。
でも――
その声はちゃんと、コートに届いている。
創ちゃんたちは相変わらず必死に走り回っていて、三浦くんに向かって大きなロングボールが蹴られるたびに、観客席から「いけー!」という声が上がる。
なんだかんだ言って、みんな本気で応援しているのだ。
……たとえその動機が、少し邪だったとしても。
創ちゃんたちの試合を応援していると、ちょうど三浦くんがロングボールを受けて前へ抜け出した。観客席から「いけー!」という声が一斉に上がる。うちのクラスの男子たちは相変わらずテンションが高くて、応援というよりほとんど祈祷に近い勢いだ。「ご褒美の未来はお前たちにかかっているぞー!」という、スポーツ応援としてはだいぶ邪な叫びも聞こえてくるけど、まあ本人たちは本気なのだろう。
私は萌と直美の横に並びながら、コートの中で走り回っている創ちゃんを目で追っていた。創ちゃんは本当にずっと走っている。守備に回って、ボールを奪って、また位置を調整して、すぐに次のカバーへ。見ているこっちが疲れそうなくらいだ。
そんな時だった。
「広瀬さん」
背後から声をかけられた。
振り返ると、そこにいたのは川村くんだった。しかも今日は一人ではない。両脇に、見慣れない外国人の男性が二人立っている。
……あ、これ。
なんとなく察する。
「紹介させてほしいんだ」
川村くんは少し照れくさそうに笑いながら言った。
「ドイツのクラブチームのスカウト、シュナウダーさん。それからスペインのクラブチームのスカウト、ガルシアさん」
いや、頼んでないんだけど。
とは思ったけれど、さすがに口には出さない。私は軽く頭を下げた。
「Nice to meet you」
二人はにこやかに笑って握手してくる。どちらも背が高くて、顔立ちがやたら整っている。映画の俳優みたいだ。
その隣で、萌が固まっていた。
「……顔、きれいすぎる……」
ぽそっと呟く。
確かにわかる。近くで見ると本当に整っている。彫刻みたいだ。周囲のクラスの女子たちもちらちらこちらを見ている。たぶん同じことを思っているのだろう。
でも誰も近づいてこない。
理由はたぶん、単純だ。
英語が話せないからだ。
川村くんは苦笑していた。
「俺、日本語しか分からなくてさ。通訳がいないと会話が成立しないんだよ」
そう言って肩をすくめる。
「海外行くなら語学も勉強しないとな……」
なるほど、と思う。
通訳さんは今、校長先生と打ち合わせ中らしい。だからここにはいない。つまり、今この場ではまともに英語で会話できる人がいないということだ。
……一人を除いて。
私はとりあえず簡単な英語で挨拶を続けた。小さい頃から海外に行くことは多かったし、創ちゃんの影響で英語の本とか動画とかもよく見ていたから、日常会話くらいなら何とかなる。
すると横から、直美がぼそっと言った。
「海外行く気あるなら、今からでも必死に勉強した方がいいんじゃない?」
……それ、本人の前で言う?
私は思わず直美を見る。
直美は普通の顔をしていた。
川村くんは少しだけ苦笑した。
「耳が痛いな」
でも怒った様子はない。
その間にも、グラウンドの方では試合が続いている。創ちゃんたちがまたボールを奪い、三浦くんへ向けてロングパスが蹴られた。クラスの男子たちが再び叫ぶ。
「いけええええ!」
川村くんが二人のスカウトを紹介してくれたあと、私たちはグラウンド脇でそのまま試合を見ながら立ち話をしていた。とはいえ、私はほとんどコートの方ばかり見ている。だって、今は創ちゃんたちの試合の真っ最中だからだ。ちょうどボールが中盤で奪われて、創ちゃんが走り込んでフォローに入ったところだった。
そんな時だった。
隣に立っていたドイツ人のスカウト、シュナウダーさんが私に向かって話しかけてきた。
『We have seen the center back and the forward in the Japan youth national team tournaments. Do you know the name of that player playing as a defensive midfielder? (センターバックとフォワードの二人は世代別日本代表の大会で見たことがある。あのボランチの位置にいる選手の名前はわかるかい?)』
……え?
一瞬、自分に話しかけられたのかどうか分からなくて、少し間が空いてしまった。声のする方を見ると、私を見ていたので私に話しかけたんだと思う。
今の言葉の中に出てきた「センターバック」とか「ディフェンシブミッドフィルダー」とか、ポジションの単語を一瞬で整理できなかった。
私は少し苦笑いしながら答える。
『I'm sorry, I'm not very familiar with soccer positions, so it's hard for me to answer when it's explained like that. (すみません、サッカーのポジションにはあまり詳しくないので、そういう言い方をされると答えにくいです)』
すると今度は、スペインのスカウト、ガルシアさんがコートを指差した。
『Look, the boy who just touched the ball. (ほら、今ボールに触った子だ)』
私もそちらを見る。
ちょうどそのタイミングで、創ちゃんが相手のパスコースを読んでボールをカットしていた。
ガルシアさんが目を輝かせて続ける。
『That kid is incredible. (あの子はすごい)』
『He has talent comparable to Takahara and Miura. (高原や三浦にも劣らない素質を持っている)』
『Which club team does he belong to? Is he part of the high school soccer club? (どこのクラブチームに所属しているんだ?高校のサッカー部なのか?)』
どうやら――
創ちゃんのことらしい。
私は一瞬だけ考えてから、正直に答えた。
『He doesn't belong to the soccer club, and he isn't part of any club team either. (彼はサッカー部ではありませんし、クラブチームにも所属していません)』
二人のスカウトは同時にこちらを見た。
その表情は、ほとんど同じだった。
――冗談だろ?
と書いてある顔。
私は小さく笑ってもう一度言う。
『It's true. (本当です)』
二人はしばらく黙ってから、もう一度グラウンドの方を見た。ちょうどその時、創ちゃんがまた走ってカバーに入っているところだった。
その様子を見ていた萌と直美は、今度は別の意味で驚いていた。
「夏樹……」
「うん?」
「英語、普通に話してない?」
萌がぽかんとした顔で言う。直美も腕を組んだまま、じっと私を見ていた。
「今さらだけど、あなた普通に会話してるわよね」
「え? ああ……まあ、日常会話くらいなら」
二人が「へぇー……」という顔になる。
そのやり取りを聞いていた川村くんが、急に思い出したように私に言った。
「そうだ、広瀬さん」
「うん?」
「僕の印象がどうだったか、聞いてみてよ」
……え。
私は思わず固まった。それ、すごく難しい役割じゃない?もし変なニュアンスで伝わったら大変なことになる。
私はすぐに苦笑して首を振った。
「そういうのは通訳さんがいる時の方がいいよ。誤解があるとまずいし」
できるだけやんわり断る。すると川村くんは「ああ、それもそうか」と納得したように頷いた。
その間にも、グラウンドでは試合が続いている。創ちゃんがまたボールを奪って前へ出すと、クラスの男子たちの応援が爆発した。
「いけええええ!」
私が英語で会話できると分かった瞬間から、状況が少し変わってしまった。
というより――
逃げ場がなくなった。
気がつけば、シュナウダーさんとガルシアさんの二人が完全に私の両側に立っている。しかも、そのすぐ横には当然のように川村くんもいる。つまり、私は今、外国人スカウト二人とプロを目指しているサッカー少年の間に挟まれている状態だった。
……なんでこうなったんだろう。
私は本当は、創ちゃんたちの試合をゆっくり応援したかっただけなのに。
しかし二人のスカウトは、そんな私の事情など全く気にしていない様子で、試合を見ながらどんどん話しかけてくる。
『Miura is really a great player.(やはり三浦は素晴らしい選手だ)』
ガルシアさんが腕を組みながら頷く。
『Yes, very sharp movement.(ああ、動きが鋭い)』
そのまま視線をコートへ向けたまま、シュナウダーさんが続ける。
『Takahara is good too." (高原もいい選手だ)』
そして、急に別の方向を指差した。
『And the player on the right side back, he is moving very well. What is his name?" (それに、あの右サイドバックの選手もいい動きをしている。彼の名前は何と言うんだい?)』
私は視線をコートに向けて、その選手を確認する。
「ああ、あれは――」
すぐに分かった。
『His name is Hirota. (広田くんです)』
二人は同時に「Hirota…」と小さく復唱しながら、またメモを取るような仕草をした。
……これ、ずっと続くの?
その後も、二人の質問は止まらない。
『What grade is he? (彼は何年生だ?)』
『Is he a regular starter? (レギュラーなのか?)』
『Does he belong to a club outside school? (学校外のクラブチームにも所属しているのか?)』
私は一つ一つ答えながら、心の中で思った。
通訳さん。早く戻ってきてください。
すると二人は少し困ったような顔をした。
『English is useful, but sometimes it's hard to explain subtle nuances. (英語は便利だけど、微妙なニュアンスを伝えるのが難しい時がある)』
ガルシアさんが苦笑する。
『I would prefer speaking in my native language, but it's hard to find someone who speaks it fluently. (本当は母国語で話したいんだけど、ネイティブに話せる人がなかなかいないんだ)』
……ああ。
私は心の中で思う。
たぶん。
創ちゃんなら解決できるんだろうな。
でも今は、グラウンドの中で必死に走り回っている。
私はとりあえず「そうなんですね」と相槌を打ちながら試合を見続けた。
そして――
試合は、最後までギリギリだった。
うちのチームは相変わらずのカウンターサッカーで、必死に守って、ボールを奪ったら三浦くんへロングパス。観客席の男子たちは途中から祈りみたいな応援になっていた。
「守れええええ!」
「あと少しだあああ!」
「俺たちの未来がかかってるぞおおお!」
……たぶん、意味が違う。
そして試合終了の笛が鳴った。
スコアは――
1-0。
ぎりぎりの勝利だった。
試合終了の笛が鳴った瞬間、グラウンドのあちこちで人が倒れた。比喩じゃなく、本当に倒れた。うちのチームのメンバーはほぼ全員が芝生の上に転がっている。三浦くんも広田くんも、さっきまで必死に走り回っていたのが嘘みたいに空を見上げて動かない。遠くから見ると、なかなかの惨状だ。
三浦くんも広田くんも、ほとんど全員が芝の上に転がっている。さっきまで走り回っていた反動なのか、完全に電池が切れた人たちの集団みたいだ。
「行こ!」
私は萌と直美に声をかけて、すぐにグラウンドへ走った。手にはさっき準備しておいた水筒とタオル。クラスの女子たちも同じように走り出していて、あちこちで「水!」「タオル!」という声が飛び交っている。まるで救護班みたいだ。
私はすぐに創ちゃんを見つけた。創ちゃんは仰向けになって空を見ていて、肩で息をしている。さっきまで本当にずっと走っていたから、そりゃこうなるよね。
「創ちゃん」
声をかけると、創ちゃんは少しだけ首をこちらに向けた。
私は水筒とタオルを差し出す。
「はい」
創ちゃんはゆっくり手を伸ばしてそれを受け取った。
「ありがとう」
短くそう言って、まず水を一口飲む。それからタオルで顔を拭いた。汗で前髪がぐちゃぐちゃになっている。
少し休んだあと、創ちゃんはゆっくり体を起こした。まだ少しふらついているけど、そのまま立ち上がる。
「ベンチ行くか…」
そう呟いて歩き始める創ちゃんの後ろを、私はなんとなく一緒に歩いた。
改めて思う。
サッカーしている時の創ちゃんって、ほんとにかっこいい。
普段は本ばっかり読んでて、やる気があるのかないのか分からない顔をしているのに、試合になると別人みたいになる。ボールを追って、誰かをカバーして、また走って、また守って。自分が点を取るわけでもないのに、ずっと走り続ける。
創ちゃんらしいな、って思う。
必死に、誰かのために走る。
……だったら、サッカーやめなくても良かったんじゃないかな、って思う時もある。
でも、それは私が決めることじゃない。創ちゃんがいっぱい悩んで決めたことだから、私は応援するだけ。そんなことをぼんやり考えながら歩いていると、ふと創ちゃんの足が止まった。
私は顔を上げる。
視線の先には――
うちのクラスのベンチ。
そして。
そこには、なぜか。
外国人スカウト二人と川村くんが立っていた。
創ちゃんの顔が、ぴきっと引きつる。
その表情はとても分かりやすかった。
「……なんで?」
って顔だ。
私は小さく肩をすくめた。
心の中で思う。
そうなるよね。




