自惚れ王子とは別れたいけれど、国王陛下は相談しやすい方で少し申し訳ない気持ちもありまして
王宮の謁見の間は、重厚な沈黙に包まれていた。
正面の玉座には国王が静かに座し、その前に王太子キルファーが立っている。
キルファーはシルバーブロンドの髪を揺らし、アッシュグレイの瞳に自信を漲らせていた。
そのキルファーの隣には、クララ・サージェス公爵令嬢が痛ましげな表情でうつむいていた。
キルファーは今日が記念日になると信じていた。キルファーとクララの真実の愛の記念日に。
「カレン・サージェス公爵令嬢。お前が王太子の婚約者であることを笠に着て、妹であるクララに対し、度重なる残虐な嫌がらせを行った罪は万死に値する。俺に愛されぬからと醜い嫉妬でよくもまあそのような真似ができたものだ。直ちに最北の修道院へ行くがよい。お前との婚約は破棄し、俺は新たにクララとの婚約を結ぶ!」
キルファーの声は、謁見の間に鋭く響き渡った。俺様王子、それがキルファーである。
キルファーはクララの涙ながらの訴えと、自ら収集した証拠に基づき、微塵の疑いもなくこの断罪が正義だと確信していた。
その背を見守る国王が大きく首を傾げたことにも気づかずに、である。
謁見の間にいたこの国の廷臣たちはみな気づいていた。
そもそもキルファーとカレンの婚約は王命である。その王命を勝手に破棄しようとしているのではないか、と。
国王が首を傾げるのもそれならば当然だろう。
だから、多くの者が王太子への疑心を抱きつつ、冷たい視線を向けていた。
中でも宰相補佐官のコズンは強く拳を握りしめ、怒りに満ちた視線を王太子キルファーへと向けた。
キルファーによって断罪されたカレンは、その場で堂々と立っていた。揺ぎ無く、視線もキルファーへと向けている。
貴族の娘として最も重い罰の一つである修道院行きを、それも気候の厳しい最北の修道院へ送ると宣告されたにも関わらず、カレンの瞳には怯えも後悔の色もない。
カレンは王太子の婚約者として十分以上にこの国のために尽くしてきたという自負があった。
婚約者である俺様王子が愚かな分、カレンの負担は大きかったのだから。
カレンとキルファーの婚約は王命だった。
カレンには心に想う相手がいたのだけれど、公爵令嬢としての義務として粛々と王命を受け入れたにすぎない。
可能ならこのまま婚約を破棄して欲しいとカレンは思っているくらいだ。
だが、カレンも国王には色々と助けられているという自覚はある。
本来ならば口にするべきではない愚痴や想いまでも優しく聞いてくれる未来の義父の存在がこれまでのカレンを支えてきたのだ。
婚約者がどれほど愚かでも国王の思いを簡単に無駄にはできないとカレンは考えた。
「王太子殿下に申し上げます。私は、クララに対してそのような行いはしておりません」
カレンは静かに、しかし毅然とした声で訴えた。
「黙れ!」
キルファーは一喝した。
「証拠は揃っている。これ以上、見苦しい言い訳を重ねるな。クララがどれほど心を痛めてきたか、貴様にはわからぬのか! この嫉妬深い冷血女めが!」
(ああ、流石にこれではもう無理……)
カレンも流石にこの男はもう無理だと思い、ほんのわずかに視線を国王へと動かした。
そして、カレンと国王の目が一瞬だけ、合った。
バキン、と何かが壊れる音が小さく謁見の間に響いた。
コズンが手にしていたペンを握り潰した音だったが、注目はキルファーに集まっていたため、誰も気にしなかった。
クララはキルファーの背後でそっと顔を上げ、カレンに向けて口元だけを歪めるような微かな笑みを浮かべた。そして、すぐにそれを痛ましい表情に戻した。
誰もが、断罪劇はこれで終わらないだろうと思った。
そして、未来の王妃の座がクララに渡ることもないだろう、とも。
なぜなら、王太子の後ろで、音もなく国王が玉座から立ち上がったからだ。
「待て、キルファーよ」
国王の低く響く冷たい声は、国王を振り返ったキルファーの自信を一瞬で凍りつかせた。
「……ち、父上、どういうことでございましょうか? この断罪は、王国の規律を守るために必要不可欠な措置でございます」
国王はキルファーの問いには答えず、まっすぐカレンを見据えた。
「……カレンよ。余の不手際により、このような場を迎えさせてしまったこと、心より詫びる」
その予期せぬ言葉に、キルファーやクララ、控えていた廷臣たちの間に動揺が走った。
国王が謝罪するなど、通常ならばありえないことなのだ。
「キルファーよ、お前はこの婚約が、お前の自由な意思ではなく、余の王命によるものであったことを忘れたか」
国王は静かに語り始めた。
廷臣たちはやはりその部分か、と納得した。
王命を曲げることは許されない。それは唯一人、国王にだけ可能なことだ。王太子であったとしても許されることではない。
「だが、余はこの王命を曲げようと思う」
「では!」
キルファーが明るい声を上げた。
「キルファーよ。お前のためではない。カレンのためだ」
すぐに国王はキルファーの喜びに水を差した。
「カレンの、ため……とは……?」
「言葉通りだ。そもそもお前はカレンのことを『嫉妬深い冷血女』などと呼んだが……お前の辞書には『嫉妬』という言葉が載っておらぬようだな?」
父親でもある国王が何を言いたいのか、キルファーには分からなかった。
キルファーはクララの訴えを信じ、クララが用意した証拠も本物だと思って、カレンがクララを虐げていると信じていたのだ。実に愚かなことだった。
「カレンは未来の王妃に相応しい優秀さを持っていたが、お前への愛は小指ほどにも持っていなかった」
「馬鹿な!? そんなはずは……俺が愛されていないなど……」
「愚かな……自惚れが過ぎる。カレンは王命に逆らえぬ立場。だから余は、命じた者の責任としてカレンの悩みや苦しみを何度も聞いてきた。誰にも聞かせられぬ、心の奥底を」
国王は廷臣たちを見回し、その中のコズンへと一度、視線を合わせた。
「カレンは、そもそもお前との婚約を解消したいと願っていた」
「そんな馬鹿なことが!?」
「それしか言えぬのか……王子が一人しかおらぬとはいえ、教育はもっと厳しくするべきだったな……」
国王はため息を吐いた。
「カレンはお前の婚約者としての地位にしがみつくつもりなどない。それなのに、なぜ、妹であるクララを陥れようとするのだ?」
国王の鋭い視線がキルファーに向けられた。
「キルファー、お前が断罪の根拠とした『嫉妬』という動機は、カレンの真実と真っ向から矛盾するのではないか?」
謁見の間はざわめきに包まれた。
「父上!」
「……先程から何度も……まったく……公の場では陛下と呼べと何度言えば分かる?」
「……陛下。なぜ、そのような嘘でカレンを庇おうとなさいますか? カレンが俺を愛していないなど、天地が逆になってもありえないことだ!」
自信満々に、キルファーはクララを抱き寄せ、カレンをにやりと見やった。キルファーはカレンに愛されているという自信があった。根拠は……ない。我思う、故に愛あり。それが俺様王子である。
カレンは微動だにしない。
カレンの思いはキルファーにないのだから当然だ。こんな俺様王子を愛することなどありえない。
カレンの考えでは、妹のクララもキルファーのことなど愛していない。姉から奪うこと、それが根底にある衝動であって、愛など思い込みでしかないだろう。
廷臣たちも気づいてはいた。カレンが王太子であるキルファーを一度もその名で呼んだことがないことに。まさか……本当に愛がないとは……。
勘違いしているのは二人だけ。
キルファーと、そしてクララ。この二人だけなのだ。カレンがキルファーを愛しているなどど……勘違いできる者は。
「……カレンよ。今からのキルファーに対する発言は決して不敬に問わぬと約束しよう。だから、その、なんだ……この自惚れ男に、はっきりいってやってもらえぬだろうか……?」
「よろしいのですか……?」
「かまわぬ。もはやこれまでよ。今まで貯め込んだものを少しでも軽くするがよい」
国王はカレンに力強くうなずいてみせた。
廷臣たちもぐっと拳を握る。もう、言いたいことは言っちゃってほしい、と。
「……では」
カレンは国王に一礼すると、キルファーへと向き直る。
「殿下。まずは耳でございます。ついているだけでは意味がございません。人の話を聞き、理解できる頭がないと意味がないのです。それでもあえて言わせて頂きます。私、カレン・サージェスは臣下として王命に従うことのみ。殿下への愛というようなものは一切、持ち合わせておりませんでした」
「バカな!?」
「いえ、ただの事実です。愛するつもりがないので……愛されたいとも思っておりませんでした。おそらく……隠していたつもりでも知らず知らずのうちに態度に出ていたのだろうと思います。その点に関しましては心からお詫び申し上げます」
カレンはそこで軽く、本当に軽く一礼した。
廷臣たちは思った。謝罪の気持ち、ちょっとだけじゃん、と。
「……もうよいのか、カレン?」
「はい、陛下。ありがとうございました」
カレンは既にキルファーではなく、国王へと向き直っていた。
もっと言ってやっても良かったのだがと思いつつ、国王は自惚れしかない息子をここで見限った。その視線はゆっくりとカレンへと戻されて、優しく細められる。
「……カレンよ。婚約はキルファーの有責で破棄とする。王家からはもちろんであるが、キルファーの個人資産からも多くの慰謝料を用意させよう。それと……」
意味ありげに廷臣たちへと国王は視線を動かし、またカレンへと視線を戻す。
「……何か、望みはないか?」
カレンはその言葉をこそ、待っていたのだ。
キルファーへの不満など、正直なところ、どうでもよかった。
カレンはこれまでずっとこの国のために、未来の王妃となる努力を続けてきた。
それでも……心が折れそうになる瞬間はあった。
そういう時にカレンの心を守っていたのは真に愛する者への想いだった。
よりよい国とするために、とあの方と誓い合ったからこそ、と。その想いでカレンは苦難に耐え抜いたのだ。
愚かな浮気者の王太子のために耐えたのではない。
それでいてカレンは……一人の恋する乙女として、心の奥底では愛しい人と結ばれることをずっと夢見ていた。
それを感じていた国王は、カレンの想いを吐き出させるために相談役となっていたのだ。
だから、国王はカレンの望みが何か、誰よりも知っていた。
「……叶うのであれば」
カレンの声がほんの少しだけ、震えた。
それは喜びでもあり、怖れでもあった。
直接、想いを伝えたことはない。
ただ、この国をよりよい国にしようと誓っただけ。
心の中では愛していると叫んでいたけれど。
「……愛しきお方と結ばれたく存じます……」
気高き未来の王妃としてこれまで表情を変えることがなかったカレン。
そのカレンが頬を赤く染めて、弱々しく口にした言葉。
こんなにも可愛らしい方だったのか、と。
廷臣たちの心を鷲掴みにした。
そして……誰だ!? この可愛らしい女性に惚れられている羨ましい野郎は!? と廷臣たちは思った。
「馬鹿な……本当にカレンは……俺を愛していなかったというのか……」
「キルファーさま……」
「クララを王妃に、カレンを側妃にする予定だったというのに」
国王はため息とともに、自分の息子のことを心から残念に思った。どうしてこんなにも愚かに育ってしまったのか、と。
「そもそもお前の王太子の地位は剝奪するのだ。すぐに、ではないが王弟のケインを立太子するとここに宣言しておく」
「父上!」
「黙れ。今、いいところなのだ。さあ、カレンよ。愛しき者はどこにおる?」
キルファーを無視して、国王はカレンに微笑んだ。悪戯っぽく。
カレンは恥ずかしそうに……ちらりと宰相補佐官のコズンを見た。
よし、と国王は拳を握った。
「コズンよ、前に出よ」
国王に呼ばれた宰相補佐官コズンが静かに進み出た。
「コズンにございます」
「コズンよ。カレンとの婚約を受け入れるか?」
「はい。もちろんです」
カレンはドクンとはねる心臓を思わず押さえた。
コズンも……カレンと同じ想いでいてくれたのである。
コズンはカレンに微笑みかけてから、真剣な表情に戻って国王を見つめた。
「陛下。発言をお許し下さい」
「許す」
「では……。クララ様が主張された『カレン様による残虐行為の証拠』のほとんどは、偽造されたもの、あるいはクララ様ご自身の自作自演であることが騎士団の調査によって判明しております。特に、カレン様が下働きの者に命じてクララ様を襲わせようとしたとされる事件は、クララ様がカレン様の宝飾品を換金した金銭を渡し、下働きの男に虚偽の証言をさせたものです」
コズンはありえないくらいの早口でカレンを擁護した。
「早口すぎるのう」
国王はにやりと笑ってそう言った。
コズンは同時に詳細な調査報告書も提出する気だった。準備はしているのだ。
コズンは王太子キルファーを憎んでいた。必ずやあのクズ男を懲らしめてやるのだ、と。
愛しいカレンを虐げる憎い王太子など、どこまでも追い詰めてやろうと。
「そんな証拠があるはずは……」
「そちらの証拠と違って、騎士団、魔法師団、司法省にも協力して頂いた正式な証拠ですが何か問題でも?」
「コズン様……早口でも素敵ですわ……」
カレンはうっとりとした目でコズンを見上げていた。
「嘘よ! 嘘だわ!」
クララは絶叫した。
「カレンが……。あの女が私を陥れたのよ!」
国王はクララの必死の抵抗を一瞥した。
「クララ、余は全てを知っている。嫉妬心から、姉であるカレンを陥れ、王太子妃の座を奪おうとしたのはそなたの方であろうに。よって、クララ・サージェスを最北の修道院へ終身幽閉とする!」
「いやああっっ!?」
クララの悲鳴が謁見の間に響いた。
次に国王の視線がキルファーに向けられたとき、その目は氷のように冷たかった。
「キルファーよ。お前は、王命によって定められた婚約者を、軽率にも不確かな情報と私的な感情で断罪しようとした。そして、真実を探る努力を怠り、甘言に踊らされた。これは王国の将来を担う王太子としての能力に欠けていると言わざるを得ない」
「父上、どうか……!」
「よって、キルファーの王太子位を剥奪し、南の離宮に幽閉とする!」
キルファーは、崩れ落ちた。
彼の全存在を賭けていた地位は、一瞬にして奪われた。
愚かな王太子はこの国には不必要な存在となったのだ。
幽閉後はおそらく……数年して病死と公表されることになるだろう。
その後、カレンと宰相補佐官コズンは、周囲の祝福を受け、真実の愛を叶えることとなった。
王命の鎖から解き放たれたカレンの瞳は、未来への希望に満ちて輝いていた。
王国の未来は、新しい王太子ケインと、国王陛下の公正な判断によって、静かに、しかし確かな夜明けを迎えようとしていた。
とある二人の……不幸になるしかない未来を除いて。




