第12話 氷炎の談話
妖伐局は都内南郊に構えられ、松実が住んでいた上村別邸とは反対側に位置する。
もとは神祇省の管轄下におかれていたが、明治時代に神祇省が廃止になって以降、政府直轄の独立組織として機能していた。
「一番隊隊長を就任してから一週間。どうですか? 自分の隊は」
「精鋭部隊なだけあって、どの隊員たちも腕が立ちますね。隊長という地位にあぐらをかくわけにはいかないと、改めて気を引き締められました」
「そうですか。それは何より」
三階にある局長の執務室。そこでは二人の男女が瀟洒なテーブルを挟んで談話していた。
執務室の主である女性はテーブルに置かれたティーカップを手に取り、紅茶の香りを楽しんでから優雅に飲み下す。
緩く波打つ緋色の長髪。首元から右頬にかけて浮かび上がっている赤黒い痣が特徴的な麗人だった。黄金の肩章と飾紐が光る漆黒の軍服は彼女の絶対的な地位を示すと同時に、威厳と艶美さを惜しみなく発揮している。
妖伐局局長、鷹丹光。妖伐局史上初の女性局長に抜擢された最強の退魔師であり、最高位の妖刀〈紅炎〉の主でもある。猛炎を模した痣は〈紅炎〉と契約した際に発現したもので、緋色の髪も妖気にあてられて変化したと縁は聞いていた。
「先方にはすでに縁談のことを伝えてあるのですか?」
「はい。明日、顔合わせすることになっています」
たおやかな微笑をもって問いかけた光に対し淡々と答えたのは、向かい側に座した冷艶な青年。
まるで白雪が溶け込んだかのような純白の髪に、涼やかな藤色の瞳。色素の薄い浮世離れした容貌は八面玲瓏だが、彼自身が放つ冷厳な気色から思わず畏怖の念を抱かずにはいられない。
〈六花の貴公子〉こと藤浪縁も、光お気に入りの紅茶を口に含む。
「確か、松実さんといいましたね。あの松乃さんのお孫さんで、聞けば彼女も辟邪絵師だとか。藤浪君、やっぱり彼女を一番隊に引き入れ――」
「何度も言いますが、彼女を前線に立たせるわけにはいきません。松乃さんと同じ扱いはしないでください」
「すみません」
あからさまに肩を落とす上司に、縁は小さく嘆息した。
だが、光の考えもわからなくはなかった。妖伐局はいつだって人手不足で、全員が猫の手も借りたいくらいの多忙を極めている。それに、辟邪絵師という稀有で強力な退魔師を勧誘したいと思うのは退魔組織の頂点に立つ者として当然の流れと言えた。
――局長には悪いが、彼女を妖との死闘に巻きこむわけにはいかない。
松実には平穏でつつがない生活を送ってほしい。そのためには自分自身が彼女の身の安全を確保し、守る必要がある。
――あの時の笑顔を毎日見せてくれれば、それで……。
脳裏に焼きついている過去の思い出を回想していると、「余談はここまでにして」と光が話題を切り替える。
「本題に入ります。例の妖絵窃盗事件についてです」
光の神妙な面持ちと声音に、縁の背筋もさらにぴんと伸びる。
「昨日、獲物が餌に喰いつきました」
比喩的に告げられた事実を理解して、縁はかすかに目を瞠る。
局内にも月岡という退魔絵師の者がいた。彼も自身の蔵を有しており、狙われる対象だと自負してずっと張り込んでいた。そのうえ、彼の蔵は特殊な構造をしており、一般的にはないとされる地下室がある。ゆえにあらかじめ妖絵を地下に移動させ、代わりに偽の妖絵を置いておき、最後には地下の存在が見破られないよう、入口を大きな箪笥で塞いで隠しておいたのだ。
「蔵の結界を破った後、なかにある妖絵をすべて持ち去ろうとしていたそうです。すぐに偽物だと見破って逃走しようとしたところを、月岡君が制止したらしいのですが」
「それで、犯人は捕まえたのですか」
光は静かにかぶりを振って答える。
「いいえ。むしろ、返り討ちにあって今は入院しています」
「月岡が返り討ちに……⁉」
「ご安心を。命に別状はありませんから」
「よかった……」
ひとまず無事だったことを知って、縁は安堵の息をつく。
だがしかし、まさか月岡が負傷するとは。
彼は四番隊の副隊長を務めている実力者。副隊長でさえ競り負けてしまうとは、敵方は相当な強者のようだ。
「月岡君いわく、犯人は二人……いえ、一人と一体と言ったほうが適切ですね」
「つまり、妖と人間の双方だと? 主従契約を結んでいるのでしょうか」
「断定はできませんが、その可能性は高いです。私も彼から聞いた時は耳を疑いましたが……」
光は一息ついて、犯人の正体を明かす。
「妖の正体――結界を破ったのは白狐」
その妖の名を耳にした瞬間、縁は愕然とした。
「白狐……⁉ 京都の大妖がなぜ東京に」
白狐はかつて京都にある神社で祀られていた豊穣神だったが、神社が衰廃したことで悪妖に転じた。そのため、妖伐局が定めている妖の位――妖位では最上位だとされている。
「わかりません。そして、人嫌いで有名なあの白狐がなぜ人間と行動をともにしているのかも謎です」
「人のほうはどんな人物だったのですか」
「あなたと同じくらいの若い男性で、書生の身なりをしていたそうです。黒髪で左目の下に泣きぼくろがある、物腰が柔らかそうな青年とのことで」
今は四番隊が捜索にあたっています、と光は付け加えた。
――奴らの目的は何だ?
盗んだ妖絵をどうするつもりなのか。なぜ白狐が嫌悪している人間と共謀しているのか。あるいは契約したのか。いずれにせよ不可解な点が多い。だが、まず優先すべきは首謀者たちの拿捕。
縁が状況を整理するなか、ここで一つある可能性が浮上する。
「局長」
「はい、藤浪君」
「月岡を合わせて、被害に遭った退魔絵師の数は?」
問われて、光は即答する。
「五人ですね」
「松実――いえ、上村家の令嬢はまだ被害に遭っていませんね?」
「ええ」
「となれば、このままだとあと三人狙われる可能性が高い」
都内に住んでいる退魔絵師は松実含めて八人。
松実以外の他の二人は今のところ誰かわからないが、妖伐局で保管している退魔師名簿を確認すればすぐに特定できるだろう。退魔師は通常の戸籍とは別に、退魔師としての経歴を記したもう一つの戸籍を妖伐局に提出する義務がある。妖伐局から退魔師に協力を依頼するための連絡手段となり、また今回のように事件が勃発した時の捜査資料にもなる。
「それに関してはすでにこちらで調査しました。被害の報告を受けていないのは、上村松実さんと――」
稲見明さん、それから薊黎さんです。