二年と少し
――二年あまりの月日が流れた。
その頃には、スイとシアは誰の目にもわかるほど仲の良い親友になっていた。
「スイ!見て見て~!」
シアは得意げに的の前へ立つと、次の瞬間、閃光と共に的を消し飛ばす。
「すごい!」
「ふふん。どう?驚いた?」
シアの魔法は、以前にも増して鋭さと速さを増していた。スイですら目を凝らさなければ追えないほどの速度だ。
「光を操る魔法を極めれば、速度だけならスイに追いつけると思ったの。そうすれば...もう、貴女が一人で先を歩かずにすむでしょ?」
「…。」
太陽のように笑うシアの言葉に、スイは思わず息を呑む。ただ隣で無邪気に笑っているだけだと思っていた彼女が、そんなことを考えていたなんて。
「うん…ありがとう!」
スイの瞳が思わず潤む。シアだけがスイの心の支えだった。
そしてさらに数か月後。二人は基礎課程を終え、実戦課程へと進学する。
新たに開かれた入学式には、内部進学と外部進学を合わせた百名の生徒が集っていた。内部生主席はスイ。そして外部生主席はトリスだった。
「トリスフェルミアって、可愛い名前ね~。」
「でしょ!?世界一可愛い名前だと私も思うの♪」
式が終わるや否や、シアは早速トリスと打ち解けていた。さらに――
「でも、シアって名前もすごく素敵。あっ、もちろんアイラもね!」
「ほんと?ありがと!」
「…ありがとう。」
恥ずかしそうに俯いたその少女、アイラとも交流を深めていく。
このシアとアイラの出会い。それは、薔薇色の学校生活の始まりであり、同時に悲劇の幕開けでもあった――
数か月後。実戦課程最初の定期試験の結果は、一位スイ、二位シア、三位トリス、四位アイラ。これを機に、特待クラスの顔ぶれが整理され、内部生と外部生が入り混じる新たな体制となった。
だが、その中で問題児と目される生徒が一人いた。アイラだ。無茶な訓練を繰り返し、怪我をしてはまた立ち上がる。その様子に教師たちも手を焼いていた。
「ちょっとまた怪我をしたの!?見せてごらん。」
足を擦りむいているアイラの姿にシアは思わず駆け寄って、治癒魔法を施した。
「何をそんなに焦ってるの?」
「…シアには関係ない。」
心配そうに声をかけるシアに、アイラは棘のある言葉を返して顔を逸らす。だがシアは彼女の顎を掴み、正面から目を合わせた。
「関係あるわよ。だって友達なんだから。」
その優しい言葉も、アイラの心には届かない。
「ただの友達だろ。それ以上は踏み込むな。」
シアの手を振り払うと、アイラは背を向けて去っていく。シアはただ彼女の背を見送るしかなかった。
――その頃、別の場所では。
「サラ先生!魔法見てください!」
「また来たの、トリス?」
「はい!先生のことが大好きなので!」
サラの研究室に、毎日のように入り浸るトリス。その真っ直ぐな瞳に、サラは苦笑を浮かべる。
「私のどこがそんなに気に入ったの?」
「優しいところです!初めて言われたんですもん『今まで本当に頑張ってきたのね』って。」
トリスは生まれつき背が低く、魔法においても不利とされる体格を抱えていた。それでも工夫と努力を積み重ね、ようやくここまでたどり着いたのだ。だが、その道程を誰も正しく評価してくれなかった。
「背が低いのにすごいね」と褒められたことすらなく、努力は「才能」という一言で切り捨てられてきた。
――だから、あの日。
初めて「頑張ってきたね」と、サラが涙声でそう言って、しかも優しく抱きしめてくれた日。
トリスの中でずっと張り詰めていた何かが、ふっとほどけた。胸の奥から、熱いものが込み上げてくるのを抑えられなかった。
サラにとってはきっと、生徒の努力を見逃さず、ただひと言、励ましただけだったのだろう。けれどトリスにとっては、それが一生に一度の、何にも代えがたい言葉だった。
「…そんなことも言ったわね。」
「“そんなこと”じゃありません!私にとっては一生の宝物なんです!」
頬をぷくりと膨らませるトリスに、サラは困ったように笑みを浮かべる。そのとき、研究室の扉が開かれた。
「あっ、トリスもいたのか。飽きないな。」
「げっ…スイ!」
スイが現れた途端、トリスの顔に露骨な不機嫌が走る。
「何よ飽きないなって!あんたは余裕そうよね~。サラ先生と三年も一緒にいるんだから!」
「別に何も言ってないだろ。あ、先生、これはここでいいですか?」
「ええ、助かるわ。」
スイが持ち込んだ資料を机に置くと、トリスは嫉妬の目を向けた。
「それそれ!先生、いっつもスイばっかり頼ってる!」
「仕方ないだろ。私にしかできないことなんだから。羨ましいなら勉強しろよ。」
そう言って部屋を出るスイを見送り、サラは軽く挨拶を交わす。
「…むぅ。」
トリスは唇を尖らせて睨むように言った。
「先生、私という可愛い生徒がいるのに浮気ですか?」
「浮気って…そもそも付き合ってないでしょ。」
「私は本気なんです!こんなに人を好きになったの、初めてなんですから!」
真剣な表情に、サラは思わず息を呑んだ。しかし、逃げることはできない。教師としても、一人の人間としても、向き合わねばならなかった。
「…そう。なら卒業してもその気持ちが変わらなかったら、もう一度ここに戻ってきなさい。待ってるから。」
「ほんとですか!?約束ですよ!」
トリスはぱっと笑顔を輝かせ、飛び跳ねるように扉を開いた。
「気分がいいから今日は一人で練習してきます!先生、お体に気を付けて!」
駆け足で去っていく背を見送り、サラはそっと息を吐く。
「はぁ…まさか私が教え子に振り回されることになるなんてね。」
言葉とは裏腹に、その表情は柔らかかった。
――トリスは良い子だ。スイも、シアも、アイラも、みんな。
それだけに彼女はつらかった。あと数か月で特待クラスの全員を死地へと連れて行かなければならないのだから。
やがて一か月あまりが過ぎ、二度目の定期試験が行われた。この試験の結果をもって、実戦課程で初めて行われる学外演習に参加できる二十名が決まる。
そんな重要な試験で、ついに牙城が崩れた。
今まで二位を守り続けていたシアが三位に落ち、代わってトリスが二位に躍り出たのだ。しかもこの年は、史上初めて一位から三位までが筆記試験を満点で終えたという特筆すべき記録を残した。
「サラ先生~!褒めてください!」
試験の結果が張り出されるや否や、トリスは弾むように駆け寄り、サラに抱きついた。
「はいはい、よく頑張ったわね。」
頭を優しく撫でられたトリスは、子猫のように「えへへ」と目を細める。その愛らしい仕草に、惜しくも三位に落ちたシアも、悔しがるよりも思わず笑みを浮かべてしまう。
「ふふ、本当に可愛らしいわね。」
シアが柔らかく言葉をかける一方で、アイラは冷たく舌打ちした。
「…少しは悔しがりなさいよ。」
「ん?どうして?友達が頑張ったんだから、喜ばなきゃ!」
シアの純真な言葉は、アイラの胸を逆撫でするばかりだった。まぶしすぎるその笑顔は、彼女の中に渦巻く苛立ちや焦りを、ますます強く浮き彫りにしてしまう。
「あっそ。」
短く吐き捨てて背を向ける。まるで逃げるように、その場を離れた。
「アイラは相変わらずだな。なんでシアはあいつを気にかけるんだ?」
呆れたようにスイがこぼすと、シアは小さく首を振った。
「友達だから。それにあの子は、みんなが思ってるほど悪い子じゃないよ。」
そのときのシアの表情は、いつもの無邪気な笑みとは少し違っていた。目を細め、どこか慈しむような、静かな光を宿していた。その表情の意味を理解できる者はスイを含め誰もいない。
――シアだけが知っている。
ある日の放課後ことだ。シアは偶然、誰もいない訓練場で、ひとり魔法を繰り返すアイラを見かけた。
「こんなんじゃダメだ…!みんな頑張ってる。私なんかじゃ、いつ特待クラスを落ちるかわからない…頑張らないと。もっと、もっと…!」
掠れる声で繰り返すその独り言は、まるで呪いのようだった。
アイラの家が裕福ではないことは知っていた。だからこそ、学費も寮費も免除される特待クラスに必死にしがみつこうとしていることも。だがシアの目には、それ以上に、彼女が「自分を信じられない」ことの方が痛々しく映った。
努力家で、才能もあるのに。他の誰もが認めているのに。肝心の本人だけが、必死に走り続けなければ全てを失うと怯え、縋るように自分を追い立てていた。まるで、止まったら死んでしまうと信じ込んでいるかのように。
――そんな姿が、シアの胸に深く刻まれていた。
ジャリ、と小石を踏む音が響く。
「誰!?」
アイラが鋭く振り返り、辺りを見回す。しかしそこには誰の姿もない。
「…気のせい?」
咄嗟に影に身を潜めていたシアは、思わず胸を押さえる。声をかければよかったのに、いつもの自分なら、きっとそうしていたはずなのに。なぜか、その時は足がすくんでしまった。
あの掠れた声は、きっと誰にも聞かせたくない本音だった。自分が踏み込んではいけない領域だった。だからシアは口をつぐんだ。
彼女の秘密をそっと胸にしまい込んで、シアは音を立てぬようその場を離れた。
アイラは努力している。誰よりも強く、必死に。そして、そんな彼女を誰よりも心配している自分がいる。そのことに、シアは改めて気づかされていた。




