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第32話 離さない

「オイラを呼ブなんテ珍しいナ。松実」

「一年ぶりくらいかな。神ちゃん」


 片言の日本語を話す神虫に、松実は再会の歓喜を花顔に浮かべる。


「それデ、オイラに何ノ用?」


 松実は懐からかつて愛する人から贈られた装飾品を取り出し、神虫の前に差し出す。


「こレハ……」

「松翠、いいのか?」


 仁墨の問いかけに、松実は「うん」とためらいなく首肯する。


「前にも言ったでしょ。どっちにしろ、これはもう使えないって」

「ああ」

「いつまでも持っていたって仕方がないしね」


 どうやら完全に黎への未練は断ち切ったようだ。


「そうか」


 仁墨はまるで無いはずの口元を綻ばせるかのように、そっと呟いた。

 松実も刹那の微笑を浮かべた後、神虫に向き直る。


「このリボンに私以外の人の指紋と、二匹の妖狐の妖気が少なからずついているはず。神ちゃんにはこれを食べてもらって、指紋の人物と妖狐たちを探してもらいたいの」

「わカっタ」


 神虫は大きな口を開けて、焼き焦げたリボンに喰らいついた。そのまま黎と妖狐たちの素性を吟味するかのようにゆっくりと咀嚼そしゃくする。


「神虫は何をしているんだ?」


 神虫の奇抜な行為に、縁は呆気にとられながら尋ねた。


「神ちゃんは探している人の指紋や汗、涙が付着した物を食べることによって、その人の姿をとらえることができるんです。それは妖の妖気であっても同じ。肉体の一部であれば、より正確に対象となる人物を把握することもできます」


 松実の解説が終わると同時に、神虫が嚥下して「掴めタ」と一言。

 間断おかずに神虫の口から三本の糸が放出されて、まるで見えない何かを追っているかのように執務室の窓をすり抜けていく。


「この三本の糸は薊たちを追っているのですか」


 千影の問いに「はい」と松実は顔を縦に振る。


「〈訪糸たずねいと〉。神ちゃんが食して把握した人や妖の痕跡を糸として昇華し、探し当てることができる能力です」


 万能ともいえる力に、縁と千影は感嘆した。

 流石は妖よりも遥かに高位の存在である神だ。

 千影の〈黒影〉をもってしても黎たちの居場所を特定することができなかったというのに、神虫は五分とかからず彼らがどこにいるのかを突き止めた。


「人間ト、化けノ皮を被っタ狐ガ二匹。奴ラ、鉄ノ車に乗っテ移動しテる」

「鉄の車?」


 松実が問うと、松実を一瞥して続けた。


「細長くテ、街中ヲ平然ト走っテる芋虫ノようナやツ」

「芋虫……もしかして、路面電車?」

「多分そレ」

「わかった。神ちゃん、黎たちがいるところまで私たちを案内してくれる?」

「合テン承チ」


 松実が縁たちに目配せし、彼らが頷いた途端――こんこんと何かが窓を叩く音がした。

 一同が音のした窓のほうへ顔を向けると、掌ほどの大きさの藁人形が手を振っていた。


「藁人形?」


 意思をもって動いているということは、妖の類だろうか。

 松実が呟くと、縁がすかさず説明してくれた。


「局内で連絡手段や後方支援として幅広く使われている式神だ。三番隊の隊長が藁人形の付喪神を使役していて、俺たちが使っている式神はすべてその付喪神が作り出したものなんだ」

「藁人形が式神だなんて、すごいですね」


 松実が相槌を打つなか、千影が窓を開ける。

 藁人形は部屋に入ってふよふよと浮遊するなり、縁の前で止まる。


こがらしの式神か」

「凩?」


 松実が鸚鵡返しすると、縁は端的に答えた。


「一番隊の副隊長で、俺の部下だ」


 確か、一番隊の面々は千影と同じく黎たちの捜索に出ているはず。その報告か何かだろうかと松実は推測する。


『縁! 今、浅草にいるんだけど、ものすごい数の妖がいきなり現れて一般人を襲い始めたんだ!』


 先ほどまでなかったはずの藁人形の口が開いて、仁墨よりも少し高い声で脈絡のない言葉を紡いだ。だが、式神の言葉が凩の伝言であるとすぐに理解できた。


「妖の急襲⁉ それも浅草で……!」


 過疎化著しい僻地ならともかく、都内の人口密集地で白昼堂々、妖が出没することはほとんどない。それこそ人為的な計画のもとでなければ。


「まさか、黎たちが!」


 ようやく彼らを見つけたというのに。

 こちらの追尾を阻害するかの如く舞い込んできた案件に、松実たちは焦燥を露わにする。


『おそらく、薊たちが持っていた妖絵のなかにいた奴らだ。辛うじてまだ犠牲者が出ていないが、とにかく妖の数が多い。いつ追加投入されるかもわかったものじゃないから、増援を頼む!』


 そこで藁人形は口を閉じ、確かに伝えたぞと言わんばかりに颯爽と窓から去っていった。


「くそ、薊たちを見つけた矢先に恐れていた事態になるとは……!」


 縁が歯噛みしていると、千影が〈黒影〉を携えて彼に言った。


「藤浪は薊たちの追跡に向かえ。浅草のほうへは俺がいく」

「副長。ですが……」

「薊の拿捕はお前の仕事だ。それに、辟邪絵師が一度に召喚できるのは一柱のみ。松実さんと神虫を離れさせてしまえば、彼女は完全に無防備になってしまう」

「なぜ、召喚制約のことを……」


 松実が問うと、千影はほんの少し口角をあげて答えてくれた。


「俺は昔、松乃さんの隊に所属していて、その時に話してくれたんです」

「そうだったんですか」

「ええ。藤浪」


 行け。


 千影に背中を押され、縁は頷く。


「わかりました。そちらは頼みます」

「ああ。光にもこのことは伝えておく。他隊も加勢してくれるだろう」

「よろしくお願いします」


 縁が首を垂れたところで、千影は「気をつけろよ」と彼の肩を軽く叩いてから、執務室を後にした。

 縁は顔を上げて、松実のほうを向く。


「本心を言えば、君にはここに残っていてほしいんだが……いつどこで急襲が起きるかわからない以上、妖伐局(ここ)も安全とは言い切れない。だから――」

「仮にここが安全であったとしても、私は縁さんと一緒に行きます」


 黎たちの暴動で誰かが傷つくのを、黙って見ることはできませんから。


 清純な緑瞳の輝きが眩しく、縁は目を細める。


「それに、自分の身は自分で守ります」

「その必要はない。君は必ず俺が守る」



 だから、絶対に傍を離れるな。



 自身の手をそっと握られたような――そんな感覚がした。

 藤の花を思わせる紫瞳があまりにも真っ直ぐで。彼の想いが透き通って見えて。

 意思強き縁の言葉は松実の胸と頬を熱くした。


「はい」


 松実は縁との約束を守ることを決意し、神虫を振り返る。


「神ちゃん、お願い」

「わかっタ」


 神虫ははねを動かして、開け放たれていた窓から外へ出た。

 松実たちも退室し、神虫を追うため妖伐局の玄関へと急いだ。

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