第1話 所持金1,130円と、野菜炒めの夜
俺の名前は山神創太郎。
高校二年。得意なこと:家事全般。不得意なこと:金を増やすこと。
趣味:底値チェック。人生の目標:金持ちになること。切実だ。
「よし、出せるもん全部出せ」
そう呟きながら、机の上に財布を逆さにする。
出てきたのは千円札が一枚と、百円玉、十円玉、そして小銭たち……。
あとは期限切れのクーポン、使い道のないスタンプカード、謎のレシート数枚。
合計金額、1,130円。
「詰んだ……」
俺は手で顔を覆った。
この額で今日と明日の食費と交通費をまかなって、しかも洗剤が切れてる。冷蔵庫の中には、もやしの化石と卵の残り1個。未来が暗すぎる。
しかも、追い打ちをかけるように、数日前。海外にいる親父から、こんな電話がかかってきた。
『創太郎、悪いな。近々、仕送りできなくなる。しばらくは自分で何とかしてくれ』
内容もアレだが、通信状態も最悪だった。途中から雑音ばっかりで、「戦車がどうした」とか「電波塔が壊れた」とか、何か物騒な単語も聞こえた気がする。たぶん、今いる国がゴタゴタしてるらしい。外交関係の仕事とか言ってたけど、そんな命がけでやるもんなのか、外交って。
その翌日、母さんからもボイスメッセージが届いてた。
『あんた、本ばっかり読んでないで、たまには外に出なさい。夏樹ちゃんに愛想つかされるわよ〜』
……なんでそうなる?
ていうか、なんでそこで夏樹の名前が出てくるんだ?
あいつはただの――いや、“ただの”って言うとちょっと違うけど、まぁ、幼なじみだ。
物心ついた頃から隣に住んでて、昔はよく一緒に遊んだりした。今でも、学校じゃよく顔を合わせる。……それだけ。たぶん。
ともかく。現実の問題は、そんな人間関係じゃない。
金だ。目の前の1,130円という、紙と金属の塊。これをどう活用して、生き延びるか。
「……ってか、バイト増やすしかねぇか」
今もすでに2つ掛け持ちしてるけど、それじゃ足りないってことか。でもこれ以上入れたら、授業中マジで寝る。今だって、数学の時間はほぼ夢の中だ。あの先生の声、子守唄レベルだし。
でも寝てたら将来は来ないし、将来が来なければ金持ちにもなれない。だったらやっぱり――バイトを探すしか……いや、でも待て、どの時間に?深夜は清掃、土日はレジ、平日の放課後は……どうすんだ、これ以上どこに入れる?体は一つだぞ?もしかして影分身とか……いやそれより、どこに応募する?
……あれ、俺いま何考えてたっけ?バイト? 食費? 人生? 貯金? 無いけど?あれ、なんか胃が痛い……。
思考の迷宮に迷い込んだ俺は、もう一度財布の中身を見つめた。
「……マジで、働かねぇと死ぬな」
このどうしようもない現実から目を背けたくて、俺は机に突っ伏した。
――金がない。
いや、ずっと言ってるけど、本当にない。まるで現実から逃げられないRPGの序盤。スライムを倒すどころか、まず武器を買う金すらない。
俺は机に突っ伏していた上半身を起こすと、無言でバイト情報誌を開いた。この街で時給が一番高いのは、夜勤の警備員か深夜清掃。けど、どっちも体力的に死ぬ。俺は別に、筋肉で金持ちになるタイプじゃない。
「せめてもうちょい効率のいいバイト、ないもんかね……」
言葉が自然に口から漏れる。雑誌のページをめくるたびに、理想と現実のギャップに凹まされる。週4以上希望、長期歓迎、未経験不可。……いや、もう少し夢見させてくれ。
「詐欺まがいでもいいから、時給2,000円くれ……」
そんな愚痴をこぼした瞬間――背後でカチャ、とドアが開く音がした。
「ちょっと。なんで鍵開けっぱなしなの?」
その声を聞いた瞬間、思考回路が一時停止する。そして、なぜか条件反射で言葉が返る。
「……だから、入る前にノックしろって」
振り返らずともわかる。そこに立ってるのは、広瀬夏樹。俺の幼なじみで、人生の中で何度となく“驚かされる”存在だ。
「ノックする前にドアが開くから仕方ないでしょ。ついでに言うと、チャイム鳴らしても出てこない時あるじゃん。もう慣れたよ」
「……それ、完全に慣れちゃいけないやつだぞ」
振り返った俺の目にまず飛び込んできたのは、夏樹の手にぶら下がっているスーパーの袋だった。中には、卵、豚こま、キャベツ、もやし、豆腐。あと謎のヨーグルト。
「……それ、何?」
「え? 食材だけど?」
「見ればわかる。なんで持ってきたのかって話だ」
「だって、お腹すいたし。あんた、料理得意でしょ? あたしがやると失敗するし」
そう言って、夏樹は当然のように台所へ向かう。部屋の主である俺を差し置いて、完全にホーム感覚。なんでこんなに馴染んでるんだ。
「……まさか、俺に作らせるために?」
「うん。作って」
笑顔で即答された。その口調があまりに自然すぎて、逆に文句を言うタイミングを失う。
「……お前、他人の家で飯要求するハードル、低すぎないか?」
「他人じゃないでしょ。幼なじみじゃん」
反論できなかった。なんなら今、一番欲しかった“飯の材料”を持ってきてくれた時点で、女神認定してもいいまである。
しかし、素直に「ありがとう」と言うのも悔しいので、黙って立ち上がり、エプロンを取る。
「リクエストは?」
「野菜炒め! あと、あったかいスープとかつけてくれると嬉しいな〜って」
「お客様かよ……」
夏樹は満足げにベッドに腰を下ろしながら、にっこり笑っていた。その笑顔は、まるでこの世に悩みなんか存在しないかのように眩しくて、でも、ちょっとだけズルい。
「ちゃんと手伝えよ」
「えー、じゃあテーブル拭くくらいで許して」
「それ“手伝った”って言わねえよ」
夕方の風がカーテンをふわりと揺らした。
静かな住宅街の中で、俺の部屋には炒め物の香ばしい匂いと味噌汁の湯気が立ちのぼっている。外からは、自転車のブレーキ音と、どこかの子どもの笑い声。なんか平和だな……って思うけど、こっちは冷蔵庫の中身も財布の中身も非常事態だ。
俺と夏樹の家は、そんなのんびりした住宅街の一角にある。隣同士。ガチで隣。窓から手を伸ばせば声が届く距離感。塀も垣根もない。昔っから家族ぐるみの付き合いで、どっちの家にいるのかよくわかんなくなるぐらい行き来してた。
夏樹の両親は共働きで、母親は今でも雑誌に出るモデル業をやってる。撮影が押すと、帰ってくるのは深夜。父親も自営業でめちゃくちゃ忙しい。うちの両親? 今は海外。なんか外交官とかそんな仕事らしいけど、今どこにいるのかすらよくわからん。
結果、子どものころから俺は夏樹ん家に預けられてることが多かった。
で、自然と家事を覚えた。洗濯、掃除、炊事……全部。それが今、まさに発揮されている。
俺はフライパンを手に、豚肉とキャベツを炒めてる。ちょっと濃いめのタレを加えると、じゅっと音が立って、食欲をそそる香りが部屋に広がった。その横で温めてる味噌汁も、そろそろ仕上がる。
一方で、夏樹はテーブルを拭いてた。ちゃっちゃとコップと箸を並べて、動きに一切の無駄がない。……まあ、こいつも慣れてるっちゃ慣れてるんだよな。うちに入り浸ってるし。
「そういえばさ。萌んち、今バイト募集してるって」
突然、夏樹がそんなことを言い出した。
「……誰?」
俺は中華だしをふりかけながら顔を上げる。
「山本萌。クラスの女子だよ。小さくて、黒髪ストレートで、食堂の看板娘って感じの子」
「……めがねの子?」
「かけてないってば!」
ピシャッとテーブルにタオルが叩きつけられた。ビビるだろ、急に。
「ほんとに同じクラスなの? あの子、ちょっとでも手伝ってもらったら、すぐ『萌、感激ですっ!』って泣きそうになる子だよ?」
「あー……なんか、聞いたことあるかも」
顔は思い出せない。でも、その口調は確かにクラスのどこかで聞いた気がする。語尾がちょっと特徴的なやつ。自分のことを名前で呼ぶタイプ。
「創ちゃん、顔と名前マジで一致しないよね」
「本読んでると、視界に人が入らないんだよ」
「言い訳として最低」
呆れた顔で笑ってる夏樹を見て、俺は苦笑いするしかない。
「で? その萌ちゃんちで、何のバイト?」
「食堂の裏方。皿洗いとかちょっとした準備とか。萌がイベント手伝ってほしいって」
「……接客じゃないなら、まあ」
「時給、千二百円」
「行く」
「即決か!」
夏樹が笑い出す。
俺も笑って肩をすくめる。現金なのは否定しない。でも、切実なんだ。金がないって、すべての行動原理を変える。
翌朝――俺は、朝から命の危機に瀕していた。
「……はぁ、しんど。なんで学校行くのに登山しなきゃなんねぇんだよ……」
駅前のコンビニを通り過ぎ、住宅街を抜けると、悪夢のような坂が俺たちを待ち構えている。延々と続く急傾斜。歩道の脇には、登校中の高校生たちが、疲れ切った顔でゆっくりと列をなしていた。朝なのに、空気はすでにじっとりしていて、陽射しが容赦なく体力を奪ってくる。
これが、森岡高校の最大の難関――通学坂。
誰にでも言ってやりたい。駅から徒歩十分って書いてあるけどな、それ“坂を登れれば”の話だからな。しかも結構な傾斜。ガチで登山部レベル。朝からこんなに心肺機能使わされる高校、他にある?
「文句ばっか言ってないで、ちゃんと歩いて」
横を歩く夏樹が、ちょっと呆れたような声で言った。制服のスカートが風になびいて、ツヤのある髪がふわりと揺れる。いや、朝からまぶしすぎるだろ。こっちは寝不足と空腹で死にそうだってのに。
「お前、なんでそんな元気なの……? 体力バグってない?」
「普通に寝たし。ていうか、創ちゃんが夜中に文庫本読んでたせいでしょ?」
「睡眠時間が、読書時間に圧迫されるのはもはや本能だよ」
「馬鹿なの?」
即答かつ冷たい。これが幼なじみの対応です。
俺が通ってる森岡高校は、進学校でありながら、部活動にもめちゃくちゃ力を入れている。公立大学への進学率も高いし、部活で推薦も多い。プロ選手やオリンピックに出た先輩もいるとか。立地以外はそこそこ優秀な学校だ。
そんな中、俺は二つのバイトを掛け持ちして、生活費を稼ぎながら授業に出てる。金欠高校生としては、わりとギリギリのラインを生きてる。
「そういえばさー、そろそろ球技大会の時期じゃない?」
坂の途中で、夏樹が話題を変える。住宅街の緩やかなカーブを曲がると、緑の多い道に出る。街路樹の向こうに、校舎の屋根がちらりと見えた。
「種目、何になるんだろ。去年はドッジボールとバレーボールだったよね?」
「うーん……どうせまたバスケとバレーじゃね? 年によってあんま変わんないし」
「バレーかー。創ちゃん、ネットの下くぐれそうだよね」
「それはどういう意味ですか」
にらむと、夏樹はにやりと笑った。くっ……天然ぶって攻撃力あるな、この幼なじみ。
そんなたわいもない会話をしながら、ようやく校門が見えてきた。周囲には通学中の生徒たち。グラウンドでは、すでにサッカー部や陸上部が声を張り上げて練習してる。あいつら元気だな、朝から。
そのときだった。
「あ、萌ー!」
夏樹が手を振った。視線を向けると、通学路の向こう側、小柄な女の子が制服姿でトコトコ歩いていた。髪はストレートの黒髪、鞄を両手で抱えてて、見た目はまんま小動物。歩くたびにぴょこぴょこしてる。
「おはようございます、夏樹さんっ!」
パッと顔を輝かせて駆け寄ってきたその子が、山本萌だった。いや、名前は覚えてないけど、見たことはある……ような気がする……かも。
「萌、今日も元気だね」
「はいっ。今朝も看板掃除してから来ましたっ。お父さんに『萌、偉いな〜』って褒められました!」
テンション高い。朝からすごい元気。しかも実家の手伝いまでやってんのか。めちゃくちゃ働き者じゃん。
俺は思わず、口に出してしまった。
「あぁ~……見たことあるかも」
すると、萌の動きがピタッと止まった。え? 何かまずいこと言った?
「……山神創太郎さん」
うわ、フルネームで呼ばれた。しかも目が潤んでる気がする。何この圧。
「萌、クラスメイトですよ? お話したこともありますよ……? 体育のバドミントンの時、ペアでしたよ……?」
「えっ……マジで……?」
やっべ、記憶にない。体育はほぼゾンビ状態だったし、あの時間にペアだった誰かなんて……
「……創ちゃん、ほんとに最低」
「ちょ、待て! 人格を否定するのやめろ!」
夏樹の冷たい視線が刺さる。いや、そんな目で見るなよ……俺だって悪気はなかったんだよ。記憶力がちょっとね、あれなだけで。と言ったところで遅い。萌はちょっとだけ唇を尖らせて、しょんぼり夏樹の後ろに隠れてしまった。うわ、なんか俺、超悪者っぽい。
……朝からテンションが削られる。坂道だけで十分だってのに。
不定期投稿です。
完結まで自分のペースで頑張って書きたいと思います。
応援よろしくお願いします。




