第13話 戦犯候補から救世主候補へ
放課後の校庭の隅で、俺はなぜかホワイトボードの前に立っていた。サッカー部でもないのに、フォーメーション図を前にしているこの状況がまずおかしい。
今回の球技大会は、コート数の都合で八人制サッカーだ。キーパー一名、フィールドプレーヤー七名。フルサイズよりはコンパクトだが、その分運動量は増える。逃げ場がない。つまり、しんどい。
うちのクラスにいるサッカー部員は四人だけ。高原、広田、三浦、それともう一人……ではなく三人。数え直しても三人だが、気迫は四人分あるらしい。ともかく人数が足りないので、「運動できそう」という曖昧かつ希望的観測に基づき、各部活から助っ人を募ることになった。
野球部の山田篤弘。身長一九〇センチ。立っているだけでゴールが狭く見える。もはや物理。穏やかな顔で「僕でよければ」と言ったが、よく考えたら一番よければなのは相手チームのはずだ。
柔道部の後藤直人。体幹が岩。接触プレーが起きた場合、たぶん相手が弾かれる。本人は「サッカーは足技ですよね」と遠慮がちだが、足技どころか投げ技まで飛び出しそうで若干怖い。
バスケ部の池上祐樹。視野が広い。パスセンスがある。たぶん一番サッカーに近い。軽やかにボールを扱う姿は頼もしいが、たまにドリブルがバスケ寄りになるのが玉に瑕だ。
陸上部の伊谷と加藤。とにかく速い。ボールより先にゴール前に到着する可能性がある。持久力もある。走らせておけばだいたい何とかなる気がする。サッカーとは走る競技だと信じれば、もう勝ったも同然だ。
フォーメーションは3-1-2-1。誰が考えたのか知らないが、気づいたら俺が説明役になっていた。
キーパーは山田。ゴール前に立つだけで圧がある。ディフェンスは高原と広田を軸に、池上と後藤が交代で入る。堅実と重量の融合だ。ディフェンシブミッドフィルダーに俺。なぜか俺。左に伊谷、右に加藤。速さで世界を制圧する布陣。前線は三浦。天性のストライカー川村に対抗するための、うちの切り札らしい。
控えには陸上部や卓球部など、運動部の面々が入ってくれた。球技大会とはいえ、やるからには本気だという空気が漂っている。応援組はすでに声出しの練習を始めていて、どこの部活だという統率感を見せている。
俺はフォーメーション図を眺めながら思う。
なぜ、こんなガチ編成になった。
八人制。コンパクトなフィールド。逃げ場のない運動量。そしてクラス全体の異様な士気。
たかが球技大会。されど球技大会。あの「あ~ん券」がかかっている限り、このクラスは本気だ。
俺は小さく息を吐く。DMF。守備の要。試合のバランサー。
どうしてこうなった。
高原がパンパンと手を叩く。
「というわけで、今日は特別にサッカー部員たちが相手になってくれる!」
いや、聞いてない。
「今日はメンバーの選別だけじゃなかったのか?」
「5分のミニゲームを2本だけやってもらおうかと思ってるんだ」
“だけ”の基準がおかしい。
「俺はそろそろバイトの時間……」
逃げ道を探した瞬間、
「お父さんは大丈夫って言ってましたから、気にせずにやってください!」
萌の明るい声が刺さる。
おう……。ご令嬢から公式許可が出ちまった……。
高原がうなずく。
「川村のクラスにもサッカー部員たちが向かってるはずだし、希望があるクラスには相手になってやれって顧問も言ってた。卑怯でもなんでもないから安心しろ」
「そんな心配はしてない……」
俺が心配してるのは体力だ。
広田が腕を回す。
「今日はとにかく、サッカー部から点を取られないように5分耐える。それを2セット」
三浦が気合い十分に胸を叩く。
「俺も今日はディフェンスするぞ!」
高原がボールをセットし、こちらを見回す。
「守備確認だ!5分1本!とにかく耐えるぞ!」
守備確認と言いながら、向こうに並んでいるのはガチのサッカー部員たちだ。ウォーミングアップの段階から動きが違う。ボールタッチがやたら静かで速い。嫌な予感しかしない。
今日の守備ラインは――
GK山田。
DFは高原、広田、池上。
後藤は交代待機だ。
俺は中盤の底。バランスを見る係。
ホイッスルが鳴る。
開始数秒で理解した。速い。判断も、足も、全部。相手ボランチが中央で受けて、ワンタッチで右へ。右サイドの選手がトラップした瞬間、もう次のコースが見えている動き。
「寄せろ!」
高原の声。
伊谷が陸上部のトップスピードで突っ込む。だが相手は半身で受けて、スッと縦に持ち出す。伊谷、完全に置いていかれる。
「待って!速い!」
誰も待たない。
中央にスルーパスが出て三浦が必死に戻り足を出す。
「俺FWだぞ!?」
だが裏へ抜けられる。
山田が飛び出す。190センチの影が一気に迫る。相手がシュートモーションに入る瞬間、山田が体を投げ出す。
ドン、と足に当てて弾き出す。
「ナイス!」
だがこぼれ球を拾われ、そのままミドル。
ネットが揺れる。
「はやっ!まだ30秒だぞ!」
高原が叫び天を仰ぐ。
何がどうなったのか考える間もなく再開のホイッスルが鳴り、加藤があっさりとボールを奪われ、今度は左サイドからの仕掛け。
池上が間合いを詰める。
「外に追い出す!」
フェイント一発。完全に逆を取られる。
「うわっ!」
クロスが上がる。
中央で広田が競るが、相手の打点が高い。ヘディングシュート。
山田が横っ飛び。指先がかすめる。
バー直撃。跳ね返り。
なんとか高原がクリア。
「生きてる!まだ生きてる!」
女子の応援が一段階上がる。
「男子ぃぃぃ!守ってぇぇぇ!」
「止められなかったらどうなるかわかってるよね!?」
その“どうなるか”を具体的に言わないのが一番怖い。
再び攻め込まれる。
中央突破を狙われる。俺は半歩前へ出てコースを限定する。相手が縦に出そうとした瞬間、足先でわずかに触る。
コツン。
軌道がずれる。
広田が拾って大きく蹴り出す。
「おお!」
だがクリアは相手へ。
「戻れ戻れ!」
守備陣が慌ててラインを整える。
ワンツーで崩され、今度は右から低いクロス。足元で合わせられる。
2失点目。
高原が歯を食いしばる。
「中央締めろ!外に追い出せ!」
再開。
今度は少しだけ落ち着く。俺は極力無理に奪いにいかない。コースを切る。縦を消す。
だが池上が焦って足を出し、かわされる。
「ごめん!」
即座にフォローに入る高原。身体をぶつけて止める。
それでも相手は粘る。パス回しが速い。
シュート。
山田が正面でキャッチ。
初めて、きれいに止めた。
「山田ぁぁ!」
ベンチから歓声。
だが5分はまだ終わらない。相手のトップが中央で受ける。背負ったままターン。速い。
俺は一歩スライドして進路を塞ぐ。相手が一瞬迷う。
その隙に高原が足を出す。
ボールがこぼれる。
池上が必死にクリア。
「よし!」
空気が少しだけ変わる。
だが次の瞬間、サイドチェンジ一発で逆サイドを破られる。守備が遅れる。
3失点目。
残り1分。全員が無言で走っている。息が荒い。
相手がまた中央突破を狙うが、俺は体の向きだけでコースを限定する。相手が無理に縦を選んだので足先で触ることができた。
ボールが流れる。
だが拾う味方がいない。
「誰か!」
相手に回収され、最後にもう一本。
4失点目。
ホイッスル。
終了。
グラウンドに崩れ落ちる面々。
「5分……長すぎないか?」
三浦が空を見上げる。
高原が腕を組み直す。
「……川村はこれより上だ」
誰も笑わない。
女子たちが駆け寄る。
「大丈夫!本番までに仕上げよう!」
「男子!期待してるからね!」
期待という名の重圧が肩に乗る。
俺はボールを足元で軽く転がす。感触は悪くない。
今はまだ、守る側。
――5分。
短いはずの時間が、やたらと濃かった。
グラウンドの上に仰向けになる者、膝に手をついて肩で息をする者、水筒に顔を突っ込む者。女子たちはというと、なぜか「よしよし」「まだいける!」と前向きな声援を飛ばしている。さっきまで“消す”とか言ってたのに、切り替えが早い。
俺はボールを足先で軽く転がしながら、呼吸を整えていた。
……何とも言えない。
うまく言葉にできない、もやっとした感覚。
そこへ、ひょこっと影が差す。
「創ちゃん、どうだった?」
タオルを首にかけた夏樹が、俺の隣にしゃがみ込む。汗もかいてないくせに、なぜか当事者みたいな顔をしている。
「ん~~~。何ともだなぁ……」
「何ともってなによ」
「何ともは何ともだ。良くも悪くも、何とも」
我ながら説明能力が壊滅的だと思う。
夏樹は少しだけグラウンドを見渡した。グラウンドの上で必死に呼吸を整える男子たち。肩で息をしながらも「次はやれる」と言い合っている連中。
「みんな、すっごく一生懸命やってくれてたね」
「そうなんだよなぁ~」
思わず、同じトーンで返す。
技術は正直、差がある。でも、足を止めてるやつは一人もいなかった。怖い顔で、でも必死でボールを追いかけてた。
それを見てしまうと、どうにもこうにも。
夏樹が、じっと俺の横顔をのぞき込む。
「あ、じゃあ大丈夫だね」
「何が大丈夫なんだよ」
「うふふ」
意味ありげに笑う。
「幼馴染の私だけの秘密だから、教えてあげない」
「なんじゃそりゃ……」
意味がわからない。だが、なぜか妙に自信満々だ。
夏樹は立ち上がり、両手を後ろで組んで振り返る。
「ま、2本目、楽しみにしてるね?」
「俺は全然楽しみじゃないんだけど」
「またまた~」
軽く笑って、女子たちの輪に戻っていく。
俺はボールを拾い上げ、手の中で回した。
5分で4失点。数字だけ見れば、普通に惨敗だ。
でも。
「……はぁ」
小さく息を吐く。
何とも、な。
ピーーーッ!!
2本目の笛が鳴った瞬間、サッカー部の連中の目の色が変わった。1本目で好き放題に崩せた余裕か、「次はもっと綺麗に決めるぞ」という職人魂か、とにかく前への圧が段違いだ。
「縦切れ! 中締めろ!」
開始数秒で高原の声が飛ぶ。
「サイド下がれ! 簡単に上げさせるな!」
広田も続く。
わかってる。わかってるけど速い。中央でワンタッチ、外へはたいて、すぐにリターン。ボールが地面を滑る音がやけに軽い。
「後藤、当たれ!」
「うおらぁっ!」
柔道部の後藤が豪快に肩を入れる。相手が一瞬よろけるが、足元のタッチでくるりと回られる。
「うまっ!? 足にボールくっついてんのか!?」
悲鳴が正直すぎる。
サイドをえぐられ、低いクロスが入る。
「中カバー!!」
高原の声が飛ぶより早く、体が動く。中央に滑り込み、つま先でわずかにコースを変える。ボールはゴール前を横切り、山田の正面へ。
「ナイス山神!」
三浦が叫ぶ。
「いや、今のはたまたまだ」
「たまたまでそこにいるか普通!?」
知らん。たまたまだ。
再開後も攻撃は止まらない。
「右! 右空いてる!」
「伊谷、もう一歩寄れ!」
「加藤、下がりすぎ! ライン上げろ!」
声が飛び交う。陸上部コンビは必死にポジションを修正する。
「三浦、コース限定!」
「了解! 右切るぞ!」
三浦が前線から追い回し、相手のパスコースを外へ追いやる。だがワンタッチで中へ折り返される。
「やばい、中央!」
広田が足を伸ばすが抜かれる。シュート体勢。
反射で一歩、いや半歩だけ早く横にずれる。相手のインサイドキックに合わせて体を差し出す。
ドンッ。
脇腹に直撃。痛い。
「いっ……!」
声が漏れたが、ボールは弾かれて外へ転がる。
「山神ぃぃぃ!!」
肋骨折れてないだろうか……。
そう思って俺は深呼吸する。
大丈夫だった……。
スローインから再び中央突破。ワンツーで抜け出される。
「広田、左寄せろ!」
「高原、後ろカバー!」
「山神、間!」
言われる前に間に入る。相手の視線がゴールへ向いた瞬間、パスの出どころに足を伸ばす。
カット。
「……え?」
相手が一瞬固まる。
「三浦、前!」
「おう!」
ボールを軽く前へ押し出す。三浦が受けるが、すぐに奪い返される。攻めは続かない。それでも時間は削れる。
残り1分。
「耐えろ! あと少し!」
「絶対失点すんなよ!」
「山神、そこ埋めとけ!」
「雑な指示だな!」
言い返しつつも、きっちり埋める。サイドから強引なミドルが飛んでくる。
「山田ぁ!」
190センチの巨体が横っ飛びで弾き出す。
「ナイスキーパー!」
「今の止めなきゃ入ってたぞ!」
再び攻撃。中央に人数をかけてくる。
「全員中締めろ!」
俺は一歩下がり、パスコースの三本目に立つ。相手が出すならここ、という位置。
出た。
足裏で止める。
「また止めた!?」
「お前、なんでそこにいるんだよ!」
「たまたまだって!」
ピーーーーッ!!
終了の笛。
その瞬間、全員がその場に崩れ落ちた。
「……ゼロだ」
三浦が息を切らしながら言う。
「失点ゼロだぞ……!」
高原がこちらを見る。
「山神」
「なんだ」
「お前、ほんとにリフティングだけ得意なのか?絶対どっかのクラブチームでサッカーやってただろ?」
「今日はディフェンスの神が降りてきただけだ」
「雑すぎる嘘だな!」
俺はグラウンドに寝転び、空を見上げる。肺が痛い。脇腹も痛い。
でも、とりあえず。5分は守り切った。
終了の笛が鳴った瞬間、校庭の隅にいたうちのクラスの女子たちが一斉に跳ねた。
「0点に抑えたじゃん!!」
「すごいすごい!!」
「やればできるんじゃん!!」
いや、誰目線だよ。
さっきまで「止められなかったら消すからね?」とか言ってた連中とは思えない掌返しの速さである。男子たちは地面に転がったまま親指を立てている。
「俺、生きてる……?」
「まだ“消されてない”よな……?」
どうやら0失点は命綱だったらしい。
サッカー部の連中はというと、首を傾げている。
「……なんで入らなかった?」
「さっきと同じ形だったよな?」
「守備、変わったか?」
変わったのはたぶん、俺の運動量だ。
グラウンドに寝転んで空を見上げていると、視界に影が落ちた。
「創ちゃん、お疲れ様」
夏樹だ。タオルを差し出してくる。
「疲れた……特に頭が疲れた」
「昔を思い出した?」
「俺の記憶では、サッカーはもっと優雅なスポーツだった。こんな命のやり取りみたいな競技じゃなかったはずだ」
「ふふっ。楽しそうだったよ?」
「うるせー」
にやにやしてやがる。こいつ、絶対わかってて言ってる。
立ち上がろうとしたところで、高原が真顔で近づいてきた。
「山神」
「なんだ」
「お前、絶対サッカーやってたよな?」
「あぁ。中学までは」
あっさり答えると、広田が目を剥いた。
「何で隠すんだよ!」
「言えばメンバーに入れられると思ってね。俺は読書がしたいんだ」
高原が額を押さえる。
「お前……ぶれないな……」
「そりゃそうだろ」
三浦がじっと俺を見る。あの目は代表候補の目だ。人を見る目。
「山神。中学“まで”って言ったよな?」
「言ったな」
「どこポジ?」
「その時による」
「濁すな」
「読書家だからな。表現は曖昧だ」
「関係ねぇ!」
直美が腕を組んで割り込んでくる。
「高原君。何とかなりそう?」
「そうだな……」
高原は俺を見たまま言う。
「山神次第じゃないか?たぶん、まだ何か隠してる」
「人聞きの悪いこと言うな。何も隠してないぞ。中学まではサッカーやってたけど、高校入ってからはやめた。それだけだ」
三浦がぼそっと呟く。
「“やめた理由”は?」
「本が読みたかった」
「絶対それだけじゃないだろ」
サッカー部の連中はまだ首を傾げている。
「守備ライン上げたわけでもないのに……」
「間の潰し方、部員レベルだったぞ?」
聞こえないふりをする。
女子たちはさらに盛り上がっている。
「これ、いけるんじゃない!?」
「川村止められるんじゃない!?」
「あ~ん券、現実味出てきたよね!?」
あぁ、結局そこか。
男子たちが一斉に俺を見る。さっきまでの“戦犯を見る目”ではない。今は“救世主候補を見る目”だ。
やめろ。その期待は重い。
「山神、頼んだぞ」
「俺たちの未来はお前の足にかかってる」
「プリン三つ奢るから本気出せ」
「安いな」
俺はタオルを首にかけ、ため息をつき更衣室に向かって歩き出す。
「どこ行くんだ?」
高原から声をかけられる。
「バイトだ。俺は社会人だからな」
「高校生だろ!」
「今日は定休日ですよ?」
ご令嬢からのもっともな声が聞こえる。その背中越しから女子の声が飛ぶ。
「本番、逃げたら消すからね!?」
「物騒すぎるだろ……」
校庭の端で、サッカー部がまだざわついている。高原、三浦、広田は黙って俺を見ている。なんとなく、勘づいている顔だ。
読書の時間が削られた分、せめて時給は発生してほしいと思いながら、俺はグラウンドを後にした。




