第37話 恐るべき伏兵
「どうして華恋がここに……!」
目を剥く姉の面様とは裏腹に、華恋はその反応に満悦するかのように花唇を吊り上げる。
「じゃあ、僕は妖を送りがてら妖伐局へ行くよ」
縁は身を翻し、妖狐たちとともにその場を去ろうと一歩を踏み出す。浅草、銀座にとどまらず都内各所に悪妖を解き放つつもりだ。
「待て!」
縁と珂雪が逃走を阻止せんと氷雪の妖力を放つも、大蝦蟇やその主たる男が障壁となり、黎に追撃が届くことはなかった。
「ご安心を。ちゃんと妖伐局で待っていますから」
変わり果てたお仲間と一緒にね。
こちらの焦燥をさらに駆り立てる一言を残して、黎と妖狐たちは厄災に紛れて消えた。
「局長に早く知らせないと……!」
縁は急いで懐から自身の式神を取り出す。
「局長、藤浪です。いま薊たちが局に向かっています。俺たちは第三者からの敵襲を受け、そちらにはすぐに行けません。早急に迎撃態勢を」
手短に状況を説明し、伝言を正確に記憶した藁人形を空へと放つ。
「局長のところへ」
縁が式神を飛ばしたところで、大蝦蟇が伝達を断とうと無数の礫を吐いて打ち落とさんとする。だが、即座に珂雪が分厚い氷壁を創成して礫を防いだ。
「お前も〈妖雲〉だな」
確信めいた縁の問いかけには答えず、長身痩躯の男はずっと黙したままだった。
焦茶の髪は目元を覆い隠す勢いで伸びきり、感情の見えない虚ろな双眼が得も言われぬ不気味さを漂わせている。男が手にしているつるはし型の妖具も、さながら死神の鎌のようだった。
「……〈天妖五劉器〉が一振り、〈珂雪〉」
ようやく男が開口し、しわがれ声で呟いた。
「おれもかつては〈天妖五劉器〉の契約試練に挑んだ。だが、最上位の妖どもは見る目がなかった。おれの真価を見抜き、選んだのは〈十種妖宝〉が一宝、この〈磐座〉だけ」
「〈十種妖宝〉……」
「〈天妖五劉器〉に次ぐ強さを誇る十種の妖具のことだ。あの男は岩石の妖力を持つ大蝦蟇〈磐座〉の主。先ほどの〈妖雲〉の連中とはわけが違う」
当てはめられた漢字の意味を連想しながら松実が復唱すると、縁が補足してくれた。
なるほどと相槌を打つ反面、縁は眉を顰める。
――濡女を使役していた男が〈妖雲〉を率いていると思っていたが……。
〈十種妖宝〉という貴重かつ強力な妖具を所有しているあたり、首魁はおそらくこの伏兵だろう。振り返ってみれば、濡女の主たる男は一度も自身が〈妖雲〉の首魁だと話していなかった。ただこちらがそう思い込んでいただけで。
「やっとお会いできましたね。『六花の貴公子』様」
思案していた縁に、華恋が恍惚とした面持ちで声をかける。
「華恋、どうしてあなたがここに……」
「うるさいわね。わたしは縁様に話しかけているの。お姉様は黙っていてくださる?」
縁に対する態度とは打って変わって、華恋は花顔を苛立ちと厭悪の暗色に染める。
辛辣な口調に松実も表情を強張らせるが、それ以上に松実への敵意を感じ取った縁が華恋を睨み据える。
「松実、彼女は?」
「異母妹の華恋です。華恋は妖の存在は知っていても視ることはできません。妖伐局のことも知らなかったはずなのに……」
何より、なぜ一般人である彼女が鬼人衆とともにいるのか。
言外にそう問う松実に、華恋は歪んだ笑みを浮かべて言う。
「知りたい? いいわよ、物分かりの悪いお姉様のために一から教えてあげる」




