第3話 二種類の絵師
松実が住んでいる家は東京郊外の緑豊かな地域にひっそりと構えられている。女学校とは距離があるので、普段は初老の使用人である尾花に車で送迎してもらっていた。
「松実様、今日はどのように過ごされたんで?」
「桜の木霊がいるって前に話したでしょ。今日はその子から頼まれてた絵が完成したからそれを渡して、あとはずっとおしゃべりしてた感じかな」
「ははは、随分と仲良くなられましたなあ」
尾花は恵比須顔になって、曲がり角に合わせてハンドルを切りながら続ける。
「木霊は比較的おとなしくて人懐っこい妖ですから、こっちから手を出さなければ害はありません。けど、大抵の妖は人に悪さをしたり理不尽に命を奪ったりする凶悪な奴らです。それを忘れんでくださいね」
「うん」
やはり、その道を辿ってきた経験者の言葉にはそれなりの重みがある。
途中から神妙な声音になって諭す尾花に、松実も自然と表情が引き締まった。
尾花は昔、松乃の麾下で現役時代は彼女とともに数多の妖を葬ってきた。
松乃の引退に伴い、彼女に絶対服従を誓っていた尾花も妖伐局を離れ、以降は松乃の従者兼使用人として転身したと彼自身から聞いたことがある。
「近頃、妖絡みの妙な事件も多発していると小耳に挟んだんで、用心するに越したことはありません」
「妙な事件?」
「都内には何人か封魔絵師の方々がいらっしゃいますでしょう? その方々が過去に封魔した妖絵が次々に消えているらしいのですよ」
美竹がそう補足し、松実は顎に手を添えて思案する。
筆の付喪神、あるいはその付喪神の妖力を蓄えた特殊な筆で対象となる悪妖を絵として封じ込める。それが封魔絵師だ。
松乃もかつては封魔絵師の一人だった。辟邪絵師というのは本来、妖力をコントロールする才覚を持ち、かつたゆまぬ努力を積んだ一握りの絵師がなれる特別な称号のようなもの。神を召喚し、ましてや使役させるほどの力をもつ者はそういないので、なりたくても必ずなれるものではない。それゆえ当時妖伐局で活躍していた松乃は界隈では知らぬ者がいないほどの有名人であり、多くの封魔絵師たちから憧憬の眼差しを向けられていた。
だが、妖の対処という観点からすれば双方は根本的に異なる。
辟邪絵師は善神を描いて召喚することで悪妖を滅するのに対し、封魔絵師は妖力を帯びた墨の縄で妖を縛り、紙などに叩きつけるようにして封印する。妖そのものを退治するわけではない。
つまるところ、彼らの本領は妖伐局ですら討伐が難しい高位の妖を絵中に留めることだった。なかには妖に魅入られて、収集家としてわざと妖を狩って封魔する変わり者もいるらしいが。
「妖絵が消えている……。ということは、誰かに盗まれてるってこと?」
「おそらくは。妖絵の性質を知っている人間は限られてくるんで、早く解決しないと大変なことになる。妖伐局もいま捜査中とのことです」
尾花の返答に、松実は「そっか」と相槌を打つ。
妖絵だけを狙った窃盗事件。十中八九、盗まれた妖絵は悪用されるだろう。
「早く犯人が捕まるといいんだけど」
「そうですな」
束の間の沈黙の後、尾花は持ち前の明朗さで松実の緑瞳に差した懸念と憂慮の影を取り払う。
「なあに、松実様が不安に思う必要はありゃしません。いざという時はこの尾花が松実様を守ってみせますから! 老いぼれとて、かつては松乃様の右腕を務めた男。妖伐局の新入り若衆より腕がたつってもんです」
意気揚々と言ってのける闊達な従者に、松実は頬を緩めて謝意を述べた。
「ありがとう。頼りにしてる」
「任してくださいよ!」