第24話 球技大会 浄化と扉
昼休憩も終わりに近づいたころ、俺と夏樹は校舎裏からグラウンドの方へ戻ってきた。さっきまで静かな場所で弁当を食べていたせいか、校庭に近づくにつれて聞こえてくる声の量が一気に増えていく。あちこちで弁当箱を片付ける音がして、ジャージ姿の生徒たちがボールを軽く蹴り合ったり、ストレッチを始めたりしている。午前中の試合で勝ったチームは妙にテンションが高く、負けたチームはもう完全に観客モードに入っているようで、校庭全体がどこかお祭りの後半戦みたいな雰囲気になっていた。
そんな中、自分たちのクラスの集まっている場所へ近づいていくと、ちょうど高原たちが何やら話しているところだった。俺たちの姿に気づくと、広田が手を振ってくる。
「おー、戻ってきたか」
「まあな」
俺がそう返すと、三浦がにやっと笑った。
「ちゃんと飯食ったか?」
「一応な」
正直あまり食欲はなかったが、午後の試合を考えると食べないわけにもいかないので無理やり詰め込んできた。そんな俺の返事を聞いて、高原がうんうんと頷く。
「よし、それなら大丈夫だな」
……何が大丈夫なのかはよく分からないが、とりあえず頷いておくことにした。
するとその時、山本さんがぱっと顔を上げた。
「あ、ちょうどいいです!」
「何が?」
「このあとバレーの試合なんです」
そう言って山本さんは隣にいる夏樹と柴田さんの方を指差した。
そういえば午前中の試合の時にも聞いた気がする。夏樹と柴田さんはアタッカーで、山本さんはリベロだ。三人とも普通に主力メンバーらしい。
高原が腕を組みながら言う。
「ちょうど今から始まるらしいぞ」
広田も頷いた。
「せっかくだし見に行こうって話になってた」
三浦は笑いながら言った。
「俺らの試合の前に、クラスの応援だな」
なるほど。
そういう流れらしい。
周囲を見ると、クラスメイトたちもすでに立ち上がり始めている。弁当箱を片付けながら「行こうぜ」「いい席取ろう」とか言っているあたり、完全に観戦モードだ。
俺はその様子を見ながら思った。
……なんだかんだ言って、仲のいいクラスである。
球技大会というとクラス対抗でギスギスすることもあると聞くが、うちの場合はどちらかと言えばみんなで騒ぐタイプらしい。サッカー組もバレー組も関係なく、試合があれば普通に応援に行く。
夏樹が俺の袖を軽く引いた。
「創ちゃんも来るよね?」
「まあ、行くけど」
どうせこのあと準決勝まで少し時間がある。ここで一人だけ読書をしていても、たぶん誰かに見つかって引っ張り出されるのがオチだろう。
俺がそう答えると、夏樹は少し嬉しそうに笑った。
「じゃあ行こ」
その一言をきっかけに、クラスの集団がぞろぞろと移動を始める。体育館の方へ向かう流れができていて、気づけばちょっとした行列みたいになっていた。
どうやら俺たちは、クラスのバレー観戦団として体育館へ向かうことになったらしい。
体育館に入ると、すでにいくつかの試合が進行しており、バレーボールの軽快な音と応援の声が天井に反響していた。校庭のサッカーとは違い、屋内競技特有の音の跳ね返り方があるせいで、ひとつひとつのプレーが妙に迫力を持って耳に飛び込んでくる。そんな中、俺たちはクラスメイトの流れに乗ってコート脇の観客スペースへと陣取り、ちょうど始まっていた試合を見下ろす形になった。
コートの中では、すでにラリーが続いている。
そして、正直に言ってしまうと――うちのクラス、普通に強い。
サッカーのように「必死に耐えてワンチャン狙う」という雰囲気ではなく、どちらかというと試合を支配している感じだ。相手チームも決して弱くはないのだが、レシーブ、トス、スパイクの流れが安定しているため、全体的にこちらが優勢に進めている。
前衛でジャンプしてスパイクを叩き込んでいるのは夏樹だ。助走からのジャンプが妙に軽やかで、昔から運動能力が高いのは知っていたが、改めて見ると普通にうまい。ボールが床に叩きつけられると同時に、観客席から「ナイス!」という声が上がる。
そしてもう一人、同じく前衛で暴れているのが柴田直美だ。
広報部だったはずなのに、なぜこんなに躍動感のあるスパイクを打てるのか理解に苦しむ。夏樹が言っていた「ポテンシャルお化け」という評価は、どうやら誇張でも何でもなかったらしい。
さらに後衛では、小柄な山本さんがリベロとしてちょこまかと動き回り、ボールをきっちり拾っている。小動物が反射的に跳ね回っているような動きだが、その実かなり安定している。見ていると「そこ拾うのか」というボールを普通に上げてくるので、味方としてはかなり心強いだろう。
観客席のクラスメイトたちもテンションが高い。
「いけー!」
「ナイスレシーブ!」
「あと一本!」
などと、応援というより半分お祭りの掛け声みたいな状態になっている。まあ、勝っている試合というのは基本的に応援も楽しい。
だが、その流れが突然止まった。
直美がジャンプしてスパイクを打ったあと、着地の瞬間に体勢を崩したのだ。
「――っ」
短い声が聞こえたかと思うと、直美はその場に膝をつくようにしゃがみ込んだ。
体育館の空気が一瞬で変わる。
審判の笛が鳴り、試合が中断された。
「直美!?」
最初に駆け寄ったのは夏樹だった。コート内のメンバーが一斉に集まり、さらに応援席からも女子生徒たちが何人か駆け寄っていく。山本さんも慌ててコートの中央から走ってきて、直美の隣にしゃがみ込んだ。
どうやら足を押さえている。
俺たちも観客席から身を乗り出す形になり、様子を見守る。
「……捻った?」
夏樹がしゃがみ込んで聞くと、直美は少し顔をしかめながら答えた。
「たぶん……着地ミスった」
試しに立ち上がろうとするが、すぐに顔を歪めて体勢を崩す。どう見ても普通には歩けない状態だ。
周囲の女子たちがざわつく。
「大丈夫?」
「無理しない方がいいよ」
「保健室行こうよ」
しかし当の本人は、まだ諦めていないらしい。
「いや、大丈夫。いけるわよ」
そう言ってもう一度立とうとするが、当然のように足が言うことを聞かない。結局その場でバランスを崩し、再びしゃがみ込むことになった。
夏樹がため息をついた。
「……直美、無理」
「まだいけるって」
「立ててないじゃん」
完全に正論だった。
しばらく無言で見つめ合ったあと、直美は観念したように肩を落とした。
「……分かったわよ」
そして夏樹に支えられながら、なんとかコートの外へと移動することになった。
その途中で、夏樹がこちらを振り向く。
「創ちゃん!」
「ん?」
「応急処置、お願い!」
……なぜ俺。
いや、理由は分かっている。以前、夏樹が足を捻挫した時、俺が応急処置をしたことがあるからだ。あの時は確か、冷やして固定して安静にさせたら数日で普通に歩けるようになった。
夏樹は直美に言い聞かせるように話している。
「大丈夫だよ、創ちゃんこういうの得意だから」
「そうなの?」
「私も前に捻挫したけど、すぐ良くなった」
直美は少し安心したような顔になった。
……が。
俺としては、普通に思う。
「いや、先に保健室じゃないか?」
怪我人が出たら普通そうするだろう。
しかしその提案は、当の本人に即座に否定された。
「それは嫌」
即答だった。
いや、なぜ。
俺が思わず眉をひそめていると、直美は真顔のまま言った。
「試合、まだ終わってないもの」
どうやら、最後まで観戦する気満々らしい。
体育館のコート脇、試合を一時中断したままの空気の中で、俺はしゃがみ込みながら柴田さんの足首をそっと持ち上げた。周囲では女子たちが心配そうに覗き込んでいるし、コートの向こうでは審判や相手チームの選手たちが「どうするのかな」という顔でこちらを見ている。こんなに注目を浴びながら怪我の診察をする経験は、正直あまりない。
柴田さんの右足首は、すでに少し腫れ始めていた。触ると本人がわずかに顔をしかめる。
「痛む?」
「……まあ、それなりに」
それなりに、という顔ではないが。
俺はゆっくりと足首の角度を確認しながら、頭の中で知識を整理する。医者ではないが、本で読んだことくらいは覚えている。
足関節の捻挫は、スポーツではかなり一般的な怪我だ。多くの場合は足首を内側にひねる「内反捻挫」で、外側の靱帯――特に前距腓靱帯という部分が伸びたり傷ついたりすることが多い。軽度なら靱帯が伸びただけで済むが、ひどい場合は部分断裂や完全断裂もあり得る。もっとも、見ただけでそこまで判断するのは無理だ。正確に確認するならレントゲンやMRIが必要になる。
つまり――
「うん、たぶん捻挫」
とりあえず見たままの結論を言う。
柴田さんが呆れた顔をした。
「それは分かるわよ」
「まあそうだな」
俺も頷いた。
だが冗談はさておき、骨折っぽい違和感はないし、関節の位置もおかしくない。腫れ方もそこまで極端ではない。経験則と知識を総動員した結果、おそらくは靱帯が軽く伸びた程度だろう――というのが今のところの見立てだった。
「ただ、靱帯がどれくらい傷んでるかは分からん。ちゃんと確認するならレントゲンとか必要になる」
俺はそう言ってから、もう一度付け加えた。
「だから本来はさっさと病院行った方がいい」
すると柴田さんは、さっきと同じ顔で首を横に振った。
「嫌」
「なんで」
「試合見たいから」
即答だった。
……この人、意外と頑固だな。
周囲の女子たちも苦笑いしている。どうやら性格はよく知られているらしい。
俺は小さくため息をついた。
「じゃあ応急処置だけな」
「お願い」
そう言って柴田さんは素直に足を差し出してきた。
ちょうどそのタイミングで、クラスメイトの女子が救急箱を抱えて走ってきた。
「これ使って!」
「助かる」
俺は礼を言いながら箱を開け、中身を確認する。包帯、テーピング、ガーゼ、消毒液……学校の救急箱らしく、一通りは揃っている。
とりあえず必要なのは冷却と固定だ。
俺は顔を上げて声をかけた。
「高原」
「ん?」
「氷もらってきてくれ。アイシングしたい」
高原は一瞬で状況を理解したらしく、すぐに頷いた。
「了解」
そう言うと体育館の外へ走っていく。こういう時の判断と行動が早いのは、さすがクラス委員というべきかもしれない。
俺は救急箱からテーピングと包帯を取り出しながら、もう一度柴田さんの足首を軽く確認する。
「ちょっと固定するぞ」
「うん」
柴田さんは大人しく頷いた。
そして俺は、体育館の床に膝をついたまま、足首の応急処置を始めることになった。
俺がテーピングを取り出して足首を固定し始めると、周囲にいた女子たちの空気が少し変わった。さっきまでは「どうしよう」「大丈夫?」とざわざわしていたのに、今度は別の意味でざわつき始めている。
「……手際いいね」
誰かがぽつりと呟いた。
「ほんとだ」
「慣れてる感じ」
そんな声が聞こえる。
いや、別に慣れているわけではない。ただ本で読んだ知識と、昔夏樹にやった時の記憶を思い出しているだけだ。だが、どうやら周囲にはそうは見えないらしい。
俺は柴田さんの足首を軽く持ち上げ、角度を確認しながらテーピングを巻いていく。強く締めすぎると血流が悪くなるし、緩すぎても固定の意味がない。だから手元に神経を集中させる。
もっとも、その間も柴田さんはというと――
「いけっ!」
突然そんな声を出した。
俺は思わず顔を上げる。
視線の先では、コートの上でラリーが続いていた。どうやら味方チームがいい形で攻撃しているらしい。
「ナイスレシーブ!」
柴田さんの隣にいた女子も声を上げる。
……あの。
俺、今治療中なんだが。
しかしそんな俺の事情などお構いなしに、女子たちは試合を見ながら一喜一憂している。
「あー惜しい!」
「今の決まったと思ったのに!」
「萌ちゃんナイス!」
完全に観戦モードだ。
俺は黙々とテーピングを巻きながら思う。
……この状況、なかなかシュールである。
片方では怪我の応急処置、もう片方ではスポーツ観戦。しかも全員が同時進行でそれをこなしている。
だが幸い、処置自体は順調だった。テーピングで軽く固定したあと、その上から包帯を巻いていく。ぐるぐると足首を支える形にして、最後に結び目を作る。
「はい、こんなもん」
俺が手を離すと、柴田さんは足首を少し動かしてみた。
「……さっきより楽かも」
「そりゃ固定してるからな」
そう言ったところで、ちょうど高原が戻ってきた。
「氷!」
息を切らしながらビニール袋を差し出してくる。中には砕いた氷がたっぷり入っていた。
「助かる」
俺はそれを受け取ると、タオルで軽く包んで柴田さんの足首に当てた。
「とりあえず冷やしとけ。二十分くらい。感覚なくなるくらい冷やすのがいい」
「了解」
柴田さんは真面目に頷いた。
「あと、できればこのあと病院へ」
「……考えとく」
その返事は、ほぼ行かないと言っているようなものだったが、これ以上は言っても無駄だろう。
俺は立ち上がり、少し体を伸ばした。しゃがみっぱなしだったので膝が少し固まっている。普通ならそのまま観客席に戻るところだが、なんとなく面倒になり、俺はそのままベンチの近くに腰を下ろした。
コートでは試合が再開されている。
しかし、流れは明らかに変わっていた。
柴田さんという主力アタッカーが抜けたことで、攻撃の威力が一段落ちている。代わりに入った選手も頑張ってはいるが、さっきまでの勢いがない。
さらに怪我の影響か、チーム全体の動きも少し硬くなっていた。
結果は――
第三回戦、敗退。
試合終了の笛が鳴ると同時に、体育館に拍手が広がった。負けはしたが、いい試合だったという空気だ。
そしてベンチの横でそれを見ていた柴田さんは、氷を当てたまま小さくため息をついた。
「……ごめん」
どうやら、自分が抜けたことを気にしているらしい。まあ、確かに主力だったのは間違いない。
コートの中では互いに軽く頭を下げ合い、選手たちがネット越しに握手をしていた。勝ったチームも負けたチームも、さすがにここまで来ると全力を出し切った顔をしていて、体育館のあちこちから「お疲れー!」とか「ナイスゲーム!」とか、そんな声が飛んでいる。球技大会特有の、あの妙に爽やかな空気だ。
……が。
その空気の中心で、一人だけ別の状態になっている人物がいた。
山本さんである。
「うぅ……」
小さくうずくまりながら、肩を震わせている。
どうやら最後のラリーでレシーブを上げきれなかったことを、かなり気にしているらしい。あの場面、確かに難しいボールだったし、誰が取ってもギリギリだったと思うのだが、本人としてはそういう問題ではないのだろう。
その様子を見た夏樹が、すぐに駆け寄った。
「萌、大丈夫だよ」
そう言って、迷いなく抱きしめる。
山本さんは最初こそ驚いたように目を瞬かせたが、次の瞬間にはそのまま顔を埋めてしまった。
「ごめんなさい……私が……」
「違うって。最後まで頑張ってたじゃん」
夏樹は背中をぽんぽんと軽く叩きながら、優しい声でそう言う。慰め方が完全に姉か母親のそれだ。
そして、その光景を見ていた観客席の男子たちが――
ざわ……と静かになった。
「……おい」
「……なんか」
「……尊い」
小声の会話が聞こえる。
どうやら精神的な浄化が始まりかけているらしい。
男子数名が天井を仰ぎながら「危ない……危ない……」とか言っている。意味はよく分からないが、どうやら踏みとどまろうとしているようだ。
一方で、その光景を見ていた女子の一部からも別のざわめきが起きていた。
「……今の」
「ちょっと良くない?」
「わかる」
何かが芽生えかけている気配がする。
新しい扉が開こうとしているのを感じるが、俺は全力で見て見ぬふりをすることにした。世の中には深入りしない方がいい領域というものがある。
そんなこんなで、山本さんはしばらく夏樹の胸元で泣いていたが、やがて突然顔を上げた。
「……はっ」
何かに気づいたらしい。
そして次の瞬間、山本さんはぱっと立ち上がった。
「直美ちゃん!」
そう叫びながら、ベンチの方へと走ってくる。
俺と柴田さんの前まで来ると、そのまま勢いよく――
抱きついた。
「わっ」
柴田さんが少し驚く。
だが山本さんもさすがに怪我人に全体重を預けるほど無謀ではないらしく、足に負担がかからないように体を寄せている。器用なものだ。
「足、大丈夫ですか!?」
山本さんが心配そうに聞く。
柴田さんは少し苦笑しながら答えた。
「ええ、大丈夫よ」
「でも私のせいで……」
「違うわよ」
柴田さんは山本さんの頭を軽く撫でた。
「バレーはチームスポーツなんだから」
そのやり取りを見ていた男子たちは――
ついに限界を迎えた。
「……無理」
「浄化された」
「尊い……」
などと言いながら、数人がその場に崩れ落ちている。精神的な何かが浄化されたらしい。
その様子を横目で見ながら、俺は静かに視線を逸らした。関わるとろくなことにならない気がする。
するとその時、夏樹がこちらへ歩いてきた。
柴田さんの足をちらりと見てから、俺に向かってにこっと笑う。
「創ちゃん、ありがとう」
「別に。たいしたことじゃない」
俺は肩をすくめた。そして一言付け加える。
「それより、病院行くように説得しといてくれ」
すると夏樹は、ちらっと柴田さんの方を見てから苦笑した。
「……頑張ってみる」




