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復讐劇・序幕

一通の手紙。そこから、この復讐劇は静かに幕を開けた。


「スイさん、お手紙が届いてましたよ。差出人は…魔法協会ハース支部って書いてあります。」


「ハース支部…?見せてくれるか。」


スイの声に、わずかな焦りが混じっていた。その変化に気づきつつも、ローゼはそっと手紙を差し出す。几帳面なはずの彼女が、封を破る手つきはどこか荒く、その様子にローゼの胸がざわついた。


便箋に目を通した瞬間、スイの表情が静かに曇る。重たい沈黙が、部屋の空気をわずかに冷たくした。


「…スイさん?」


不安げに声をかけると、スイはすぐにふわりと微笑んだ。けれどその笑みは、どこか無理をしているように見えた。


「ごめんね、ローゼ。親友からの手紙でね、少しだけ手を貸してほしいって。すぐに戻るから、私がいない間は、二人で仲良くしてて。」


「…はい。」


聞きたいことはたくさんあった。けれど、スイの柔らかい言葉と微笑みに、ローゼはそれ以上踏み込めなかった。


――それが、すべての始まりだった。



「スイ先生、今日から一週間お休みなんだって。……何かあったのかな?」


場所は変わって、特別訓練場。ローゼからスイの休みを聞いたマロンが、偶然居合わせたシズクとララにそう伝えた。


「何かあったとしても、あの人ならすぐに片付けて戻ってくるよ。」


シズクが淡々と答える。


「でも、一週間もだよ? 心配になるじゃない。」


「心配するだけ無駄だって。」


ララが肩をすくめる。けれど、マロンの次の一言が空気を変えた。


「でもね、ローゼさんにも行き先を教えてないのよ。」


「…え?」


「それは…さすがに、おかしいかもね。」


シズクがわずかに表情を曇らせる。


どことなく張りつめた空気が場を包む。史上最強の魔法使いが、何も告げずに一週間も姿を消す――


まるで、嵐の前の静けさのようだった。


「…いや、それでも心配するだけ無駄だよ。」


沈黙を破るように、シズクが口を開く。


「あの人のことだ。ローゼさんを心配させたくなかったんだろ。優しい人だからさ。」


「む…確かに、そうかも。」


マロンは少し考え込み、それから小さく頷いた。だが、胸の奥に残ったざらついた不安だけは、どうしても拭えなかった。


――そして午後。実技授業の時間がやってきた。


「みんな大好き!トリスちゃんの授業だよ☆」


訓練場に響く明るい声に、シズクたちの小さな不安はほんの少し薄れた。


トリスとスイが学生時代から続く親友同士であることは、魔法学校の誰もが知っている。そんな彼女がいつも通りなら、きっと大丈夫。そう信じたかった。


「ん~?あれれ?上手くいかないな~。」


その瞬間、空気が変わった。トリスが、初めて魔法を失敗したのだ。どんな高度な術式も軽々と操ってきた彼女が、だ。訓練場にざわめきが広がる。


そして、スイの事情を知る者たちの胸に、鋭い不安が走った。


「ごめんみんな。今日のトリスちゃん、ちょっとダメみたいだ!」


トリスは笑ってごまかしながら、シズクへ視線を向ける。


「シズク君、代わりに見本をお願いしてもいい?」


「はい、わかりました。」


シズクは静かに頷いた。

胸の奥で同じ不安が蠢いていたが、それを悟られぬように冷静を装い、完璧な魔法を披露してみせた。


「うん。文句なし。みんな、今のを見本にやってみて。」


トリスはいつも通りの笑顔を浮かべていた。だが、その声の奥にどこか力のない響きを感じ取った者も少なくなかった。


授業は粛々と進んでいく。けれど、トリスの小さな異変は確実に生徒たちの心に不安の種を落としていた。


――そして放課後。


「もう我慢できない!」


勢いよく立ち上がり、バニラが叫んだ。


「トリスちゃんに何があったのか、直接聞いてくる!」


「落ち着け。どうせ聞いたって教えてくれねぇよ。」


ウォルフがため息をつきながら、彼女の腕をつかむ。


「わからないじゃない!離して!」


ウォルフを振りほどこうと暴れるバニラに、シズクは静かな声で言った。


「トリスちゃん、きっと僕たちを安心させようとしてるんだ。その気持ちを無駄にしちゃいけない。」


「うっ…。そうよね、ごめん。私、焦りすぎちゃった。」


バニラはしゅんと肩を落とす。その姿にシズクは、少し胸が痛んだ。


「不安なのはみんな同じ。でも、さっきマロンにも言ったけど、心配するだけ無駄。きっと休みが明けたら、いつもみたいに飄々と現れるよ。」


ララが淡々とそう言う。けれど、その声には冷静さというより、どこか“願い”のような響きがあった。


「うん。そうよね。」


ようやくバニラの表情にも、少しだけ笑みが戻る。緊張がゆるんだ空気の中で、彼女がぽつりと口を開いた。


「そういえばマロンはどこ行ったの?授業の後から見てないけど。」


「スイ先生の家だよ。ローゼさんとモニカさんの様子を見に行くって。」


「え~、いいな~!私、モニカさんにまだ会ったことないのに。」


バニラが口を尖らせると、特別訓練場にかすかな笑いが戻った。だがその笑いの裏に、誰も言葉にできない不安が静かに残っていた。



「ごめんくださーい!」


ちりん、とドアベルが鳴る。ほどなくして、ローゼが慌てた様子で扉を開けた。


「マロンさん?どうしたの?」


「いや、その…ちょっと二人のことが気になってさ。」


照れくさそうに頭をかくマロン。その姿に、ローゼはぱっと顔を輝かせ、両手でマロンの手を取った。


「わざわざ心配して来てくれたの!?マロンさんって本当に優しいね!」


真正面からの言葉に、マロンの顔がみるみる赤くなる。


「や、優しくなんかないってば!友達なんだから、当たり前でしょ!」


「ふふっ。それを優しいって言うのよ。」


ローゼの柔らかな笑みに、マロンは思わず視線を逸らした。


そのまま家に招き入れられると、マロンは椅子に腰を下ろしながら本題を切り出す。


「それでさ、何か困ってることとかない?」


「えっと…恥ずかしいんだけど、私、料理があんまり得意じゃなくて。簡単なものなら作れるんだけど、モニカの体調に合うものを考えるのが難しくて…。」


「料理かぁ~。うーん、それは私も得意じゃないなぁ。」


マロンは腕を組み、しばし考えると、ぱっと顔を上げた。


「でもね、料理がすごく上手な子を一人知ってるの。今日学校に戻ったらお願いしてみるね。」


「ほんと!?ありがとう、マロンさん!」


ローゼはぱっと笑顔を咲かせた。その明るい表情に、マロンもつられて微笑む。


「任せて。きっと力になってくれるはずだから。それで、他には何かある?」


「うーん…今は特に思いつかないかな。」


「そっか。じゃあ、何かあったら遠慮なく言ってね。」


二人は穏やかに笑い合い、その日はそれで別れた。そして翌日の夕方。マロンは約束通り、一人の人物を伴ってスイの家を再び訪れた。


「料理が上手な人って…ララさんのことだったのね。」


「そうそう。ララの料理は全部お店レベルよ。私が保証する!」


「うん。私の料理は絶品だよ。シズクのお母さん仕込みだからね。」


胸を張るララに、ローゼは思わず吹き出す。普段の落ち着いた彼女からは想像もつかない自信満々な姿だった。


だが、いざ台所に立つと、ララの雰囲気が一変する。ローゼがモニカの体調について軽く説明しただけで、ララは一瞬のうちに献立を組み立て、食材を手際よくさばいていく。


その姿はまるで、魔法を発動する前のスイのようだった。


「す、すごい…!」


あまりの動きの速さと正確さに、ローゼは息を呑む。


「スイ先生が帰ってくるまで、毎日私に作らせて。寮暮らしで腕がなまってたから、ちょうどいいリハビリになるから。」


頼もしい笑みを浮かべるララの背中を見つめながら、ローゼの胸にあった不安が、ほんの少しだけ和らいでいった。



――場所は変わり、魔法協会ハース支部。支部長室。


「それで、本当に首謀者を見つけたのか!?」


「もちろんだ。私が嘘をつくわけないだろう?」


スイの前に座っているのは、ハース支部の支部長アイラだった。


彼女はシアの事件のあと、軍を辞め、魔法協会へと移った。禁止魔法である“精神を操る魔法”を追うには、軍よりも協会のほうが動きやすいと考えたのだ。そして、わずか五年で支部長にまで上り詰めた。


「首謀者は私の故郷、セリパの領主だ。」


「…は? なんでセリパが?」


思いもよらない答えに、スイは言葉を失った。


「リン、例の資料を。」


「はい。」


副支部長のリンが金庫を開け、分厚い資料束を取り出す。スイはそれを受け取り、黙って目を通した。


「つまり…セリパが独立を狙って、シアを利用したってことか?」


「その通りよ。」


セリパはかつて領地戦でリリスタに敗れ、現在はその属領として支配されている。


セリパの領主は、この屈辱的な立場を覆そうと画策した。そして、その計画の駒として目をつけたのが、領民であり優秀な軍人でもあるアイラだった。


アイラが実地演習で自軍に所属していた間、領主は彼女の心に少しずつ精神を操る魔法を仕込み、支配の準備を進めていった。


そしてある日「任務を遂行せよ」。その一言でアイラは操られ、愛するシアを殺害してしまった。


領主の狙いは単純だった。実行犯をリリスタの軍人に仕立て上げ、事件の責任をリリスタに向けさせる。そうして両領地で争わせ、リリスタが疲弊したところで独立戦を仕掛け、セリパの独立を果たす。それが彼の計画だった。


しかし、この作戦は失敗に終わった。原因はスイである。


本来の筋書きでは、シアを殺害した後、アイラは自責の念に駆られて自殺するはずだった。彼女が死ねば、精神を操る魔法が発覚することはない。


だが、ハース軍は彼女の洗脳の痕跡を必ず探り当てると領主は予想していた。それほどまでに、彼女はハースで信頼を得ていたからだ。


そのとき浮上したのが、実行犯であるリリスタの軍人だった。彼は、かつてセリパからリリスタへ潜入させられたスパイであり、この計画のために人生を捧げていた。


彼は作戦の中で、あえて不自然なほど多くの証拠を残し、自らが事件の関係者であると疑われるよう仕向けていた。アイラの体に残された魔素が、その決定的な証拠である。


すべては領主の思惑どおりに進んでいた。


だが、スイがアイラを救ったことで、すべてが崩れた。


アイラが洗脳されていた事実が明るみに出た上で、アイラの口からあっさりと実行犯の容姿まで伝えられてしまった。帝都を覆う圧倒的な包囲網の前で、実行犯はもはや逃げ場を失っていた。


追い詰められたセリパの領主は、最後の手として、実行犯に仕込んでいた精神操作の魔法を発動し、自殺を強要した。その結果、真相の解明には五年という歳月を要することになった。


「どうやって見つけたんだ?」


スイの問いに、アイラはわずかに笑みを浮かべて答えた。


「ん?工夫したと思う?単なる人海戦術よ。集められるだけ情報を集めて、真相に一歩ずつ近づいていったの。時間はかかったけど、やっと尻尾を掴んだわ。ハース軍とリリスタ軍には既に連絡済みで、いつでも陣地戦を仕掛けられる態勢にしてある。」


「いや。その必要はない。」


スイの短い言葉が、部屋の空気を一瞬で変えた。張り詰めた静寂の中で、アイラの瞳が細められる。


「私が全員、始末してくるから。」


その声音は冷たくも穏やかで、怒りや激情とは無縁だった。まるで、呼吸をするように「殺す」と言っている。その落ち着きこそが、アイラの胸を締めつける。


「…やっぱり、そう言うと思ってた。」


アイラはわずかに息を吐き、手を上げた。合図と同時に、背後の扉が開き、数人の魔法使いが雪崩れ込む。動きを封じる魔法が同時に展開され、空気が一瞬震えた。だが、スイは微動だにしない。


魔法使いたちが息を呑む。自身の魔法が弾かれるという感覚を始めて味わったから。


「どうして…そんなに私を止めたいんだ?」


スイが首をかしげた。表情は穏やかで、まるで他人事のようだった。その平然とした眼差しが、アイラにはたまらなく痛かった。


「…あんたが、人生に満足しちゃいそうだからよ。」


アイラの声が震える。


スイの心の底にあるのが怒りでも憎しみでもなく。虚無だと、彼女にはわかっていた。


スイはシアを失って以来、心の中身をすべて削ぎ落とした。憎しみだけを燃料に歩き続け、気づけば憎しみすら燃え尽きていた。


今の彼女を動かしているのは「復讐」ではない。生きる理由が他にないから、復讐しているだけのようだった。


スイは微かに笑った。その笑顔は、ひどく穏やかで、ひどく壊れていた。


「安心しろ。復讐したからって、いなくなったりしないさ。」


「…それを信じろって言うの?」


アイラの声は掠れていた。かつて彼女が見たスイの笑顔。彼女らの前で心から笑っていたあの表情とはまるで違う。


今のスイの笑みには、温度も、痛みも、希望もなかった。空洞の中に浮かぶ幻のようで、見ているだけで涙が出そうになる。


スイはゆっくりとアイラに歩み寄った。


「それに、今は一人じゃないんだ。あの子たちが大人になるまでは、どうにもならないさ。」


アイラは目を見開く。それは言い訳だった。彼女は「理由」を口にしているが、生きたいと思っているわけではない。


――じゃあ、その子たちが大人になったら。あんたは何のために生きるの?


胸の奥でそう問いかけながらも、アイラは言葉を飲み込んだ。スイはもう覚悟を決めている。その背に向かって叫んでも、届かない。届いたとしても、彼女の心には響かない。


「心配かけてごめんね。アイラ。」


その言葉だけを残し、スイは静かに部屋を出ていった。扉が閉まる音が響いた瞬間、アイラは机に顔を突っ伏した。


涙が出るほど、わかっていた。


スイは「復讐」に向かっているんじゃない。自分が生きてきた意味の終着点へ向かっているのだ。


止めることはできない。それが彼女の答えであり、罰なのだから。

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