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きみの隣で、今日も考えてる  作者: マリセリソウ


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第19話 寝癖を直しただけなのに

 目が覚めたのは、いつも通りの時間だった。

 まだ外はうっすら暗く、部屋の時計は五時半を少し過ぎたところを指している。布団から出て軽く伸びをし、寝ぼけた頭を振りながら部屋のドアを開けた。

 廊下に出て、隣の部屋をちらりと覗く。

 夏樹はまだぐっすり眠っていた。昨夜は俺に運ばれてベッドに置かれた記憶すら残っていないだろう。布団にくるまったまま、微動だにしていない。


「……よし」


 確認だけして、俺は静かに家を出た。

 毎朝の習慣があるからだ。

 ランニング、三十分。

 それから筋トレ。

 これが俺の朝の日課になっている。

 走り始めると、まだ人の少ない住宅街の空気が肺に入ってくる。朝の空気は妙に澄んでいて、夜とは違う静けさがある。頭の中も自然とすっきりしてくる。

 朝に運動すると、体のスイッチがきれいに入る。

 血流が良くなって、頭も回りやすくなるし、一日の代謝も上がる。つまり何が言いたいかというと――朝に運動するのは結構おすすめだ。ついでに言えば、ダイエットにも最適だぞ?

 そんなことをぼんやり考えながら三十分ほど走り、家に戻る頃には体もすっかり温まっていた。

 そのまま筋トレに移行する。

 腕立て、腹筋、スクワット。いつものメニューを一通りこなしていると、春先とはいえじわっと汗がにじんでくる。


「……よし、こんなもんか」


 最後のスクワットを終えたところで一息つく。体はしっかり目覚めていたが、さすがにこのままでは汗が気持ち悪い。

 軽くシャワーを浴びて汗を流し、キッチンへ向かった。


 朝食の準備だ。


 炊飯器を開けると、湯気と一緒に白いご飯の香りが広がる。昨夜のうちにタイマーをセットしておいたので、ちょうど炊き上がったところだった。

 次に味噌汁。

 昨日、店長からもらった野菜を適当に刻んで鍋に放り込む。だしを入れて、味噌を溶かして、軽く火を通せばそれなりに形になる。家庭料理はこれくらい雑でも意外とどうにかなる。

 コンロの横ではフライパンを温め、ベーコンを並べる。ジュワッと油の弾ける音がして、いい匂いが広がる。

 その横で卵を割り落とし、目玉焼きを作る。

 朝飯としては十分だろう。

 味噌汁の湯気、焼けるベーコンの匂い、卵の焼ける音。キッチンが朝らしい空気に包まれてきた頃だった。

 後ろから、ぺたぺたと足音が聞こえた。


 振り返ると、夏樹が立っていた。


 パジャマ姿で、目は半分閉じている。長い髪は寝癖でふわっと広がり、いつもの整った雰囲気はどこへやら、完全に寝起きの人間だ。

 髪が、もさっとしている。


「……おはよ」

「おう。おはよう」


 キッチンの入口に立ったまま、夏樹はまだぼんやりしていた。寝起きの顔のまま、しばらくこちらを見ていたが、ふと首をかしげる。


「……あれ?」

「どうした」


 フライパンの様子を見ながら返事をすると、夏樹は少し考えるような顔をした。


「私、どうやって部屋に行ったっけ」


 ああ、そこか。


「覚えてないのか」

「うん。ソファーでドラマ見てたのは覚えてるんだけど……そのあとが全然」


 俺はベーコンをひっくり返しながら、昨日の様子をそのまま伝えることにした。

「寝てた」

「え」

「完全に」


 夏樹の目が少し開く。


「肩に倒れてきて、そのまま寝落ち」

「うそ……」

「起こしたけど起きなかった」

「えぇ……」

「最後に『抱っこ』って言った」


 そこまで聞いた瞬間、夏樹の顔が一気に赤くなった。


「……言ってない」

「言った」

「言ってない」

「半分寝ながら言ってた」


 夏樹は両手で顔を覆い、小さくうめいた。


「……ごめん」

「別にいいけど」

「重かったでしょ……」

「いや」


 俺は味噌汁をかき混ぜながら肩をすくめる。


「……軽かった」

「……なんで少し間があるのよ!」


 夏樹はさらに恥ずかしそうな顔をした。

 しばらく沈黙が流れる。


 その様子を横目で見ながら、俺は少しだけ昔のことを思い出していた。


 小さいころも、似たようなことがあった。

 夏樹はよく遊びに来て、そのまま眠ってしまうことがあった。そうすると、なぜか人にくっつく癖があって、離そうとすると起きる。結局そのまま抱え上げて運ぶことになる。

 あの頃はまだ体格差も大きくなくて、運ぶのも今ほど大変じゃなかった気がする。

 今もやっていることは同じだが、さすがに状況としては色々おかしい。


 ただ――


 目の前で寝癖を直そうとしながら照れている夏樹を見ていると、昔とあまり変わっていないような気もする。

 夏樹は自分でもそれを思ったのか、少しだけ視線をそらした。


「……なんか、恥ずかしい」

「何が」

「昔と同じことしてるの」


 小さくそう言って、髪をいじる。

 確かにそうかもしれない。

 俺は特に何も返さず、味噌汁の火を止めた。

 ふと時計を見る。


「……あ」

「ん?」

「急がないと朝飯食う時間なくなるぞ」


 その言葉を聞いた瞬間、夏樹の目が一気に覚めた。


「え!?」

「もう七時半」

「うそ!」


 慌てて自分の髪を触り、寝癖の感触にさらに慌てる。


「ちょっと待って! 顔洗ってくる!」


 そう言うと、夏樹はぱたぱたと洗面所へ走っていった。

 その背中を見送りながら、俺は皿を並べる。


 まったく、朝から騒がしい。



 朝の通学路はいつも通りの賑わいだった。制服姿の学生があちこちから集まり、校門へ向かう流れに自然と紛れていく。俺と夏樹もその中に混ざりながら、特に会話もなく学校へ向かっていた。

 校舎に入り、教室の前まで来たところで、ふと夏樹の頭に目がいく。


 ……ああ。


 さっき整えたはずの寝癖が、また少しだけ跳ねていた。


「ちょっと止まれ」

「え?」


 夏樹が首を傾げる。

 俺は手を伸ばして、その跳ねた髪を軽く押さえた。指で整え、手ぐしでなぞる。寝癖はわりと素直に収まった。


「ほら」

「……あ」


 夏樹は少し驚いたように目を丸くし、それから照れたように笑った。


「ありがとう」


 そのまま何事もなかったかのように教室のドアを開ける。

 そして一歩入った瞬間だった。


 空気が止まった。


 教室の中にいた全員の視線が、ぴたりとこちらに向く。

 次の瞬間、ざわっと空気が揺れた。


「……え?」


 誰かが小さく呟いたのをきっかけに、教室のあちこちでざわめきが広がっていく。


「今……」

「見た?」

「いやいやいや」


 数人の男子が顔を見合わせている。女子の方でもひそひそ声が広がっていた。

 夏樹はその空気に気付き、慌てて手を振った。


「違う違う!」


 教室の視線が一斉に集まる。


「幼馴染だから!」


 その説明は、どうやら火に油だったらしい。

 ざわめきの質が変わった。


「いやいやいや」

「幼馴染だからって」

「今の自然すぎるだろ」


 男子の何人かは机に突っ伏して頭を抱え、女子は妙に楽しそうに笑っている。

 俺はその様子を横目で見ながら、特に気にすることもなく自分の席へ向かった。鞄を机に置き、本を取り出してページを開く。

 こういう騒ぎは放っておくのが一番だ。

 読書を始めて数分後、ふと教室の一角に視線を感じた。


 柴田直美だった。


 腕を組みながら、どこか面白そうにこちらを見ている。観察しているというか、何かを理解したような顔だ。


 ……すべてを見抜いている顔だな。


 だが、俺はその視線に気付かなかったことにした。触れると絶対に面倒なことになる。

 教室の騒ぎはしばらく続いたが、やがてホームルームが始まると落ち着いていった。その後の学校生活は、ほとんどいつも通りだった。


 休憩時間になると、クラスのあちこちで雑談が始まる。サッカーの話をしているやつ、スマホゲームの話をしているやつ、購買のパンの話で盛り上がっているやつ。

 その中で、俺は机に本を広げてページをめくっていた。

 周囲では何人かの男子が、時々こちらをちらちら見ている。妙に暗い視線を感じる気もするが、特に気にすることはない。たぶん気のせいだ。

 昼休みになっても状況は変わらない。弁当を食べ終えると本を開き、静かに続きを読む。周囲では昼食の雑談が続いているが、俺は文字を追うことに集中していた。


 そうして一日が過ぎていく。


 午後の授業が終わり、放課後のチャイムが鳴った。

 教室の空気が一気に動き始める。椅子が引かれる音、部活の話をする声、帰り支度を始める生徒たち。

 そのざわめきの中で、俺は本にしおりを挟んで静かに閉じた。



 放課後のグラウンドは、ここ最近ずっと同じ光景になっている。球技大会が近づいているせいで、校庭のあちこちでクラス単位の練習が行われていた。サッカー部や野球部はいつもの場所で部活をしているが、その隅っこの方で、俺たちのクラスも小さくスペースを借りてボールを蹴っている。

 最初のころは本当に「寄せ集め」だったチームも、さすがに何日か練習を重ねると形になってくるものだ。守備の連携も最初に比べればかなりましになったし、サッカー部以外のメンバーもそれぞれ自分の役割は理解してきている。とはいえ、強いか弱いかで言えば、まだまだ不安しかないのが現実だった。

 そんな練習の合間、俺はなぜかグラウンドの端で作戦会議に参加させられていた。

 高原、広田、三浦。そして俺。


 いや、ちょっと待て。


「……なあ」


 俺はしゃがみながら、素朴な疑問を口にする。


「なんで俺ここにいるんだ?」


 三人が同時に顔を上げた。

 そして、三人とも同じ表情をした。

 ――まじで言ってんのかこいつ、という顔である。


「いやいやいや」


 広田が額を押さえた。


「何言ってんだお前」

「いや、だって」


 俺はボールを軽く足で転がしながら続ける。


「戦術とか考えるの、お前らサッカー部だろ。俺ただの助っ人だぞ?」


 三浦が深くため息をついた。


「山神、お前さ……」

「うん」

「自分が何してるか分かってないだろ」

「何って、ボール追いかけてるだけだが」


 高原が空を見上げた。

 そして、もう一度俺を見る。


「……まじか」

「何が」


 その様子に、俺の方が困る。

 三人は顔を見合わせたあと、小さく首を振った。どうやら説明するのを諦めたらしい。


「まあいい」


 高原が話を戻す。


「とりあえず守備はだいぶ形になってきた」


 それは確かだ。何度もミニゲームを繰り返して、守備の位置取りはかなり整理されてきている。


「問題は攻撃だな」


 広田が腕を組む。

 三浦も頷いた。


「俺が下がってDMFやると、守備は安定するんだよな」

「そうなんだよ」


 高原が言う。


「でもその分、前線が完全に死ぬ」


 それも事実だった。三浦は本来フォワードの選手だ。そこが守備の位置まで下がると、前でボールを収める人間がいなくなる。

 つまり、守備は固くなるが、攻撃がほとんど機能しない。

 俺はグラウンドの方を見る。練習しているメンバーの姿が目に入った。

 バスケ部の池上。

 柔道部の後藤。

 陸上部の伊谷と加藤。

 そして、なぜか花壇の近くで小さな花を見ている山田。


 ……あいつ、今日も妖精と会話してるんじゃないだろうな。


「まあ、あいつらに複雑なことは求められないよな」


 俺が言うと、三浦が苦笑する。


「タスク増やすとパンクする」

「だよな」


 池上は運動能力は高いが、サッカーの動きはまだ慣れていない。後藤はフィジカルは強いが細かいポジション取りは苦手だし、陸上部の二人は走るのは速いがボール扱いはまだ怪しい。

 つまり、やれることは多くない。

 俺たちはしばらく黙った。

 風の音と、遠くの部活の掛け声が聞こえる。

 そして、ほぼ同時に口を開いた。


「あれしかないな」


 三人が頷く。

 俺も頷いた。

 選択肢は多くない。むしろ、これ以外は現実的じゃない。


「まあ、そうなるよな」


 高原が立ち上がる。


「じゃあ、みんなに説明するか」


 三浦がボールを拾い上げた。


「理解できるように言葉選ばないとな」

「あと練習方法も考えないとだな」


 広田がそう言ってグラウンドの方を見た。

 俺も立ち上がる。

 ……まあ、どうせやるなら、やれるだけやるしかないか。

 四人で顔を見合わせ、小さく頷いた。

 そして俺たちは、チームのメンバーが待っているグラウンドの方へ歩き出した。

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