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第5話 付喪神

「お、やっと帰ってきたか」


 松実が部屋の襖を開けるや否や、幼い少年の声が耳朶を打った。その声音はどこか尊大で、まるで餓鬼大将のような印象を与える。

 部屋の奥に置いてある文机。その机上には一見何の変哲もない一本の筆が浮遊していた。


「ただいま。仁墨」


 一般人なら己の目を疑い、人によっては気絶してしまいそうなありえない光景を見せているのは、筆の付喪神である仁墨だ。かつては松乃と契約を交わし戦場をともにしていたが、松乃の妖伐局引退に伴い松実へ契約が引き継がれ、以降は松実が新たな主となっている。主従というより、お互い腹を割って話せる相棒同士のような仲と言えた。


 松実は文机の手前にある座布団に正座しながら問いかける。


「今日も昼寝してたの?」

「毎日退屈でしょうがねえからな。お前が学校にはついてくんなって言うから留守番しかできないおれの身にもなってみろ」

「別についてきてくれたってかまわないよ。朝から夕方まで大人しくその口を閉じてくれるのなら」

「おい、それじゃあおれがついていく意味がねえじゃねえか」

「万が一に備えてだよ」

「おれは便利道具じゃねえんだぞ! お前、付喪神を何だと思ってやがる!」


 喚き立てる仁墨に肩を竦めて、松実は呆れ顔で言う。


「あんたみたいな口まめが周囲の目を気にせず傍若無人に振る舞ったら、私に変な噂が付きまとうでしょ。そしたら面倒事の種にもなりかねない」

「変な噂ァ? んなもんほっときゃいいんだよ」

「能天気にもほどがあるわ」


 松実は盛大に溜息をつき、文机に置いた風呂敷を広げて教材や画材道具を取り出す。


「おばあちゃんはよく半世紀以上もあんたと一緒にいられたね。仁墨とおばあちゃんはいつ知り合ったの?」

「あ? 何だ藪から棒に」

「ちょっと気になって」

「確か、松絢しょうけんが五つか六つくらいの時だったな」

「そんなに小さい時から? 思ってたよりも出会いが早かったんだね」


 松絢は松乃が仁墨から契約時に与えられた名で、世間一般でいう雅号である。松実は『松翠しょうすい』という名を授かっており、雅号は仁墨にとって愛称のようなものだった。


「お前にとっちゃあ先々代にあたるおれの契約者が松絢の師匠で、松絢がガキの時に妖にやられちまったんだよ。それでおれがあいつの手元に渡るのが早かっただけだ」

「へえ」

「何だよ。反応が薄いな」

「そんなことないって」

「松実。入ってもいいかい?」


 そこで、襖越しから黎の声が耳に入った。

 安堵の微笑から一転、不毛な応酬にうんざりし始めて冷めきっていた松実の表情に朱が差す。心臓の鼓動も少し早まった。


 ――そういえば、今日帰ってきてからまともに黎の顔を見れてない。


 今、彼と相対してもまた視線をそらしてしまうのではないかと、そんな不安に駆られる。同時にまたもや頭のなかで桜子が茶目っ気を含ませて助言する。


 ――ああ、もう。桜子が余計なこと言うからっ……!


 耳元が赤くなるほど顔が火照りだし、松実は自身の赤顔を隠さんと両手で覆う。


「何だ? 急に赤くなりやがって」


 とうの昔から松実の恋情を把握している仁墨としては、なぜ今さら恥じらうのかと不思議で仕方がない。桜子との恋の密談を知らない以上、松実が懊悩する訳を理解することはできなかった。


「松実?」

「あ、ごめん! どうぞ」


 まだ返事をしていなかったことに気づき、松実は慌てて入室を許可する。

 静かに襖が開くと、いつもの温柔な笑みを浮かべた幼馴染の姿が視界に映った。

 入相の恋語りがあったせいか、心なしか黎の見せる笑顔や優美な立ち居振る舞いがまぶしく見える。否が応でも胸が高鳴ってしまう。


「……稲見さんはもう帰ったの?」

「うん。松実ちゃんによろしゅうなって言ってたよ」

「そ、そっか」


 ぎこちなく相槌を打ちつつ、部屋の隅に置いてあった座布団を持って黎に勧めた。


「ありがとう。……ん?」

「な、なに?」


 腰を下ろすや否や黎は松実を凝視し始め、やがて彼女の頬にそっと触れる。

 不意打ちの出来事に、松実は思わず微かな悲鳴をあげた。


「顔が赤い。もしかして、熱があるんじゃ……」

「だっ、大丈夫!」


 反射的にのけぞってしまい、松実はさらに紅潮する。


「本当に?」

「本当だってば」


 それでも黎は訝しい面持ちを崩さず松実を見据える。

 これ以上直視されたらかなわないと、松実は正直に本音を吐露した。


「黎が……急に触ってくるから」

「え?」


 思ってもみなかった回答に、黎は拍子抜けする。それから自身の手に目を落としてから「ああ」と申し訳なさそうに目尻を下げる。


「ごめん。小さい頃からの癖でつい……。松実ももう子供じゃないしね。安易に触れるのは浅慮だった」

「う、ううん」


 いまだ引かぬ密か心の熱を持て余しながら、松実は小さく首を横に振った。


 幼い頃から兄妹のように育ってきた二人。黎はもともと面倒見がよく、実の兄のように松実を可愛がってくれた。頭を撫でたり、先ほどのように頬に触れたりとスキンシップは日常茶飯事で、当時の松実もそれが何よりも嬉しかった。黎が与えてくれる温もりが、ただただ愛おしくて仕方なかった。


 だが、お互い成長するにつれて異性としての意識が強まったぶん、一定の距離を保つようになった。だから今日までお互い触れ合うこともなかったのだが……。


 ――本当は昔みたいに、頭を撫でてほしい。


 愛する人にもっと触れてほしい。あの大好きな優しい笑みを自分だけに向けてほしい。さっきは恥ずかしさゆえに拒んでしまったが、後になってそんな独占的な愛欲が渦巻いて乙女心をかき乱す。


 ――伝えるなら、今がチャンスかも……。


 想いを打ち明けようと、花唇がおもむろに開く。けれど、松実はすぐにそれを閉ざした。


 ――ごめん、桜子。やっぱり、今は気持ちを伝えられそうにない。


 このまま恋患っていても苦しいだけだと、妖の親友は言ってくれた。だがしかし、松実としてはもうしばらくこの想いを内に留めておきたかった。

 黎を困らせたくない。告白することで、今の温かな関係性を壊したくなかった。


「それで、私に何か用?」


 醜くも甘美な恋慕の情をしまいこみ、松実は無理やり話題を変えた。自然な微笑みを向けているつもりだが、もしかすると黎の目にはひきつっているように見えるかもしれない。


「え? ああ、そうだ。松実に聞きたいことがあって」

「聞きたいこと?」

「うん。近頃、都内で妖絵の窃盗事件が多発しているらしいんだけど」

「ああ、そのことならさっき尾花さんと美竹さんから聞いたよ」

「そうなんだ。なら話が早い」


 そう言って黎は居住まいを正し、真剣な色を帯びた睛眸で松実を見据えた。


「松実。僕に蔵の在り処を教えてくれないかな」

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