表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/77

悪意

「…サラに家族はいない。」


棺に眠るサラを抱きしめ、声を殺して泣くトリス。その姿を見つめながら、バイエルが静かに口を開いた。スイは隣で、黙ってその言葉を受け止める。


「孤児だったんだ。だが才能があった。だから俺が引き取り、育て上げた。……本当は軍人になってほしくなかったんだよ。あの子は優しすぎる。人を殺すより、人に寄り添うことのほうが向いていた。だから学校の先生を勧めたんだ。」


語るうちに、バイエルの目尻から静かに涙が伝う。


「ランダ魔法学校から教師の要請が来たとき、迷わずあの子を推薦した。…いい先生だったろう?」


「はい。生徒思いの、最高の先生でした。」


スイが力強く答えると、バイエルは一瞬だけ口元を緩めた。しかしすぐに、表情が固く引き締まる。


「だが…こんなことになるなら...。なぜ...なぜ、こんな時に限って、あんな魔獣が現れたんだ。」


スイが顔を上げる。


「ブルーム中佐とマルク少佐を殺し、サラ先生に致命傷を与えたあの魔獣…やはり、ただの魔獣ではないのですね?」


「…軍事機密だ。だが、君になら話そう。」


バイエルの声は低く重く響く。


「あれは”十二魔将”のひとつだ。」


聞き覚えのない名に、スイの眉がわずかに動く。


「神話の時代から生き延びてきた、特別な魔獣だ。長らく封印されていたが、五年前、突然復活し、この島を守っていた部隊を壊滅させた。」


バイエルの声がわずかに震えていた。


「原因は…部隊内に潜んでいたスパイだ。封印を一部壊し、あの魔獣を呼び覚ました。」


「どうして、そんなことを…?」


スイの問いに、バイエルは短く息を吐いた。


「理由は二つ考えられる。一つは、帝国を孤立させることだ。」


彼は遠くを見つめるように目を細めた。


「この魔獣島の存在を知る国なんて、ほとんどない。知っていたとすれば、帝国と親しい同盟国か、古い文献を残す歴史ある国くらいだ。だからこそ、外の国が関与したように見せかければ、帝国は疑心暗鬼に陥る。実際、事件の後、いくつもの国交が断たれた。帝国は…自ら孤立を選ばされたんだ。」


静まり返る室内に、バイエルの低い声が響く。


「もう一つは、帝国の中を割るためだ。」


「…内部をですか?」


スイが顔を上げる。バイエルはゆっくりと頷いた。


「帝国は十三の領地で成り立っている。中央の帝都を筆頭に、ランダ、クレース、スーロップ、アモネ、リギャド、マンアイ、ラベガ、セリパ、キンセン、ハース、リリスタ、フィラモ…それぞれが独自の文化と軍事力を持つ領地だ。」


彼は言葉を選びながら続ける。


「だが、帝都に忠誠を誓っているのは、ランダ、ラベガ、マンアイ、フィラモの四つだけ。他は…微妙だ。今もスーロップやセリパは関与が疑われている。証拠なんて何もないのに、だ。」


その声には、長く積もった疲労がにじんでいた。


「帝国軍の中でも互いを疑う空気が広がっている。敵は外じゃなく、中にいるのかもしれない。そう思わされるだけで、首謀者の狙いは果たされたようなものだ。」


言葉が途切れると、誰も口を開かなかった。木々のざわめきと、波の音だけが遠くから聞こえる。


「…我々は今、ただ魔獣と戦っているわけじゃない。」


バイエルが静かに言った。


「見えない策略の中で、誰かが仕組んだ“戦い”にも巻き込まれている。だからこそ、感情に流されず、事実を見極めねばならん。」


その声は穏やかだったが、底に宿る決意は揺るがなかった。外敵ではない誰かの悪意が、確かにこの国を蝕もうとしている。


スイはその現実を、息苦しいほどに感じていた。


「どうして…その話を、私に?」


沈黙ののち、スイが問いかける。バイエルは一度目を閉じ、静かに答えた。


「サラの死は、偶然ではないかもしれん。」


その言葉に、スイの瞳がわずかに揺れる。


「五年間、姿を見せなかったあの魔獣が、なぜ今日になって現れたのか。他の魔獣も異常に増え、狂暴性を増していた…誰かの意図が働いていると考えるのが自然だ。」


スイは唇を結んだまま、低く尋ねる。


「…狙いは、何でしょうか。」


「恐らくは君たちだ。」


バイエルの目が細く鋭くなる。


「帝国でも前例のないほど優秀な生徒たち。その未来を潰すことで、帝国の力を削ごうとしたのだろう。だが…。」


彼は言葉を切り、静かに空を見上げる。


「サラが、その企みを止めた。命を賭して、君たちを守った。本当に、自慢の娘だった。」


その声は、誇りと悲しみが混ざり合っていた。スイは言葉を失い、ただ拳を握りしめる。


「なぜ、私にその話を?」


スイがもう一度問うと、バイエルは深く息を吐いた。


「もし、サラの死が仕組まれたものなら、次に狙われるのは…君かもしれない。」


スイの目が見開かれる。バイエルは静かに続けた。


「君の力は人の枠を超えている。そしてこれから先、それはさらに強くなる。もし私が帝国の敵なら、完全に力が成熟する前に、君を排除するだろう。」


その言葉に、スイの肩がわずかに震える。


「これから先、君は多くの悪意に晒されるだろう。敵は外ではなく、近くに潜む。友人を狙う者も現れるかもしれない。だからこそ、常に警戒しなさい。でなければ…君は、気づいた時には一人きりになっていることだろう。」


静かな忠告だった。だが、その奥には深い憂慮が滲んでいた。


「…肝に銘じておきます。」


スイはそう答えながら、視線を落とした。その先に浮かぶのは、シアの笑顔。そして、トリス、アイラ、クラスのみんなの顔。


もし、自分のせいで彼女たちに危険が及ぶのなら…スイの喉が強く詰まる。


――サラ先生。


俯いた肩が、小さく震えた。その姿を見て、バイエルはそっと目を細める。


彼女は天才や怪物などと呼ばれていても、まだ一人の少女なのだ。その事実が、バイエルの胸を静かに締めつけた。


少しの沈黙のあと、彼は思い出したように口を開いた。


「…トリスフェルミアのことだが。」


「え?」


不意の言葉に、スイが顔を上げる。バイエルはわずかに微笑み、穏やかな声で続けた。


「彼女にサラの指輪を渡した。あの指輪は、ただの装飾品ではない。実は魔道具でな…音を記録し、残すことができる。」


スイの呼吸が止まる。


「…まさか、サラ先生の?」


「そうだ。あの子が息を引き取る直前、短い言葉を遺していた。」


バイエルは少し目を伏せ、そして静かにその言葉を口にする。


「――」


それは真っすぐにトリスに向けられた言葉だった。短く、優しく、それでいて力強い言葉。


スイは息を詰め、目に涙をにじませる。


「…はは。サラ先生らしいですね。」


唇が震えながらも、スイは微笑んだ。


「トリスは、もう聞いたんですか?」


「いや。まだだ。」


バイエルは小さく首を振る。


「彼女にはこう伝えてある。『もうどうしても立ち上がれないと思ったときに、聞きなさい』とな。あの子が今必要としているのは、サラに縋ることではなく…自分の意志で前に進む勇気だ。」


静かに語るその声には、確かな愛情と信頼が込められていた。


「サラも、きっとそう願っているだろう。」


その一言が、風に乗って小さく響いた。スイはその言葉を胸の奥で何度も繰り返しながら、そっと瞳を閉じた。



「絶対に負けないからね~☆」


「望むところだ!」


――あれから一か月余りが経った。


三回目の定期試験が近づくころ、トリスはすっかり立ち直っていた。トリスが語った夢。


「私、決めたんだ。サラ先生みたいな先生になる。子どもたちを、未来へ導くの!」


その夢が、かつて光を失っていた瞳に再びまっすぐな輝きを取り戻させた。その眩しさは、誰よりも近くで見つめていたスイの心までも熱く照らしていった。


二人の再び燃え上がるような競い合いは、サラの死で沈んでいたクラス全体に、再び希望を灯すことになる。


「くっそ~、次は絶対に負けないからね!」


この試験の結果はスイが一位、トリスが二位。


たった二ヶ月でトリスの実技は九十九点という前代未聞の記録にまで伸びていた。満点のスイに次ぐ得点。歴史を遡っても、スイ以外でここまで到達した者はいない。


その輝きは、歴史に名を残すであろう、シアやアイラでさえ霞ませるほどだった。


――そしてさらに三か月後。進級試験で、トリスはついにスイと並び立つ。


結果は同率一位、しかも二人とも満点。学校中が軽く騒然となったのは、言うまでもない。


「ついに追いつかれちゃったな。」


スイが少し照れたように笑う。


「私は追いついたなんて思ってないよ!スイ、試験中でもそれ着けっぱなしだったじゃん!」


スイは笑って肩をすくめる。


今や、彼女はいかなる時でも魔素分散装置を外せないほどに力を増していた。だが、それでも彼女の領域に届いたのはトリスただ一人だった。


スイの唇に、自然な笑みがこぼれる。孤高の道を歩み続けてきた少女の視界に、ようやく並び立つ存在が現れたのだ。


「はは。じゃあ、私にこれを外させるくらい、強くなってみせてよ。」


「望むところよ。」


拳を合わせる二人。その背中を、少し離れた場所から一人の少女が見つめていた。


――あんな顔、初めて見た。


シアの胸の中には、いくつもの感情が渦巻いていた。


親友がどんどん遠くへ行ってしまう焦り。その隣に立つ資格を持つトリスへの嫉妬。そして、スイに年相応の笑顔を取り戻させたトリスへの感謝。


相反する感情が絡まり合い、シアはただ、二人の眩しい背中を見つめ続けていた。


この頃から歯車は少しずつ狂い始めていった。着々と最悪な結末に結ばれていくように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ