第30話 新たな約束
今後の作戦について縁と打ち合わせした後、松実は縁とともに一階ロビーに下りた。
松司は松実を縁に預け、上村本邸へと帰っていった。この数日間、松実の看病につきっきりで家を長く空けてしまったので、仕事が山のように残っているらしい。
「お前たちを監視していた部下たちはすでに引き上げさせているから、女中たちと連絡がとれるようになっている」
そう松司が言い残したので、松実は自身の無事を報告するためにも、局内の電話を借りて別邸との連絡を図った。
『お嬢様⁉』
交換手とのやり取りを終えてすぐ、美竹の驚愕と歓喜を隠せない呼声が耳朶を震わせた。
ああ、とても心配させてしまった。松実が申し訳なさで胸がいっぱいになるくらいに、彼女の声はとても情感に満ちていた。
「美竹さん、ごめんね。すぐに連絡できなくて」
『いいえ。お嬢様が無事とわかっただけで十分ですから……』
「そっちは大丈夫だった? お父様の部下の人たちに何かひどいことされなかった?」
『大丈夫です。お嬢様たちがどこに行ったのか執拗に聞かれただけで、少ししたらどこかへ行ってしまいましたから』
「そっか。迷惑かけちゃって本当にごめん」
『お嬢様が謝ることではありませんよ』
『そうですよ! いざという時は、この尾花が奴らを叩きのめしてくれるとこでしたから』
尾花も近くにいたのか、美竹の返答に続いて彼の溌剌とした声が聞こえた。
彼の調子のいい口振りが松実の沈んでいた心を持ち上げてくれる。口角も自然と上がった。
『ふふ、ありがとう。尾花さん』
自身の無事を報告できたところで、松実はこれまでの経緯を包み隠さず説明した。
「というわけで、私はしばらく家に帰れそうにないの。全部解決したら戻るから」
縁談についてもひとまず保留となり、今は黎たちの拿捕に集中する旨も伝えた。
『お嬢様、どうかお気をつけて』
電話越しでも美竹がどれほど心配しているかが伝わってくる。
黎が窃盗事件の首謀者であり、なおかつ蔵を焼いて立ち去ったことを伝えると、当然彼らも絶句していた。松実も火災に巻き込まれて命を失いかけたことを知ったからこそ、最初こそは縁と松司のように松実も捜索隊に加わることを反対した。
だが、捜索が難航しており、それを松実の辟邪絵師としての力で解決できるかもしれないこと、そして最強の矛と自負する一番隊の隊長が護衛役として隣にいてくれることを伝えると、彼女たちは不承不承ながら承諾してくれた。
『松実様、やっぱり尾花もそちらに合流します! まだ隊長になったばかりの新参者――藤浪のボンボンだけに松実様を任せるわけには!』
「あの、尾花さん」
『何ですか』
「いま縁さんが隣にいてね。さっきの言葉、聞こえてるよ」
松実が一瞥すると、壁に背を預けて腕を組んでいる縁の姿が。
尾花はとりわけ声が大きいので、受話器からでもその声量が劣ることはない。縁を『藤浪のボンボン』呼ばわりしたのも筒抜けだ。
「変わってくれるか?」
腕組みを解いて、いつもの冷徹な面差しで縁が言う。
――ああ、怒ってるかな……。
浮世離れした美貌と低い声音がさらに恐怖心を煽る。
松実は尾花の無事を祈りつつ、おずおず縁に受話器を渡した。
「はじめまして。妖伐局一番隊隊長の藤浪縁と申します」
『なっ!』
尾花の焦りを伴った声が耳朶に響く。
「この度は、松実さんを危険な目に遭わせてしまい大変申し訳ありません」
縁の口から発せられたのは怒りや反抗の言葉ではなく、謝罪だった。
尾花だけでなく松実も一驚すると同時に、公爵子息という地位に驕ることなく、誰であっても対等かつ誠実に対応する縁の振る舞いが好ましく思えた。
「松実さんの安全を心配されるのは尤もです。俺も最初は彼女が作戦に加わることに反対しました。ですが、情けないことに今の俺たちだけでは彼女の協力なしに犯罪者を拿捕することは難しい。何より彼女自身が、薊たちがこれ以上、悪事に手を染めてほしくないと強く願っているのです」
『…………』
反駁できないのか、無言の返答が受話器を通して伝えられる。
「彼女の思いに報いるためにも、俺たちを信じてくださいませんか」
『……だが』
「自慢じゃありませんが、俺は〈珂雪〉の主です」
『何っ⁉』
元妖伐局員の尾花は、〈天妖五劉器〉の所持者がどれほどの実力を有しているのかが瞬時に理解できた。ゆえに目を瞠らざるを得ない。
「約束します。俺は、自分の命に代えてでも松実を守ります」
縁の強固な意志と、まるで逃がさないとでも言うかのような真っ直ぐな思いに、松実の頬が自然と赤くなった。
「なに赤くなってんだよ」
「う、うるさい」
隣で浮遊している仁墨がからかってくるので、松実は反撃の意味もこめて軸の部分を弾く。
『……なるほど。君の気持ちはよくわかった』
松実様を、どうかよろしくお願いいたします。
どうにか尾花を説得することができ、縁は安堵したように目元を細める。
「はい」
また新たな約束を結んでから、縁は松実に受話器を手渡した。
「尾花さん、ありがとう」
『いやいや。むしろ、とんだ杞憂でしたな。あの方は頼りないただのボンボンではない。正真正銘の一番隊隊長、松実様を大切にしてくれる婚約者の藤浪縁様だ』
「そうだね」
堅実で優しい縁の人柄が尾花にも伝わって良かったと、松実も口元を綻ばせる。
『とはいえ、何かあればすぐに連絡するのを忘れんでくださいね。疾風のごとく、いつでもそちらに駆けつけますから』
「わかった」
『美竹さんに代わりますぞ』
それから尾花と美竹の会話が少し聞こえて、『もしもし』と柔和な声音が鼓膜を震わせる。
『お嬢様。私たちのことは何一つ心配することはございません。お嬢様はご自身の意志に従って、為すべきことを全うしてください』
「うん。ありがとう」
帰る時が来たらまた連絡すると最後に伝え、松実は受話器を戻した。
「電話、貸してくださってありがとうございます」
「いや。伝えたいことは全部話せたか?」
「はい」
「よかった」
縁がほんの一瞬微笑んだところで、すぐに清冷な顔色に戻って言う。
「さっきも話したように、今は千影さんや部下たちが薊たちを捜索している。千影さんは副長室にいるから、まずは彼と合流しよう」
松実は顔を縦に振り、縁の背を追った。




