第4話 想い人の親友
それから三人で談笑にふけっていると、長閑な自然に囲まれた我が家が姿を現し始めた。もともとは松乃が隠居していた邸宅で、松実も幼い頃から美竹たちとともにそこで暮らしてきた。
邸宅の隣にある駐車場に車をおいて三人は下車し、家屋を囲む生垣をなぞるように正面入口へと進む。そこに着くや否や美竹が木戸を開けてくれたので、松実は礼を言いつつ戸を潜り、真っ直ぐに玄関を目指した。
松や南天の木々、苔石、それから鹿おどしや灯篭までもが庭に設置され、日本らしい幽玄美を惜しみなく発揮している。また母屋と離れを繋ぐ回廊からは鯉たちが遊泳している池が一望でき、季節や時間帯によって姿を変えるこの佳景は松乃が風流人であったことを如実に示していた。
「ただいまー」
松実が帰宅を告げてブーツを脱いでいると、さっそく同居人が出迎えてくれた。
「おかえり、松実。美竹さんと尾花さんも」
静穏で優しい声音が耳朶に響く。
『あなたも自分の気持ちを大切にするようにね』
同時に桜子の助言が脳裏を過り、松実の頬は朱に染まった。おまけについ視線をそらしてしまう。
「た、ただいま」
「ただいま帰りました。坊ちゃん」
「出迎えありがとうな。黎君」
「いえいえ」
清爽な黒髪に柔和な印象を与える垂れ目。左目の目元の泣きぼくろが特徴的で、書生姿だった。温柔敦厚なこの青年こそ、松実の幼馴染兼想い人である黎だ。
「お、松実ちゃん帰ってきはった」
今度は左手のほうから聞き慣れた声がした。
黎を含めた四人が声の主へ顔を向けると、そこには茶髪で吊り目が特徴的な男が立っていた。
長身ですらりとした体躯をしており、洋装も相まって女性の目を釘付けにすること間違いなしの色男だ。が、黎とは正反対で軟派そうな見た目をしている。
「稲見さん。いらしてたんですね」
松実が声をかけると、稲見は「お邪魔してますー」とひらひらと片手を振った。
「お手洗いはもう済んだの?」
「うん。貸してくれてありがとう」
「どういたしまして」
稲見は黎の親友で、彼と同じく封魔絵師の一人だった。さらに言えば、松乃が現役引退後に開いた一般人向けの絵塾の塾生でもある。その絵塾は松乃の死去に伴い閉塾してしまい、今ではもう過去の思い出となってしまったが。
「今日も黎と一緒に課題をしに来たんですか?」
「ううん、今日はおしゃべりしに来ただけ。あと、上村先生にお線香あげたくて」
「わざわざありがとうございます」
「いやいや、毎度のことやし。そんな頭下げてお礼言われるほど大層なことしてへんから」
「それでも、祖母のために足を運んでいただいていることに変わりはありません」
本当にありがとうございます。
緩やかに口角をあげて再び感謝の言葉を送る松実に、稲見は照れくさそうに頬をかいた。
「あ、ありがとう」
「どうして稲見さんがお礼を言うんですか」
「いや、なんとなく」
その場の空気が和らぎ、温かな笑い声が辺り一帯に響き渡った。
稲見もつられて朗笑したところで黎の隣に立ち、彼の肩に手を置く。
「そんじゃ、松実ちゃんも帰ってきたことやし、そろそろお暇させてもらうわ」
「えっ、もう帰っちゃうんですか? せっかくですし、夕ご飯でも――」
「ご相伴に預かりたいのは山々なんやけど、ちょうどこれから用事あってな。早く家に戻らんとあかんねん」
「そうなんですか。じゃあ、またいらした時にぜひ食べていってください」
「うん。ありがとう、松実ちゃん。ていうか俺、さっきからありがとうばっか言ってるな」
「確かに」
黎が相槌を打ったところで、またもやどっと笑いが起きた。
下の名前が『明』だけあって、やはり彼は周囲の人間を明るくさせる。松乃が病で亡くなって松実が落ち込んでいる時も、黎と同じくらい稲見は必死に励ましの言葉をかけ続けてくれた。
松実が目を細めたところで、稲見は「じゃあ、またね」と手を振って黎の部屋へと戻っていく。黎も彼を見送るためそのまま廊下を歩いていった。
二人の背を見届けた後、松実は筆箱などが入った風呂敷を美竹から受け取る。
「私もいったん部屋に行くね」
「はい。ご夕食ができたらお呼びします」
「ちなみに今日の夕飯は何かな? 美竹さん」
うきうきしながら問う尾花に、美竹は得意そうに笑んで答える。
「ライスカレエです」
「なんと、今日は珍しく洋食! しかも、この尾花の大好物ではないか!」
「だからって食べ過ぎないようにね」
「わかってますとも」
わかりやすく上機嫌になる尾花に軽く注意喚起をしてから、松実は離れにある自室へと足先を向けた。