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第43話 玄い冬

 珂雪は呆気にとられた後、ぴゅうと口笛を吹く。


「さすがは神様。〈十種妖宝〉を一撃で討つなんて」


 地に伏した磐座は器である鶴嘴に吸いこまれるようにして消えていく。宿主が戻ったことにより〈磐座〉はさらなる妖力を帯びた。


「よくもおれの相棒を……!」


 阿漕は髪の毛を逆立てて、〈磐座〉の穂先を勢いよく地面に突き刺した。

 すると縁の足元から突として巨岩の長剣が現れ、彼を穿とうとした。

 すんでのところで回避したのも束の間、またもや地面が隆起して岩の剣山が縁や珂雪、それから松実に襲いかかる。


「主!」


 毘沙門天が松実を抱えて岩剣の猛攻をかわしていく。縁と珂雪も凍てついた妖力をもって剣山を打ち砕いた。


「何やってるのよ! 早くお姉さまをやっつけて」

「うるさい。わかってる」


 阿漕は苛立ち混じりに答えては〈磐座〉を振るい、鋭く尖った礫を松実に仕向けた。

 毘沙門天が背を向けて松実を庇おうとした時、縁が礫を叩き斬り、珂雪が真白の息吹で礫を凍結させた。


「珂雪」

「ええ」


 掌中の珠を傷つけようとした悪漢を、底冷えする義憤と憎悪が拘束した。

 冷厳な気迫に阿漕が息を呑み、〈磐座〉を携える手を震わせた瞬間――縁が携えていた〈珂雪〉の妖力が白銀から漆黒へと移り変わる。


「〈玄冬〉」


 縁が〈珂雪〉を横薙ぎすると光すら通さない玄氷の礫が解き放たれ、珂雪が息吹くと同じくくろの六花が咲いては乱舞する。


 かつて妖は人の世ではなく妖異界と呼ばれる世界の生き物だった。かの世界は現世に点在する禁足地にある空間のねじれに繋がっていると伝承され、そのねじれを通じて妖が現世に流れこんでは棲みつくようになったという。


 かつての世界における妖力はなべて暗黒。玄の妖力は原始の妖力と呼ばれ、あらゆる妖の根源的な力として心底に眠っており、通常の妖力よりも数倍強大だった。

 憤怒の権化は阿漕を取り囲み、礫は皮膚を裂き、六花は肌を打擲した。やがて元々青白かった肌に玄の六花が痣のように浮かび上がり、玄の氷霜が全身を浸食した。

 玄い冬に抱かれて、阿漕は重度の凍傷を負い、呆気なくその場に伏した。


「嘘、でしょ……」


 残酷な惨状に華恋は花唇を震わせ、慄くことしかできなかった。松実も縁と珂雪の冽々とした気迫に圧倒され、唖然とする。

 眼前に対峙する青年は今にも斬り殺さんとする勢いで、凍てついた眼光をもって自身を睥睨している。恐ろしくもやはり美しいと思わざるを得ないかの貴公子は、ゆっくりと華恋へと近づいていく。


「ど、どうして松実お姉さまなのですか! わたしのほうが器量良しで良妻賢母としての素質もあるのに! そんな絵を描くことしか取り柄のない醜女なんかよりよっぽど――」

「自惚れるのも大概にしろ」


 冷厳な声色が耳朶を打った瞬間、華恋の意識は途絶えた。縁が目にもとまらぬ速さで手刀を首元に打ちつけ、強制的に華恋の口を塞いだ。


「人の醜さばかりに執着し、あまつさえ優劣をつけることでしか己の自尊心を保つことのできないお前が、良妻賢母になれるはずがないだろう」


 俺が心を寄せ、生涯大切にしたいと思うのは後にも先にも松実だけだ。

 その断言から垣間見える縁の強い意志と想いに、松実は秘かに喜悦の息を吐く。


「あいつ、お前にべた惚れだな」

「主への愛ならば我も負けておらんぞ!」


 仁墨と毘沙門天が他愛ない会話をひそひそと繰り広げているなか、松実は縁に歩み寄って気絶した阿漕を見やる。


「縁さん。この人は……」

「大丈夫だ。死んではいない。少し痛い目を見てもらっただけだ」


 この凍傷は少しどころではないだろう、と唇をひきつらせ、華恋にも目を向けた。


「まさか華恋が見鬼能力を手に入れてまで縁さんの傍にいたいと思っていたなんて。すみません、ご迷惑をおかけしました」

「いや、松実が謝る必要はない」


 言って、縁は珂雪を振り返って彼らを拘束するよう伝えた。

 珂雪は頷いて氷の手錠を創成し、縁に手渡す。


「それじゃ、あたしはおうちに戻るから」


 どうやら妖が具現化できる時間は限られているらしい。珂雪は「じゃあまたね」と松実の額に口づけし、ひらひらと手を振りながら刀に戻っていった。

 白銀の美女からの不意の口づけに、松実は額を押さえたまま頬を朱に染める。


「まったくあいつは……」


 わずかな妬心さえ露わにしながら、縁は溜息をつく。


「食堂で私が雪女に会ってみたいと言った時、縁さんが渋っていたのって……」

「ああ。見ての通り、珂雪は触れあい(スキンシップ)が異常に多くてな。自分が気に入った人間に対しては大体あんな感じなんだ。特に女性に対しては輪をかけて距離が近い」

「だから私の気分を害するかもしれないっておっしゃったんですね」

「初対面の人間でさえ遠慮がないからな。本当にすまない」

「いえ。むしろ嬉しいです。難儀な性格って聞いていたから、人間に対して友好的じゃないのかと」

「こいつの場合は度を越えて友好的過ぎるんだがな」

『ちょっと度を越えてって何よ』


 刀から珂雪の不満そうな声が聞こえ、松実は笑みを零す。


「隊長!」


 途端、後方から縁の部下たちが駆けつけ、きびきびとした動作で敬礼した。


「遅れてしまい申し訳ありません。〈妖雲〉は全員捕縛しました」

「そうか。ありがとう。お前たちも無事でよかった」


 縁は黎たちが〈妖雲〉に加担していたこと、そして妖伐局に向かったことを手短に説明し、これから局に戻る旨を伝えた。部下たちは少なからず動揺の色を浮かべたものの、すぐに表情を引き締めて了承の意を示した。


「これから局に戻るが、松実。疲れてないか?」

「大丈夫です」

「辛かったらすぐに言ってくれ」


 縁の気遣いに目を細めつつ松実は頷き、縁たちとともに最後の戦場へと向かった。

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