第31話 眷属神・神虫
副長室は局長室と隣接していた。縁がコンコンとノックをすると、「入れ」と沈着とした低声がドア越しから聞こえた。
「失礼します」
縁の先導に続いて入室すると、部屋の中央で漆黒の打刀が床板を突き刺しており、それの周囲を暗黒の影が渦巻いていた。
強力な妖気を放つ異様な光景に、松実は息を呑みつつも身が竦むような恐怖を感じずにはいられなかった。
「大丈夫だ」
縁が安心させるようにそっと肩に触れる。松実ははっとして縁を見上げた。
「縁さん」
「これは副長の妖刀〈黒影〉。いま薊たちを探してくれている」
手袋越しでも伝わってくる温もりが、松実の心をゆっくりと落ち着かせてくれた。
松実は笑みをたたえて首肯し、縁もそれに応えるように頷く。
「藤浪か」
千影は執務机に置かれた大量の書類に視線を落としており、縁たちをとらえるや否や立ち上がってこちらに歩み寄る。だが、縁の背後にいた松実を視認するなり険しい面差しになった。
「なぜ松実さんが?」
「彼女が薊たちの捜索に協力したいと」
「それで、お前は承諾したのか?」
「はい。彼女が召喚できる辟邪の眷属神ならば、難航している現状を打破できるのではないかと。何より彼女の意志が強かったものですから」
「そうか。お前がそう判断したのなら、何も言うことはない」
暗夜を思わせる睛眸がこちらに向けられ、松実は一瞬身を強張らせる。だが、一抹の警戒心も杞憂だった。
千影は端然と首を垂れる。
「妖伐局副長の犬飼千影です」
「上村松実です。犬飼さんのおかげで私を見つけることができたと父から聞きました。本当にありがとうございました」
「いえ。妖伐局員としての責務を果たしたまでのことですから」
抑揚のない声色で答え、千影は自身の愛刀のほうを振り向く。
「いまだ薊たちの足取りは掴めていない。妖気を完全に絶っているせいで、妖狐たちを探し当てるのは難しい。それゆえ薊一人に絞って捜索しているんだが……」
「松実の時のように、ある程度、捜索範囲に見当をつけることができませんからね。それに、ありとあらゆる影に通じる必要がある以上、時間もかかる」
縁の相槌に、千影は重々しく頷いた。
「松実が薊にとらわれていた時、奴は妖の楽園を築くために邪魔者を一人残らず排除すると言っていたそうです。もし邪魔者が人間全員を指しているのなら、奴らがいつどこで悪事を働くかわかったものじゃない」
「なるほど。となると――」
怜悧な黒瞳が松実をとらえる。
「松実さん。今すぐ辟邪の眷属神を召喚することはできますか」
「はい。仁墨」
「おう」
仁墨が自身の手に収まったのを確認し、松実は瞑目し深呼吸する。
ゆっくりと瞼を持ち上げてから、目に見えない透明な紙に描くように空を妖墨でなぞる。
淡い黄金の粒子をまとった漆黒の筆致が、神の虫を形作る。
その善神は蜘蛛のような胴体に、蛾のような二枚の翅と奇妙な姿形をしていた。
全身を描き終えて、松実は召喚の詞を唱える。
「汝に命ず。虫牙と糸操をもって、濁乱を祓い給え」
神虫!
かの神名を呼ぶと、それに応えるかのように空に描かれた巨虫が眩い光輝を放つ。
一同が思わず目元を手で覆い、神の威光が収まると同時に視界を広げると、大人の背丈を優に超える蜘蛛の如き巨虫がそこにいた。




