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絶望の島

「それでは、説明を始める。」


メリンダが教壇に立ち、張りつめた声を放つ。その瞬間、教室のざわめきがすっと引いた。結局、特待クラス全員が誓約書にサインを記し、学外演習に臨むこととなったのだ。


「このバッカリス帝国がある東大陸。そのさらに東方の海に、地図にも載らぬ孤島が存在する。その島の名は”魔獣島”。名の通り、魔獣が生息する島だ。」


教室が一斉にざわつく。信じがたい話に、誰もが息を呑んだ。


「疑うのも無理はない。だがこれは事実だ。帝国軍情報部から提供された魔獣写生図を見せよう。」


黒板に貼り出された図を目にした瞬間、空気が凍りつく。


犬とも熊ともつかぬ歪な姿。異様に発達した牙と爪、毒々しい色彩。まるで悪夢が紙に張り付いたかのようだった。


「……信じ難いですね。」


スイですら困惑の声を漏らす。


「信じるかどうかではない。これが現実だ。そして君たちは、この怪物たちと戦うことになる。」


メリンダの言葉が落ちた瞬間、教室を覆う空気がピシャリと引き締まった。


「演習中は必ず、駐在する軍人と行動を共にせよ。勝手な行動は決して許されない。特にスイ!」


「わかってますって~。」


軽く手を挙げて笑うスイ。その態度に生徒たちが苦笑する中、メリンダだけは表情を崩さなかった。彼女が好奇心から飛び込む危うさを知っているからこそ、釘を刺さざるを得ないのだ。


「明日の午前九時、出発だ。島に到着するのは五日後の朝。着替えや必需品を忘れぬよう、各自すぐに準備に取りかかれ。」


言葉を終えると同時に、生徒たちは重たい沈黙を抱えたまま、足早に寮へと戻っていった。


そして翌朝。特待クラスの二十名は、サラの先導で出発した。魔法機関車を乗り継ぎ、さらに魔法船で海を渡り、五日後の朝、ついに”魔獣島”へとたどり着いた。


遠くからでもその異様さは一目でわかった。島全体が濃い森に覆われ、海岸線からすぐに鬱蒼とした緑が立ち上がっている。そしてその緑の奥、島の中央からは、まるで空気そのものを汚すかのように黒ずんだ魔素が滲み出ていた。


風に流されるその気配に触れただけで、胸の奥に冷たい指を這わせられるような悪寒が走る。


「…ここが、魔獣島。」


誰かが震える声で呟いた。


上陸してすぐ、待機していた軍人たちから説明が始まった。軍服に身を包んだ彼らは、ただそこに立っているだけで生徒たちの背筋を正させる威圧感を放っていた。


「これより、この島での規則を伝える。よく聞け。」


低く、通る声が響く。


「まず、島の中央には絶対に近づくな。あの魔素の源には、我々ですら迂闊には近寄らない。次に、傷を負った魔獣を見ても決して手を出すな。傷を負っているのに生きているということは、それだけ強い魔獣だということだ。三つ目。夜間は訓練施設から一歩たりとも外に出ないこと。暗闇では魔獣の活動が活発になるからだ。最後に、演習中は必ず我々軍人の指示に従い、決して勝手な行動を取るな。守れなければ…命はないと思え。」


張り詰めた沈黙が生徒たちを包む。誰も軽口を叩けなかった。島の森を揺らす風の音すら、何かの息遣いのように聞こえてしまう。


翌朝。生徒たちは実力に応じて五人ずつのチームに分けられた。当然、スイ、トリス、シア、アイラは別々のチームだ。


「お前がスイだな。話は聞いている。期待しているぞ。」


「はい!よろしくお願いします!」


スイのチームを先導するのは、魔獣島駐在部隊を率いる軍人バイエル。かつて帝国軍第二軍の将軍を務めたという傑物であり、今はこの島の防衛と管理を担っていた。


――ただの年寄り、かと思ったけど…。雰囲気が違う。


スイはそう感じる程度だった。だが実際に戦闘が始まると、その印象は一瞬で覆される。


襲いかかる魔獣を、スイは強力な魔法で吹き飛ばすしか術を持たない。だが、バイエルは違った。魔獣の動きを正確に読み、その急所だけを貫く。魔素の消費を最小限に抑え、確実に仕留めていくその姿は、無駄のない研ぎ澄まされた技の結晶だった。


「とんでもない威力だな。」


血飛沫を上げて崩れ落ちた魔獣を一瞥し、バイエルは豪快に笑った。普通の学生では傷をつけるのさえ難しい相手を、スイは一撃で粉砕してみせたのだ。


「いえ、まだまだです。バイエル大将のような滑らかな魔法運びには遠く及びません。」


「はっはっは! 魔法だけじゃなく、口の回し方も達者だな。」


二人だけで次々と魔獣を討伐していくため、他の生徒たちは精々四人がかりで一体を仕留めるのがやっと。最も安全なチームがここであるのは言うまでもなかった。


一方、トリスのチームを率いるのはサラだった。


彼女はかつて魔獣島に配属されていた経歴を持ち、その経験と実力を買われてバイエルの提案で先導役に任じられていた。


数年ぶりに軍服に袖を通した彼女の姿は、普段の私服姿とは違う凛々しさに満ちており、トリスの胸は不意に高鳴る。


「魔獣の弱点は、普通の生き物とは異なる。」


サラは講義でも始めるように落ち着いた声で言った。


その時、生徒たちを取り囲むように狼型の魔獣が姿を現す。生徒たちは息を呑んで構えるが、サラだけは冷静に続ける。


「魔獣の体から放たれる魔素に集中してごらん。どこかに“穴”があるはず。魔素が存在しない一点、そこが魔獣の急所。軍では”魔核”と呼んでいる。」


言葉と同時に、サラは圧縮した炎の弾を数発放った。狼型の魔獣は機敏に回避するが、火弾は吸い寄せられるように軌道を変え、次の瞬間、小さな穴を魔獣の体に穿った。


「…っ!」


生徒が息を呑む中、狼型の魔獣は崩れ落ちる。小さな傷に見えても、核を撃ち抜かれた以上、立ち上がることはない。


「見ただろう?魔核を壊せば、どんな魔獣も倒れる。次は君たちの番だ。新手が来る。さあ、今の説明を思い出して、一体は必ず仕留めてみせなさい。」


サラの号令と同時に、魔獣たちが唸り声をあげて飛び出してきた。

生徒たちはそれぞれ一体を引き受け、必死に魔素の流れを探る。核を狙おうとしても、焦りと恐怖で魔法がぶれる。サラは全体を見守り、危険な場面ではさりげなく援護の魔法を飛ばした。


そうして時間をかけ、なんとか生徒たちは一体ずつ魔獣を仕留めることに成功する。ただし、トリスを除いて。


「…は、八体!?」


驚愕の声とともに視線が集まった先で、トリスの周りには倒れ伏す魔獣の死体が幾つも転がっていた。


「ふふん。すごいでしょ!」


得意げに胸を張ったトリスは、迷いなくサラのもとへ駆け寄る。


「どうですか! サラ先生!」


「うん。急所を的確に突いているね。よくできたよ。」


サラがそう言うと、トリスは待ってましたと言わんばかりに頭を差し出す。


苦笑しつつもサラはその髪を撫で、トリスは「えへへ」と嬉しそうに笑った。殺伐とした戦場に、束の間の柔らかい空気が広がる。


だが油断はできない。すぐに生徒たちは再び警戒態勢を整えた。


一方その頃、シアのチームでは。


「す、すさまじい魔法裁きだな…。」


先導役の軍人が感嘆を漏らす。シアが指先を動かした瞬間、魔法の閃光が走り、周囲の魔獣が一斉に崩れ落ちた。


「みんな怪我はない?もし傷を負ったら、すぐに私に言ってね。」


返り血を浴びながらも、シアは変わらず笑顔で仲間に声をかける。幸い、今の戦闘では誰も大きな怪我はしていなかった。


「君は少し周りを気にしすぎではないか?」


「そうでしょうか…。」


軍人の言葉に、シアはふと視線を落とす。彼女は戦闘中も常に仲間の様子を気にしていた。それは優しさゆえだが、軍人にとっては危うく映る。


「俺は君たち全員を見ている。だから、君は自分の戦いに集中しろ。そうでなければ、強敵を前にしたとき、命取りになるぞ。」


「肝に銘じておきます。」


シアは真剣に頷いた。だが、その声音の奥には、どうしても仲間を見捨てられない彼女らしい優しさが滲んでいた。


――その時だった。


「きゃあっ!」


女性の悲鳴が空気を裂いた。


響いた方向は、アイラがいるはずのチーム。シアの胸がざわめき、気付けば体は自然とそちらへ傾いていた。


「待て。」


鋭い声とともに、軍人の手が彼女の肩を押さえる。


「離してください!あそこに…私の、大切な人がいるんです!」


必死の訴えに、軍人は一瞬だけ目を細め、それから静かに首を横に振った。


「君は仲間を守りながら施設に退避しろ。君の実力なら、全員を守り抜けるはずだ。安心しろ。君の大切な人は、俺たち軍人が必ず助けに行く。」


シアは唇を噛み締めながらも、仲間を連れて施設へと退いた。仲間を無事に逃がすこと、それが今の自分に課せられた役目だと、必死に言い聞かせながら。


「どうか、アイラを…!」


小さく呟いた祈りを背に、軍人は駆け出していく。重い足音が次第に遠ざかり、やがて戦場の方角から鈍い衝突音と魔獣の咆哮が響いてきた。


軍人が辿り着いた時、そこにはすでに冷たくなった同僚の姿があった。血溜まりの中に倒れ伏し、二度と動くことはない。


そのすぐ前で、荒い息を吐きながら必死に立ち続ける少女の姿があった。アイラだ。植物を操る魔法で迫りくる魔獣を必死に押し返しているが、腕や足には深い傷が刻まれ、全身は血と泥にまみれている。震える足は今にも崩れそうなのに、それでも仲間の前から一歩も退かずに立ちはだかっていた。


血に濡れた頬を拭う余裕もなく、アイラは唸りをあげる魔獣の猛攻を植物の壁で受け止め続ける。その小さな背中には、幼さを残しながらも仲間を守ろうとする強い決意が宿っていた。


その姿に胸を打たれながら、軍人はすぐに戦闘を引き継ぐ。火弾を放ち、魔獣の動きを牽制しつつ、少しずつアイラたちから引き離していく。


「君たちは早く逃げろ!」


怒声と同時に火弾が爆ぜ、魔獣が後退する。アイラはすでに疲労困憊で、自力ではまともに動けない。仲間が彼女の体を支え、軍人の指示通りにその場を離れていった。


その背を見送った魔獣は、血走った目で彼女たちを追おうとする。だが――


「お前の相手は、俺だ。」


軍人の放つ火弾が進路を塞ぎ、魔獣は怒りの唸りをあげて足を止めた。


「アイラの体が…どんどん冷たくなっていく!もう、とっくに限界だったんだ!」


アイラを抱えた少年の叫びは震えていた。彼女の体重は軽すぎるほどに感じられるのに、その冷たさと弱々しい鼓動が彼の腕を重く沈めていた。悔やむ余裕もない。ただ必死に走ることしかできない。


そこに、逃げ道を塞ぐように新たな魔獣が立ちはだかる。


「うそ…。」


絶望に飲まれかけた瞬間、鮮烈な火弾が魔獣を撃ち抜き、巨体が崩れ落ちた。


「大丈夫か!?」


現れたのはサラだった。安堵が広がるが、アイラの小さな体が力なく背にもたれかかり、生徒たちは足を止めることができない。


「アイラが…死んじゃいそうなんです!」


切羽詰まった声に、サラは並走しながら彼女の顔をのぞき込む。唇は青白く、血の気が完全に引き、足元には滴るように血がこぼれ落ちていた。


「出血がひどい…。今すぐ応急処置をしなければ間に合わない。」


サラは急ぎ足を止めさせ、地面にアイラを横たえさせる。そして静かに息を整えると、傷を治す魔法を発動する。


「私は治癒魔法を扱えないから、治癒にはどうしても時間がかかる。けど…必ず助けるから、信じて待ちなさい。」


血を止め、裂けた肉をつなぎ合わせるように、サラの地道な治療が続いていた。だが、安堵する暇は訪れない。


地響きを伴う重い足音。現れたのは援軍の軍人ではなく、血に濡れた魔獣だった。右足は半ば千切れかけ、異様に引きずっている。それでも濁った眼光には、確かな殺意が宿っていた。


「くっ…!」


治療を見守っていた生徒たちは必死に魔法を放つ。火弾、水刃、風の矢が次々と飛ぶが、魔獣の厚い皮膚にはかすり傷すら残らない。


それでもサラは治療の手を止めなかった。アイラの命が尽きるより先に治療を終わらせることが、何よりも優先されると知っているからだ。


魔獣が唸り声を上げ、巨大な腕を振りかざす。狙いは治療に集中するサラ。


「やめろぉ!!」


生徒たちが叫びながらさらに魔法を浴びせるが、それでも止められない。迫る爪。その瞬間、サラの足元の魔法陣が切り替わり、眩い光が奔った。


轟音とともに魔獣の上肢が弾け飛ぶ。だが同時に、サラの体も魔獣の腕に吹き飛ばされ、大木に頭から激突した。鈍い音と共に、彼女の体が地面に崩れ落ちる。


「サラ先生!!」


駆け寄った二人の生徒が声を張り上げる。残りの二人もアイラに駆け寄り、体に異常がないか確かめている。


「…キック、リンカ。私は平気だ。だから、アイラを連れてすぐに施設まで走りなさい。」


「平気なわけないです!先生、頭から血が…!」


必死に縋る声に、サラはふらつきながらも立ち上がり、笑みを作ってみせる。


「ほら、立てるだろう?だから大丈夫。君たちは急げ。私はすぐに追いつく。」


「絶対ですよ!」


涙声でそう言い残し、生徒たちはアイラを抱えて走り去る。その背を追うように、新たな魔獣が現れるがサラが立ちはだかる。


「あの子たちには…指一本触れさせない。」


視界は揺れ、指先は思うように動かない。立つのもやっとの状態だ。だが、魔法だけは撃てる。命に代えても、この場を守る覚悟だけは崩れなかった。


――その頃。


「誰か生き残りはいないか!」


島の反対側から回り込んできたバイエルが、ようやく戦場へ駆けつけた。しかし、そこに広がっていたのは、無残な光景だった。血の海に倒れる二人の軍人の姿。


「…死んでいる。」


喉の奥から、低く苦い声が漏れる。仲間の体を抱き起こしたバイエルは、しばし目を閉じてから、重い足取りで施設へと歩き出した。奇妙なことに、彼の周囲には魔獣の姿はなかった。まるで戦場の熱が、そこだけ取り残されたかのように。


施設へ戻ったバイエルは、生徒たちの前に出ることを避けるようにして、二人の亡骸を建物の奥へと運び入れる。そして、不安げに彼を待ち構えていた生徒たちを前に、抑えた声で告げた。


「東と西のチームを先導していたブルームとマルクは戦死した。これ以降の行動については――」


「サラ先生は!?サラ先生はどこにいるんですか!」


その言葉は最後まで続かなかった。トリスが一歩前に出て、声を張り上げたのだ。焦りに滲むその声に、バイエルは目を見開く。


「…サラが、どうしたと?」


「僕たちを守るために、サラ先生はまだあそこで戦っているんです!」


バイエルの顔色が一気に変わる。


「サラは見かけていない。戦闘音も……聞こえていなかった。」


その言葉にトリスの体が前へ飛び出す。


「待て、トリス!」


「放して!スイ!」


「今出て行って、どこを探すんだ!まずは人を探す魔法だ!」


必死の声に、トリスは歯を食いしばり、足を止めた。


「急いで、先生の部屋に!」


二人は駆け足でサラの部屋へ向かい、鍵のかかった扉を蹴破る。衣服を掴み、トリスが魔法を発動した。


「先生…すぐに見つける…から。」


しかし、次の瞬間。彼女の声が詰まり、服が手から滑り落ちる。


「どうした!?」


飛び込んできたバイエルに、スイがかすれ声で問い返す。


「…この島の広さ…どれくらいですか?」


「十キロ程度だ。」


その答えを聞いた瞬間、二人の膝が床に崩れ落ちる。


「じゃあ…先生は…。」


「そんな…!」


バイエルも魔法を試みる。しかし、結果は同じだった。


「…反応が、ない。」


その言葉で場の空気が一気に凍り付く。焦りは恐怖へと変わり、絶望が喉を締め上げた。


「信じない…絶対に探す!」


トリスは振り切るように駆け出した。


「あのバカ!待て!」


スイとバイエルも必死に追う。


――信じない、信じない。だって先生は『すぐ戻る』って…。約束を破ったことなんて、一度もなかったんだから…。


「あっ…。」


足が止まった。


そこには無数の魔獣の死骸が転がっていた。細かな傷跡、息絶えるまで削り取られた痕。それは紛れもなくサラの魔法の証。


トリスは震える手で死体の間を掻き分け、血に染まった指輪を見つけた。サラがいつも右手の人差し指に嵌めていたものだ。


「なんで…これだけ…?」


視界が揺れる。嫌な予感に胸を締め付けられながら、顔を上げた。そして、目に飛び込んできた。


魔獣に噛み千切られ、無残に横たわるサラの姿。


「…あ…ぁ…。」


喉の奥から声にならない叫びが漏れる。全身の力が崩れ落ちる。目の前の現実を拒絶したくても、そこにあるのはただ残酷な結果だった。


トリスの中で何かが弾け、周囲の魔素が暴れる。木々がざわめき、大地が震える。許容量を超える魔素が体内へ流れ込み、魔素暴走の兆候が顕れる。


「トリス!落ち着け!」


スイが肩を掴む。


「深呼吸だ!魔素をゆっくり外に流せ!」


バイエルの声も飛ぶ。


涙に滲む視界の中で、トリスは必死に呼吸を繰り返す。ようやく魔素が静まった時、彼女はかすれた声で呟いた。


「…ありがとう、スイ。危うく…大切な人まで傷つけるところだった。」


震える手でサラの体を抱き上げる。


頬に落ちる涙は止めようもなく、彼女の胸に絶望だけが広がっていった。

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